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マハードとかいう作中屈指の “ 不遇 ” キャラ【遊戯王 王の記憶編 DM 原作 漫画 アニメ 感想 考察】

 

 

 

1.コンセプト。「 “カードと決闘者の絆“ を体現するキャラクター」

 

 闇遊戯のエースカー「ブラック・マジシャン」は、実は前世では人間でした。ざっくり言うと神官マハードはそういうキャラクターです。

 本作では『カードと心を一つに』『自分とカードを信頼し合えるか』 といった表現が登場し、デュエルディスクで投影されたソリッドビジョンでしかないはずのブラック・マジシャンが闇遊戯をかばったりするシーンが描かれていました。

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『この決闘!!どちらが最後まで自分とカードを信頼し合えるか!それが勝敗の鍵だ!!』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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『カードが…自らの意志で…!プレイヤーの盾になったというのかぁぁぁ!!』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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『決闘者はカードとの絆を断ち切った時 敗北の谷底に落ちる!!』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社


 いや……デュエルしろよ。

 カードが自らの意志で??って、ズルやん。

 カードとの絆ってなんやねん

 

 そういった問いに対する回答の一つが神官マハードです。

 なぜカードであるブラック・マジシャンが闇遊戯をかばうのか? なぜカードと人間との間に信頼が成立するのか?
 それは、古代エジプトの魔術師だった神官マハードの魂(と精霊が融合して生まれた何か)がブラック・マジシャンのカードに宿り、現代においても闇遊戯を守っているからです。

 神官マハードは「闇遊戯とブラック・マジシャンの信頼」のルーツを説明するためだけに登場してきたキャラクターであることは念頭に置いておくべきでしょう。

 

 

2.  に行く前のまえおき


 昔からの事情を知らない人からすると、たぶん、ここから先の内容はすこし擁護過剰にみえます。

 というのも、昔から(主にネット上での)この神官マハードの評価はやたらに低く、wikiが荒らされて延々と中傷が書かれていたり、検索ワードに「遊戯王 マハード」と打ち込んだだけで「遊戯王 マハード ××」と出てくるような状況が続いていました。あえて伏せ字。

 というかこのキャラクターを××扱いするというのは、記憶編のアレを大真面目な感動エピソードとして描いて “これが主人公のカードとの絆です!” とやっていた原作者が漫画家として無能だという話しになってしまうんだが……

 なので正直、言うほどこの神官マハードというキャラクターが原作でめちゃくちゃに  “ 不遇 ”  な扱いを受けているのかというと、そんなことはない(少なくとも原作者にそのつもりはないし、そんなこと言いだしたら表人格の獏良くんの扱いとかの方がもっとひどい)ですが、一番問題なのはああいった評価が横行してしまうようなキャラクター像しか提示できていない原作者の構成力と無神経な製作態度です。

 

 

2.神官マハードの置かれた状況。 「それ…魔術師の仕事なんすか…?」

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千年輪の指針の乱れが激しくーー(中略)罪人の邪念を探知しきれないのです』

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それはわかっておる…なにしろ魔術の腕を見込まれて神官に選ばれたわけじゃからの…』  (©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

↑ 魔力で千年輪の邪念を封印→千年輪による探知で王墓を守っている……のだが、マハードの魔術の腕と王墓の警護は直接関係がない。という具合に、彼の周辺の設定はやや説明的でこじつけっぽいものとなっている。 

 神官マハードが王墓の警護を指揮する立場にあるという設定は『魔術の腕を見込まれて神官に選ばれた』という設定とも、彼が後のブラック・マジシャンであるという正体とも噛み合っていません。王墓の内部で盗賊バクラと対決させる(そして千年輪をバクラの手に渡らせる)ためのいわばご都合主義です。

