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表遊戯はアテムの生まれ変わりなのか?DSODで海馬がたどり着いた場所って?【遊戯王 DM 考察 原作 漫画 劇場版 アニメ 感想】

 

この記事は純粋に考察を目的としています。批判っぽく見てる言い回しがあるかも分かりませんが、作品やキャラクターを貶める意図は無く、他の方の考えを否定するものでは決してないことをご理解くださいませ。m(__)m

 

 

 


1.この記事の目的

 原作「遊戯王」の本編において、神官セトと海馬瀬人、シモン・ムーランと武藤双六のように、ほとんどそっくりな見た目でこいつらは明らかに「前世」「来世」の関係だろうと思えるようなキャラクター達が何組か登場します。

 しかしその一方で、アテム(闇遊戯)だけがいわゆる転生や生まれ変わり的な意味での「前世」「来世」とは全く関係のない世界観で描かれます。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 記憶の封印を解かれたあとアテムの魂は冥界(高次元シフトした世界)に還り、その世界が彼にとっての「来世」です。アテムは現代やその先の未来の時代に生まれ変わることはありません。現代にはアテムにそっくりな少年「武藤遊戯(以下、表遊戯)」がいますが、この表遊戯はアテムとは元々関係ない別個の魂を持った他人です。

 この記事では、なぜキャラクターごとに描かれ方の死生観が異なり、アテムだけいわゆる "転生" や  "生まれ変わり" の概念がないことになったのか、劇場版THE DARK SIDE OF DIMENSIONS(以下、劇場版DSOD)で海馬がアテムと出会った場所はどこなのかを考察していきます。

 

 

2.武藤遊戯はアテムの生まれ変わりなのか?

 本題に行く前にまずは前提の確認。「前世」「来世(生まれ変わり)」の関係にあると思われる神官セトと海馬、シモンと双六の例を確認し、それから最後にアテムと表遊戯をみていきます。


シモン・ムーランと武藤双六

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 上の場面は若かりし日の双六がエジプトで王墓に進入し、千年パズルを手に入れたエピソードのワンシーンです。アテム(の魂?)が双六に向かって「シモン」と呼びかけ、手を差し伸べています。(この墓の主がアテムなのかは謎ですが、この直後に双六は千年パズルを発見します。)

 この描写は、双六がほとんどイコールシモンで同じ魂を持った生まれ変わりでなければ説明がつきません。

 ここで双六を助けたアテムは、後の本編に描かれた「記憶(闇のTRPG)の世界のアテム」……つまり記憶喪失中の闇遊戯が中に入ったファラオ……ではありません。おそらく当時のままの、いわば「史実通りの」アテムです。シモンと双六がそっくりであるように、当時のアテムも表遊戯とそっくりの姿をしています。

 


神官セトと海馬瀬人

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 原作者は、神官セトとキサラのくだりについて、海馬とブルーアイズの関係を語るうえで重要なエピソードであると文庫版のあとがきでコメントしていました。

 これは海馬がほとんどイコール神官セトで、同じ魂を持った生まれ変わりでなければ筋が通らない話です。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 原作者はキサラの魂=ブルーアイズが海馬を守っているような描写にこだわり続けており、「神官セトの魂にキサラが寄り添い守護している」というメッセージを込めています。

 その一方で、例えばこの「キサラと海馬」の関係性が、「神官マハードと表遊戯」の関係性には全く当てはまらないことは明白でしょう。(描写というか原作者の入れ込み方が偏っているので、神官マハードと闇遊戯ですら↑の関係性が当てはまるか微妙だが……。)

 


アテムには「生まれ変わり・転生」の概念がない

 結論ですが、ご存知の通り表遊戯はアテムの生まれ変わりではありません(設定上)。双六とシモンの描かれ方や、海馬と神官セトの描かれ方とは明らかに「死生観」が違います。

 なぜなら、表遊戯とアテムは途中から、それぞれ別々の魂を持ったまったくの他人として描かれているから。表遊戯の心の中に間借りしている闇遊戯が分離して、「もう一人の遊戯」ではなく「アテム」という別個の存在として冥界へ還ることが本作の結論部分であり、「自立」というテーマを表しているからです。だからこそ闘いの儀において、ブラック・マジシャンは明確にアテムのしもべとして表遊戯の前に立ちはだかりました。(もし冥界で神官セトと海馬が出くわし決闘する場合、どういうことになるのか気になります。)

 

 

3.劇場版DSODのラストシーンで、海馬はどこにたどり着いたのか…?