 ブラック・マジシャンは実は古代エジプトではもともと人間で、闇遊戯(ファラオ)に仕えていた魔術師でした……というような話しが、なぜ墓の警護になるんでしょう? 流れおかしくないですか? ファラオの身辺警護とかせめて王宮の警護とか、ファラオの右腕の魔術師のような人物像にしないと、単にブラック・マジシャン誕生の経緯を説明するだけではなぜ現代で闇遊戯が最も信頼するモンスターが三体の神ではなくブラック・マジシャンなのかイメージが掴みづらかったはずです。

 原作者はこの神官マハードと盗賊バクラをどうしても王墓の中で戦わせたかったようですが、その手順が強引すぎてキャラクターの思考や行動すら意味不明です。要するに、原作者に都合のよい物語の奴隷にしてしまったんですね……。 " なぜ王墓の中でなければならないのか "  等、詳しくはこちらの記事の第4項にも書いています。

rootm.hatenablog.com

 

なぜマハードは「王墓の警護団長」で「千年輪」の所持者なのか??

 神官マハードの登場シーンから早々に王墓が盗掘されており、その後いくつかの場面に渡って神官セトが執拗に神官マハードを責め続けるため、なにか「失態を犯した」感が異様に強く描かれています。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

墓所を守っているのは人間の兵士たちと墓職人の罠であってマハードの精霊は関係ないが、執拗に盗掘の件を持ち出すセト。盗賊バクラとの一騎打ちへの伏線だろうか。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社) 

↑ マハードを下げることでセトの有能さをアピールする悪人ミスリード…? 作中でセトがいちいちマハードに絡む理由などは一切明かされない。

 

 しかしよくよく読んでいくと神官マハードが直接なにかをやらかしたわけではなく、神官セトが言いたいのは

 盗掘を許したのは現場の連中だが 責任者はお前なんだからお前がケツ持ちしろ

 ……くらいの意味だった? ことが分かってきます。

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『今回のお前の任務は王家の谷の警備の増強と視察にある!』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 このシモン・ムーランとのやり取りから、普段は神官マハード自らが現場で警護や指揮をすることは無いということが示されており、だからこそ盗掘騒ぎの直後に『視察』のため王家の谷へ赴くという流れになっています 。もし普段から現場にいる人ならわざわざ視察なんかしないですよね。

 それもそのはず。 ファラオの側近のように描かれている神官のトップ6人が、 そんな最前線で一兵卒に混じって警護や指揮をするってふつうはないと思います。現代日本でいうところの防衛大臣自衛隊員のような関係を想像すれば分かりやすいのではないでしょうか。(神官マハードはその魔力で千年輪の邪念を封印しているという設定がこのあとに出てくるので、 そんな人材をいつも最前線に程近い現場に送り込んでいることになってしまうとマンガの話しとしてなおさら不自然です)

 というか正直、これらは全て盗賊バクラと神官マハードを王墓の中で対決させ、マハードを殺してブラック・マジシャン誕生エピソードを消化しつつ千年輪をバクラの手に渡らせる(現代では千年リングに闇バクラの人格が宿っているので、そこの経緯とつじつまを合わせる)ための前振りのようなものですが、 そ  の  前  振  り  の  た  め  に  王  墓  を  警  護  す  る (   盗  掘  さ  れ  る   ) キ ャ  ラ  と  し  て  マ  ハ  ー  ド  を 登  場  さ  せ 、 千  年  輪  を  持  た  せ  て  お  い  た  のだとしたらあまりにも設定が雑すぎるし、モブキャラならまだしも主人公のエースモンスターになるキャラに対する最低限の扱いとしてもう少し工夫の余地があったと思います。

 


 広大で過酷な涸れ谷に点在する何十個もの墓を、盗掘の専門家集団から守るだけのカンタンなお仕事?

 原作者がどこまで現実の古代エジプトの史実や当時の状況を意識しながら描いていたかは分からないので安直な結び付けはできないものの、古代エジプト第18王朝の歴代ファラオの墓は広大で過酷な環境の涸れ谷(王家の谷)に点在しています。なぜこんなへんぴな場所に隠すように墓を建てはじめたかというと、この時代以前(第11王朝あたり)から歴代王朝は盗掘被害に遭い続けており、すでに社会問題になっていたからです。だからこそ『千年アイテムは王墓を荒らす罪人を裁くため生み出された』という最初の設定も成立していた。

 それまでのファラオの巨大なピラミッドや壮麗な葬祭殿としての形を廃し、王墓の在り方はガラリと変わります。加えて、少なくとも第18王朝当時はまだ警備が腐敗していなかったため、普通の方法で侵入できる状態ではありませんでした。この王家の谷には24基の王墓を含む計64基の高貴な人々の墓が点在しています。(現在見つかっているだけの数。この中には第19、20王朝の墓も含まれます。)

 マンガの設定が史実通りでないことそのものは別にどうでもいいとして、作中の描かれ方ではたったの1つや2つしかない墓をそこらへんのゴロツキにまでみすみす盗掘されている(先王アクナムカノンの墓が何度も盗掘されている)かのような印象になってしまい、マンガの描き方としてはキャラクターの顔を立てずに泥を被せて展開を急ぐ悪手だったと思います。

 原作者は古代エジプトのことをよく調べて様々なモチーフをマンガのデザインに取り込んでいますが、肝心のキャラクターを引き立たせるための背景設定を作ることについてはあまり関心がなかったようです。あるいは原作者にとって、神官マハードはそこまで「肝心」なキャラではなかったか。(エースモンスターとは?)

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 上の画像は、神官マハードが亡くなったことを知った兵士達が石版を見上げているシーンです。彼らの様子をみると、神官マハードは兵士達に慕われていたようですね。

 場合によっては盗掘された墓の警備にあたっていた兵士が罰せられるような状況も考えられましたが、神官マハードは『責任はすべて私にあります』と言って、現場のせいにするようなことは一言も言いませんでした。しかしその一連のシーン(神官セトに言いたい放題言われながらセリフはほとんど「……」あるいは記号的な説明セリフで、ただファラオに服従しているという人物像の描き方)が、神官マハードのキャラクターとしての魅力に結びついているかは疑問です。王宮にひったてられてきた兵士達をかばうくらい描いてくれればいいのに…。どうせ王宮裁判のシーンと盗賊バクラの登場シーンを描くために、少なくとも2回は王墓に侵入されることはシナリオ上決まっていたんだから。

 ちなみに歴史上、盗掘被害がまた酷くなるのは第20王朝からです。この時代は国内の統治が荒れて、身分制度上は上の方だった「職人」たちにさえ給与が支払われず、警備も腐敗して、盗掘で生計を立てようとする人々や賄賂を受け取る代わりに盗掘を見逃したりする役人が現れたといわれています。

 墓荒らしは墓の情報に接することができた限られた人間(墓職人など)による世襲の専門職であり、単なるコソ泥やゴロツキとはわけが違います。この史実を意識してか(?)作中において盗賊バクラの故郷クル・エルナ村は、王宮の墓職人が墓荒らしとなって住みついた村という設定になっています。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 


3.神官マハードの決意が結実する、最大の見せ場

 

救世主(理想) → ただの時間稼ぎ役(現実に描かれたもの) + とばっちりで噛ませにされた神官シャダ

 クル・エルナ村で盗賊バクラに死霊の大群をけしかけられ絶体絶命となったファラオのもとに精霊化したマハード(ブラック・マジシャン) が駆けつけたシーン。
 盗賊バクラがページの下の方の小さい一コマでさらっと重要な設定を喋っています 。

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『無駄だ…死霊共の怨念は千年宝物所持者に特別な力を発揮するぜ!!』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社


 盗賊バクラによれば、この「死霊」とは7つの千年アイテムを誕生させたとき生贄にされた人々のガチの怨霊で、なんと千年アイテムの所持者を無力化します。(盗賊王バクラは死霊たちのいわば同胞なので襲われないし、千年輪の力は「形あるものに持ち主の精神を移す」ものであって死霊たちを操っているわけではない)