 

混在した死生観。「輪廻転生」と「来世での復活」

 原作本編において、シモンや神官セトの描かれ方の死生観は、いわゆる生まれ変わり……「輪廻転生」の考え方が採用されています。古代エジプト人である彼らが現代に生まれ変わった魂が双六や海馬であるという考え方です。(合ってる……よな?)

 その一方で、アテムに関しては古代エジプト的な死生観……「来世での復活」という考え方が採用されています。これは死者の魂が別な時代に生まれ変わるのではなく、冥界という別な世界(楽園アアル)に行ってそこで第二の人生が始まるという死生観です。古代エジプト人にとっての「来世」とは冥界での生活のことです。原作本編でアテムは最後に冥界へ還って行きますよね。

 劇場版DSODで描かれた「次元上昇」は、この古代エジプト人の死生観をSF的に再解釈したものと捉えることができます。アテムのいる冥界=次元シフトによってしか到達できない、遊戯や海馬たちの世界とは物理的な次元の異なる『 高次元の世界 』です。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社
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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 原作のラストシーンで冥界の扉をくぐったアテムが向かった先に、劇場版DSODは新たな解釈を与えました。

 つまり、映画のラストシーンで海馬がたどり着いた場所は冥界であり、原作本編でアテムが向かった先もまた冥界。アテムは冥界の扉をくぐったことで高次元シフトした。海馬はそれを科学の力で再現した。……という解釈で間違いないと思います。

(余談: 本来、" 高次元の世界"  とは単に物理的な次元が高い世界という意味です。4次元世界、5次元世界、それ以上……ともなるとしょせん3次元的な思考や価値観しか持たない我々には到底理解できない、描写することさえ難しい世界になってしまいます。そのためメジャーなSF作品のいくつかにおいて、高次元の住人は「人智を超えた文明レベルを持つ異星人(または未来人)」として描かれることが多く、それほど高度に発達した社会には飢餓や戦争は存在しない=高次元の住人からみると地球人(現代人)は  " 物理的・精神的に次元が低い "  というダブルミーニングになっているのですが、そこをストレートに「高次元の世界にアクセスできる・高次元の世界に行かせる価値があるのは、子どものように純粋な魂を持つ徳の高い人間(要は表遊戯やプラナたち)、あるいは高い意識を持つ人間(要は海馬)のみである」という一種の選民思想のようなニュアンスでプラナたちの言動や次元シフトを描いた映画DSODは、3次元以上の世界を扱うSF要素の描き方としては少し毛色の異なる作品であると思います。)

 

海馬がたどり着いた冥界に、神官セトやシモンはいるのか?!

 なるほど…… アテムだけが「前世」と「生まれ変わり」みたいな考え方とまったく別の世界にいるのは、1つの作品の中に異なる「死生観」が混在しているからなのか。

 

 ここで、一つの問題が浮上……。

 

神官セトの魂は海馬瀬人として生まれ変わって現代にいる(?)が、それとはまた別に、神官セトは冥界(高次元の世界)にも存在しているのか……??(シモンと双六についても)

 このマンガのキャラクターたちの描かれ方の「死生観」って結局どうなってるの??

 この問いに対し、表遊戯が現代にいてアテム(闇遊戯)が冥界にいるんだから、海馬が現代にいて神官セトが冥界にいても問題はないだろう、と我々は考えがちです。しかし表遊戯とアテムが別々の世界に同時に存在しているのは、彼らが元々別個の魂をもつ別人だ(という設定に途中からなった)からであって、同じことが神官セトと海馬に言えるでしょうか……。

 海馬はなぜブルーアイズに固執してるんでしたっけ……?  " 前世からの繋がり "  があるから、というニュアンスでしたよね。アテムから表遊戯へブラック・マジシャンの魂が受け継がれた(←はあ〜……??)ようなワケにはいかなくないですか……?

 原作者は劇場版DSODのパンフレットで『マルチバース理論』という単語を出しましたが、この「似たような歴史を持ち似たような人々が生活している宇宙が無限に存在しそれぞれの宇宙には自分のドッペルゲンガー =もう一人の自分 がいる、あるいは観測者であるそれぞれの人の認識の分だけそれぞれの宇宙がある」というような概念を持ち出したとしても、原作で海馬(武藤双六)は神官セト(シモン・ムーラン)と同じ魂を持った生まれ変わりのように描かれているのになぜアテムの死生観だけ「来世での復活」や「次元シフト」なのか(なぜアテムと表遊戯はまったくの別人扱いなのか)……というような作中の矛盾に対する回答にはなり得ないでしょう。

 

 

4.なぜアテムだけ「死生観」が異なってしまったのか?