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 この死霊たちは神官団に対するメタカードです(メタカード: 対策カード。相手にそのカードを使われることによって最悪デッキが機能停止してしまうような相性最悪のカード) だからこそ盗賊バクラはこのクル・エルナ村を決戦の舞台に選び、 神官団が攻め込んでくるのを地下神殿でじっと待っていた。

 この場所に足を踏み入れた時点で神官団は詰みです。だって神官団の主要メンバーは全員が千年アイテムの所持者で、虐殺を主導した王朝の側の人間だから。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 このシーンではファラオとたまたま居合わせていた神官シャダだけが二人で苦しんでいましたが、本来なら、神官団は最初から全員がこの場に居合わせて

いざ盗賊バクラVS神官団の対決になったら、千年アイテムを持つ神官たちが死霊の効果で皆んな動けなくなって誰もファラオを守れない!さあどうする?!となったその瞬間に駆けつけたブラック・マジシャン(もはや千年アイテムの所持者でもなく人間ですらなくなった神官マハード)だけが死霊をはね返し、ファラオの窮地を救うことができた。そしてファラオと "六神官" の反撃が始まる。

 そういうシーンにならなければおかしいです。

(漫画には関係ない話しですが、イスラームの文脈においてマハード(マハーディ、マフディ)は  “ 救世主 ”  を意味します。)

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『いや… 六神官だ!!』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 

 というか原作者は当初はそんなような展開を意識していたと思います。ではなぜ

  • 死霊に襲われファラオピンチ! 神官団が追いつくも死霊の怨念に太刀打ちできず
  • 精霊マハードが駆けつけ死霊を払う
  • ファラオと  " 六神官 "  の反撃開始!

……で済む話しが、わざわざ

  • まず神官シャダがファラオと合流
  • 死霊に襲われファラオピンチ
  • 精霊マハードが駆けつけ死霊を払う
  • 一時はマハード優勢も、なぜか(マハードの魔力(ヘカ)の前では通用しないと実証されたばかりの死霊のオーラによって)魔力(ヘカ)による攻撃がディアバウンドに届かなくなる
  • またピンチになってマナ登場
  • 残りの神官団が登場

……みたいなまどろっこしい不自然な話しの段取りになっているのか?(なぜ神官団は一度に全員登場せず、神官シャダだけが先行してファラオと合流する話しの流れになっているのか?)


 それは人気キャラのブラック・マジシャン・ガールを、ここで登場させるため。


 どうにかブラック・マジシャン・ガールをねじ込むなら、師匠のピンチに弟子のマナとその精霊が駆けつけファラオがはっと振り向くと神官団参上!の方が、マンガの流れとして盛り上がるしスムーズだったから……ではないでしょうか?

 「 死霊の怨念は千年アイテムの所持者を無力化する 」という設定を盗賊バクラに説明させ、その流れからブラック・マジシャン登場 → 死霊をはらう…というシーンを描くためには、ファラオの他にも千年アイテムを持つ神官がその場に居合わせないとシーンが成立しないし、死霊が神官団へのメタとして機能しません。しかしブラマジガールの登場シーンを間に挟むため神官団はあとから登場する流れにしたい、だから神官シャダ1人だけを噛ませ役として先に合流させた。実情はそんなところではないでしょうか?ぶっちゃけあのシーンで噛ませになるのは神官カリムあたりでも作者的にはよかったと思われます。

 んな強引な理由があるかと思われるかもしれませんが、ガールを描くだけで読者アンケートの結果が良くなる(あと決闘のルール上出すのが簡単だった)からこそバトル・シティ編の後半になってもエースのブラック・マジシャンをそっちのけに弟子の方を登場させていたわけで、作品の人気を維持するために行われるジャンプ編集部のテコ入れは非常に強引だったことで有名ですから、あり得ない話しではないと思います。この「ファラオの記憶編」を描き始めてから人気が落ちていたことを原作者自身も語っています。(他に考えられるのは、ブラック・マジシャン単体での活躍と、神官団と連携しての戦闘シーンを分けたかった…というのも考えられますが、分けることにこだわる意味があまりなく、現実的な考察ではないように思えます)

 

 

盛りアガるタイミングでブラマジガールたん♡ 登場!