 理由としては、途中で主人公「武藤遊戯」の設定が変更されたことが大きかったと思います。

 もともと「武藤遊戯」というキャラクターは「表と裏の人格をあわせ持った少年」という設定でしたが、王国編が終わりバトル・シティ編に入っていく辺りから「闇遊戯はじつは表遊戯の心の中に間借りしている別人」だという話しになりました。

 原作者は遊戯王という作品は最初から古代エジプトのファラオの関わる話しにしようと決めていた』と文庫版のあとがき語っていますが、なぜか「古代エジプトのファラオの話し」や「ファラオを主人公にしようと決めていた」と表現せず、『ファラオの関わる話し』というかなりフワッとした言い回しをしています(真の主人公は表遊戯だという話しになったとはいえ、闇遊戯=アテムは事実上の主人公なのに)。これは、連載当初は「武藤遊戯」をファラオにする予定はなく、闇遊戯は主人公である武藤遊戯が持つ人格の一つという設定だったので、そう言い回すしかなかったためと思われます。

 当初の本作は二重人格キャラとして表と裏の遊戯が互いを認知し共存していくような路線でしたが、原作者は『どのような形であれ、遊戯は「もうひとりの自分」と向き合い、真の「自立」を勝ち取らなければならない』と考えていたことを語っています。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 上のシーンはまさに、「最初はこういう風に描いていたけど、実は違ったんだよ(設定が変わったよ)」ということを杏子の心情と言葉を借りて読者に説明しているシーンと言えるでしょう。

 そうなると新たに考えなければならないのは、表遊戯が真の自立を勝ち取り、闇遊戯と別れたあと、闇遊戯の魂はどこへ行くのか……という部分です。それが『ファラオの関わる話しにしようと決めていた』→ファラオの魂を冥界へ還すという構想と結びついて、最終的に「ファラオである闇遊戯=アテムは本来の居場所である冥界に還っていった」という現在の形に落ち着いたのではないでしょうか。

 しかしそうなると一番気になるのは、変更前はどんなストーリーが想定されていたのか?という部分ですが……。

 

 

5.闇遊戯の失われた記憶は、表遊戯の「前世の記憶」だった?

 

(※この項は考察というより当ブログの妄想です。マジでなんの根拠もありません。)

 

千年パズルが「武藤遊戯」を選んだわけ。「墓を守る番人」としての闇遊戯。

 当初、闇遊戯と表遊戯は「前世の自分」と「今の自分」という設定で描かれる予定があり、武藤遊戯は千年パズルの封印を解いたことで前世の記憶が(一部)蘇り、前世の自分が目覚めている間だけ別人のようになる=闇遊戯……というようなストーリー案があったのではないでしょうか?(神官セトやシモンはこの「前世」の設定イメージを引きずって描かれている)

 パズルに封印されていたのは闇の力「墓を荒らす罪人を裁く力」で、番人の魂が現世に生まれ変わってくるのを千年パズルは待っていた(パズルが武藤遊戯を選んだ)。そして現代に蘇った番人は、人の心の領域を踏み荒らす罪人を「闇のゲーム」で裁く。心の領域にしまわれた宝は「友情」といったところでしょうか……?

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

"墓を守る番人もいれば …墓を暴く盗賊もいる"

 このシーンが描かれたのは、闇遊戯が実は古代エジプトのファラオだと発覚するよりはるか以前のモンスター・ワールド編。本作がカードバトル中心の長編をやり始めるより前のことです。注目すべきなのは、この時点で「番人」とは闇遊戯のことを指しており、闇遊戯と同じく千年アイテムを持つ「盗賊」闇バクラと敵味方で対のように描かれていたことです。

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『「千年パズル」が君を選んだのだ!三千年の時を待ってな…』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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『そしてその「力」が必要とあらば…我が血族にとりこむ……』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 上の画像は闇遊戯がファラオの魂であることを想定して描かれたシーンでは多分ないですよね。シャーディーはパズルの力の秘密を知りたがり、必要なら闇遊戯を三千年の墓守りの血族にとりこむとまで言っています。

 当初の闇遊戯が墓を守る番人だったからこそ『千年アイテムは王墓をあばき財宝を盗みだす罪人を裁くために生み出された』という設定が最初に描かれたのであり、そのステージである王墓は『盗賊を地獄へいざなう死と闇の遊戯』なのです。罪人を裁き罰を与える=罰ゲームです。

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『それらは古代の王に仕える魔術師達によって「王墓をあばき財宝を盗みだす罪人」を裁くために生みだされたもの…』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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『盗賊にとっては地獄へ誘う死と闇の遊戯場…』
(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 ファラオの記憶編において、当初の闇遊戯の「墓を守る番人」ポジションは王墓の警護団長として登場し盗賊王バクラと王墓で対決した神官マハードに移譲されています。このマハードというキャラクターはそういった設定の穴埋めとブラック・マジシャン誕生エピソードを消化するという、ただそのためのキャラであり、作者と物語の奴隷です。盗掘騒ぎの責任者という冴えないばかりの設定、ファラオに平伏するだけの希薄な人物描写、強引に挿入された盗賊王バクラとの対決シーンは「壁抜けの能力を持つ敵を王墓に閉じ込める」という極めて不自然な展開でした。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

↑ この矛盾と稚拙さに満ちた一連のシーンにおいて無能なのは作者でありマハードは生贄である。漫画として欠陥品のようなこの構成にGOサインを出した担当編集も作者と同罪と言わざるをえない。

 闇遊戯が元々はファラオでなく「墓を守る番人」だったということは、番人に仕えられる側の「ファラオ」にまつわる者として登場する予定だったキャラクターが闇遊戯の他にいたかもしれないということになるのですが……私はマリク・イシュタールこそが最初はファラオ(の生まれ変わり?)として登場する予定でデザインされたキャラクターだったのではないかと想像しています。

 

元々はマリクが「ファラオ」として登場する予定だった?

 「マリク」アラビア語を意味します。ファラオへの反逆児・復讐者として自分で勝手にそう名乗っている通称という設定なら分かるのですが、王に仕える墓守り一族の少年に「マリク(王)」と名付けられているのは設定としてかなり不自然です。

 登場初期のマリクは「ファラオであるアテム」と同じようなデザインの王冠を身に付けていますよね(アテムの王冠は髪型に負けないよう更に派手なデザインになっています)。これは最初に起こしたデザインをそのまま使っていたからではないでしょうか。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 つまり、千年ロッドに宿った「闇マリク」こそが三千年前のファラオの魂だったのでは……?という想像です。(それも「父親」や「教師」など権威者を悪役にしたがる原作者の傾向からして、圧政を敷くタイプの悪いファラオ)

 番人だった闇遊戯がファラオになったので、ファラオだったマリクが番人の一族の末裔として本編に登場した。(想像)

 元々マリクの設定は不自然な点が多く、遊戯や獏良と同じに千年アイテムの所持者で二重人格であるにも関わらず、なぜかマリクだけが「トラウマによって自分の中に別人の人格を作り出してしまう」という本来の意味での多重人格者として扱われています。もともとの設定では闇マリクも「千年ロッドに宿った闇の人格」だったと考えればつじつまが合うのです。

 現代のエジプトでは王朝は断絶していますが、ファラオの一族の血を引く人がどこかに生きていたとしてもおかしくはないように思えます。元々の設定だと表マリクはファラオの血族かなにかで、現代にファラオの力を蘇らせようと考えているキャラクターとかだったのではないでしょうか。(想像)

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社
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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 そもそも墓守りの一族としては先にシャーディーというキャラクターが登場しているのに、それとは全く別の系統として設定の被る似たようなキャラクターを登場させるのはやはり不自然に思えます。

 もしマリクがファラオならイシズはファラオの姉、リシドはファラオに仕える従者のような属性のキャラクターだったのかも分かりません。(リシドは神官マハードの原型か…?ぶっちゃけ主従関係にあるキャラ同士としてはアテムと神官マハードよりマリクとリシドの方がよほどしっかり掘り下げられている。)

(※ここまで全て妄想)

 


6.まとめ

 これらはすべて推測です。確認する手立てもありません。(ストーリーの構想を考えついた時期などは原作者本人ですら記憶が曖昧になっている可能性あると思います。)

 しかし、私はアテムの描かれ方の「死生観」だけが本作の中で奇妙に浮いている理由を考えたとき、前述のような紆余曲折の経緯を想像(妄想)せずにはいられないのです。

 

おわり

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