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 ブラック・マジシャン・ガールの助太刀によって注目されにくくなっているのですが、あの場で唯一「死霊」の効果を受けない精霊マハードが先に露払いをしたからこそ、 あとからやって来た神官団も(神官シャダのように足止めをされることなく)連携して盗賊バクラと戦うことができました。

 極端な話し、神官マハードがもし千年輪を奪われずそのまま生き延びていたとしたらアクナディンの闇堕ちは無かったにせよ、みんな仲良くクル・エルナ村で死霊の餌食になって連携もクソもなく終わっていたわけです。そうなれば盗賊王バクラがゾークと契約し、世界も終わっていたでしょう。

 5D'sの遊星ではないですが、結果的に神官マハードが千年輪を奪われたことも、その闘いで自らの命を生贄としたことも、 全てに意味があった。つまり(神官セトが発した前振りをここで回収)無駄な死(犬死に)など無い。そう読者に強く印象付けるような描き方をしなければならない、本来ならそういうシーンだったと思います。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 しかし実際描かれたマハードの活躍は「また盗賊バクラに挑んで結局ピンチになり、神官団が到着するまでの時間をかせいだだけ」の役に成り下がってしまいました。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 マナとブラック・マジシャン・ガールが駆けつけたシーンそのものは、生前のマハードが育て上げた次世代の種が芽吹いて自身を助けたことを表しており、「師弟の絆」を表現するうえでも必要で、決してそれ自体意味ないシーンとか人気キャラのガール出したかっただけとかではないと思います。 しかし、その場で優先して描かなければならない内容を明らかにはき違えています。

 最後にマハードが盗賊バクラのディアバウンドにとどめをさすことで最低限度の名誉挽回はしていますが、これは非常に形式的に見えます。

 

 

4.キサラと神官マハード、どこで差がついたのか?

 

説得力の違い。「男女の愛」と「自責の念」

 ファラオの記憶編をみていく上で忘れてはならないのは、連載当時、頑張りすぎてしまった原作者の体調がもう限界で、連載を早期終了するため致し方なく、本来の構想からストーリーが大幅に省略・改編されているという事実でしょう。

 推敲不足の超高速展開であっても神官セトとキサラの場合はいわば男女のロマンスになるので、 "いつの間にか"  精霊ではなくキサラ自身を愛していた! という成り行きにある程度の説得力があります。キサラの美しいビジュアルもあいまって、読者はさほど違和感なくこの悲恋のような儚い関係性に入り込むことができたでしょう。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 

 一方、アテムと神官マハードの場合……

 神官マハードが自らの生命や魂まで捧げてアテムに仕えた理由は、自分が死なせてしまった(と神官マハードが思っている)先王アクナムカノンの息子がアテムだから、という説明で済まされています。(他にしいてあげるとすれば、大事な父上の墓を盗掘されてしまったにも関わらずマハードのことを責めなかったアテムの心の広さに感銘を受けた……とか?? いずれにしてもマハードは泥を被るが

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 誰の息子だとかファラオとかの肩書きなしでのアテム個人を神官マハードはどう思っていたのか、アテムは神官マハードのことをどう思っていたのかすら、ほとんど描写が無い。アニメ版の幼なじみ設定のようにアテムと神官マハードがもともと個人的に親しい間柄なら話しは早かったと思いますが、残念ながら本誌で彼らの信頼関係や詳しい過去について掘り下げるページの余裕は無かったということです。

 しかも石盤の精霊ハサン(先王アクナムカノンの精霊)とかまで出てきて、神官マハードの苦渋の選択によって結果的に先王アクナムカノンは命を落としてしまった(からこそ、その息子であるアテムに神官マハードは自分の命を捧げた)という設定すらひっくり返ります。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社f:id:rootm:20200517173429j:image

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 おそらく「実はマハードは悪くなかったんだよ!(直接の死因は神官マハードが原因じゃない)」という原作者の思いやりでしょう。先王は自分のせいで死んだと思ってずっと自責の念にかられてきた(という  " 設定 "  になっている……)神官マハードの苦悩を横に置いてなんの話しをしてんだ……?

 というか、せめてアニメ版のように、神官マハードが先王アクナムカノンから「息子を守ってくれ」と使命を託されるのではダメだったのか…?

 設定上、ブラック・マジシャンは闇遊戯が最も信頼するしもべということになっており、ここぞのシーンでは必ず召喚されます。しかし実のところ、その信頼関係のルーツともいえる闇遊戯(ファラオ)と神官マハードとの精神的なつながりが直接描写されたシーンというのは、原作ではそれほど多くありません。

 神官マハードが亡くなった時でさえ闇遊戯はどこか淡々としており(記憶が混乱しているとか、ファラオとしての立場を考えて感情を抑えているというより、本当に淡々と描かれている)、むしろ弟子のマナの方の感情が描かれています。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 闇遊戯は自身の記憶を追体験しているという状況なのに、神官マハードや弟子のマナ(今の闇遊戯が信頼しているマジシャン師弟のルーツである人々)に遭遇しても、なにかを感じている様子が描かれません。フラッシュバックしていたのは父親に関するおぼろげな記憶のみ。

 神官マハードがブラック・マジシャンとなった後も3000年の永きにわたってファラオの魂に仕え続けてきたことは、作中の描写からなんとなく汲み取ることはできます。

 それは、むしろ主人公側より描写に熱が入っていた「キサラが神官セト(海馬)の魂に寄り添って守護している」というメッセージから、死者が精霊化してカード(のモデル)になったという同じ経緯を持つ神官マハードとアテム(闇遊戯)についてもおそらく同様……?であろうという推測と、バトル・シティ編の「カード(ブラック・マジシャン)が自らの意志でプレイヤーの盾になる」という描写を結びつけることで成り立つものです。

 闇遊戯(ファラオ)と神官マハードとの精神的なつながりは、ファンの側の想像で補完されている部分が大きいと思います。キサラを想う神官セトの感情の動きと海馬への繋がりを強く意識して描かれたキサラと、そもそもの設定や登場シーンのほとんどがつじつま合わせに終始している神官マハード、どちらの方がキャラクターとして説得力があるかは比べるまでもありません。

 

モンスターとしての扱いの差

 アテム(闇遊戯)と神官セト(海馬)をあくまで対等にするためか、ブルーアイズは『 ファラオの三幻神をも凌駕せん力 』『 神に匹敵する 』等と色々盛られています。

 一方で、ブラック・マジシャンに関しては、本当なら神の方が強いがアテムが千年錐を奪われている、またはバーを消費してしまって神を呼べないから、成り行きでマハードを使役して戦っているという状況です。VS盗賊王バクラのときは成り行きでも良いとして、それ以降の闘い、神官セトとの最後の決闘においてさえ、アテムがあえて神ではなくマハードを呼んだわけですらない。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 『 ゾークとの闘いでファラオの魂はすでに尽きかけている!神を召喚することはできない… 』ので、神に匹敵する白き龍には本当なら神で応戦したいところ、なんとかブラック・マジシャンで場をしのぐしかない。それはエースではなく、ただの壁モンスターですよね?

 そういう風につじつまを合わせるなら、ファラオが最初から三幻神を操れる設定とか必要なかったんじゃないでしょうか? 序盤はべつに三幻神でなくともウェジュの石盤から適当に強力なモンスター(それこそデーモンの召喚とか暗黒騎士ガイアとか初期の遊戯のエースたち)を召喚できればストーリーとしては殆ど事足りる話しであって、要は主人公だから盛られているというだけの話しでしかない。盛る場所が違うだろ。

 アテム(闇遊戯)と神官セト(海馬)をあくまで対等に、力は互角であるとして描く……という視点から見ると、ゾークとの闘いで消耗しきった状態のアテム(とマハード)にフルパワー状態のブルーアイズで殴りかかったら神官セトが勝つのは当然だろう……というニュアンスを汲み取ることはできるでしょう(神官セトもそれを分かっているからこそ、来世での再戦を願う石板を遺したともとれる)。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 しかしそのために、肝心の主人公のエースモンスターがあっけなく蹴散らされて終わりというのは、作品の体面としては大分マズイと思われます。(表遊戯とのラスト決闘でもサイレント・マジシャンに師弟まとめて蹴散らされ、最後はオシリスの天空竜が出てきて終わりだし……)

 魔法カードや罠カードとのコンボで自身より攻撃力の高いモンスターとも互角に戦えるというキャラだからこそブラック・マジシャンは主人公のエースに相応しいのであって、パワーで圧倒する海馬の王道スタイルも映えるのであり、攻撃力3000のブルーアイズ>>>攻撃力2500のブラック・マジシャンみたいな所だけ妙にルールに忠実にしてしまっては本末転倒です。

 

原作者が描きたかったのは「キサラ」

 原作者は神官セトとキサラ、海馬とブルーアイズの描写には一定のこだわりを見せ続ける一方で、アテムの魂が千年パズルに封印されゾークと融合しかかっている間にマハード(魂と精霊が融合し不死となっている?)はどこにいて何をしていたのか(キサラが神官セトの魂に寄り添っているようにマハードもアテム=闇遊戯の魂を守護していたのか?)、アテムが冥界へ還ったあとマハードはどうなったのか(アテムと共に冥界へ還ったのか?表遊戯のいる現代に残ったのか?)さえ、具体的な描写どころかあとがき等での言及さえ放棄しています。

 劇場版DSODのパンフレット等で「ブラック・マジシャンの魂がアテムから表遊戯に受け継がれた」(←はあ…?)という旨の記述がありますが、正直、意味不明です。受け継がれる筋合いがどこにあるんでしょう……? 表遊戯にはガンドラやサイレント・マジシャンという彼自身のエースモンスターがいます。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 キャラクターとしては全く同じコンセプトの「キサラ」と「神官マハード」ですが、キサラは神官セト(海馬)が唯一愛した女性であり作中最強のモンスターであるという無二のポジションを与えられています。

 その一方で、アテム(記憶の世界にいる闇遊戯)の心を支える存在としては当然、表遊戯と仲間たちがメインで描かれます。ファラオの使役する強力なモンスターは三幻神の方が絵的にカッコいいし読者ウケも良い、なんならブラマジより大人気キャラのブラマジガールを優先したい、ということだそうです。

 構成の上で仕方のない部分も多いのですが、神官マハードは「主人公のエースモンスター」のルーツという重要キャラクターでありながら、あまり意義のあるポジションを原作者から与えられませんでした。

 

 


5.まとめ「作中屈指の  " 不遇 "  キャラ」

 個人的な好みなどの感情をあえて排して事実だけに着目すると、作中の設定やストーリー構成において「神官マハード」の重要度は、相対的にあまり高く扱われていません。

このキャラクターの本当の意味での救済は「史実編」に期待するより他に手立てがない状態です。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 闇のTRPGというゲーム内の仮想世界ではなく史実の古代エジプトでは本当は何が起こっていたのか、それらは謎に包まれたまま、 原作本編は終了しています。

 おそらく神官セトはファラオを裏切り第三勢力となって、神官マハード → ブラック・マジシャンがファラオの忠実なる右腕として台頭し、壮大な三つ巴の戦争に発展したのでしょう。

 多くを望むことを許されるなら、原作者がもともと構想していたという古代エジプトの史実の物語が、今後なんらかの形で発表されることを切に願います。


 なんならもう、デュエルリンクスで補完とかでもいいので!!お願い!!!

おわり