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M&Wを象徴するキャラクター、ブラック・マジシャンの考察と紹介【遊戯王 アニメ 漫画 原作 DM 感想】

 

 あまりにも有名かつ古株キャラすぎて今更感ありますが、ちょっと突っ込んだところまで書いてみました。 OCGではなく、原作マンガやアニメにおけるキャラクターの考察と紹介です。

 

1.概要。「ブラックマジシャンに似ている、他作品のキャラを思い浮かべてみる」 

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 いわずと知れた遊戯王主人公・武藤遊戯(とくに闇遊戯)のエースモンスター

 ライバルの海馬瀬人は超王道の青眼の白龍ブルーアイズ・ホワイト・ドラゴン、以下ブルーアイズ)という誰がどう見てもカッコ良くて強そうなモンスターを使う一方で、主人公の遊戯が使うのはRPGの悪役の魔法使いのような見た目のブラック・マジシャン。

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社
  戦うモンスターのモチーフとしてどちらがよりストライクゾーンが広いかなど比べるまでもありません。ふつうに考えたら真っ白なドラゴンの方がカッコ良いし美しいに決まってます。 そこであえて、ブラック・マジシャンの方を主人公のエースとして立てたところがカッコ良いってことかなと思います。
 魔法や罠カードとのコンボで自身より攻撃力の高いモンスターとも互角に戦えるブラック・マジシャンだからこそ、主人公のエースに相応しいのです。

 出てきた瞬間一発で魔法を使うキャラだと分かるトンガリ帽子に杖というオーソドックスな「魔法使い」スタイルながら、ブラック・マジシャンは奇術師や手品師のトリッキーなイメージも併せ持ちます。
 初期を代表するコンボ技である「千本ナイフ」「死のマジック・ボックス」「マジカルシルクハット」などは明らかに手品やマジックショーを連想させるカード。
 
 ブラック・マジシャンの「マジシャン」は、魔法使いと奇術師のダブルミーニングです。

 原作者の卓越したネーミング、デザインセンスもあいまって、ブラック・マジシャンに似ている遊戯王シリーズ以外のキャラを思い浮かべろと言われてもすぐにパッとは思いつかないほど、このキャラの唯一性と独自性は未だに群を抜いています。(当ブログが知らないだけでふつうに似てるキャラいたらすいません)
 
 

2.戦闘スタイル。「魔法使いが奇術を繰り出して戦うという倒錯」

 ブラック・マジシャンは英語圏では名前が異なり DARK MAGICIAN となりますが、英語で奇術師をMagician と呼ぶのは、タネが分からないそのトリックがあたかも魔法のように見えることからだそうです。でもブラック・マジシャンは魔法使い。トリックとかではなくマジでなんのタネも仕掛けもありません、そういう魔法です。 

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 この不敵で妖しげな戦闘スタイルは、相手のふいをつき戦況を一気にひっくり返す闇遊戯のプレイスタイルそのものです。
 ダーク・ウィザードとかブラック・メイジとせずにあえて『マジシャン』という言葉を選んで魔法使いと奇術師をかけたネーミングと必殺技の数々に、原作者の非凡なセンスを感じます。
 
 

3.外観。「その帽子どうなってんの?」

 ブラック・マジシャンのデザインてワケわからなくないですか?よく見るとへんな格好してますよね。でもなんか無性にカッコいい

 これはデザインそのものが洗練されているからに他なりません。ある種のダサさ、抜け感があり、だから時代によって変わる流行にさほど左右されず、初登場から20年以上経った今でもそのデザインは色褪せません。魔法使いのフードを意匠化したようなその頭から胸元まで全てが一体化した意味不明にカッコ良いデザインをよく考えついたなと思います。

 このデザインは真正面よりも真横やななめ側から見た時に、独特の美しいシルエットが際立ちます。 

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社
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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 これまで、ブラック・マジシャンの外観はその名に反して青や紫で表現されてきました。原作者によると、これは絵全体が暗くなってしまうのを避けるためだそう。2016年に公開された劇場版「THE DARKSIDE OF DIMENSIONS」 では原作者の元々のイメージに近いというカラーリングで再登場したブラック・マジシャンを見ることができます。 

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 

 4.ブラック・マジシャンの活躍

 アニメしか見たことのない方は意外に思われるかもしれませんが、初めの頃のブラック・マジシャンは端役のいちモンスターでしかなく、遊戯の切り札はそろったら即勝利が確定する「封印されしエクゾディア」でした。 

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 ブラック・マジシャンが本格的に活躍し始めたのは王国編から。

 明確にエースモンスターとして扱われだしたのは王国編よりさらに後のバトル・シティ編導入部分からになります。

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

  DEATH-T編のラストで登場したエクゾディアのカードは、一つ一つの力は弱くとも、バラバラのピースが一つに合わさった時それは何よりも強い力になる=「友との結束の力」というテーマが非常に分かりやすかったのですが、カードゲームが話しの中心になってからの本作では絆や友情といったテーマを視覚的に分かりやすく表現することが難しくなりました。だって読者の視覚に最も強く訴えるのはカッコいいorかわいいモンスター同士の殴り合いだしどんな理屈をくっつけようが本来、カードゲームの強さとはカード自体の性能とプレイヤーの頭脳。マジック&ウィザーズ(デュエルモンスターズ)は基本的に1対1の個人戦だから。

 
 そこで出てきたのが、プレイヤーとカード(のモンスター)との間にも絆があるという論法。バトル・シティ編のVS奇術師パンドラ戦、ブラック・マジシャン対決です。 

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社
 ブラック・マジシャンの攻撃力は2500しかなく、生贄を2体も要求し、特殊能力(モンスター効果)も耐性もない。このカード自体の単体での性能はそれほど高くありません。奇術師パンドラはイカサマも含めてこのブラック・マジシャンを完璧にデッキのメインに据えており、闇遊戯の魔法使い&戦士モンスター混合デッキよりも遥かに洗練された専用構築と優秀なブラック・マジシャン専用サポートカードを駆使して闇遊戯を苦しめます。しかし最後はしもべの信頼を裏切ったことで敗北しました。
 このブラック・マジシャンとの絆を武器に闇遊戯がバトル・シティを勝ち抜いていくことこそが、決闘者の強さとは単なるカードの性能や冷酷さではなく絆の力、” 自分とカードを信頼し合えるか ” であることの何よりの証明になったのです。(過去形) 

 

 

5.エースの看板

 もともと原作でのブラック・マジシャンは「エース」や「切り札」というより使い勝手の良い主力モンスターとしてザコを掃討する役割が多く、重要な局面では意外性のあるクリボーや、ブラック・マジシャンの上位派生モンスターであるマジシャン・オブ・ブラックカオス、超魔導剣士ブラック・パラディン、そして神のカードであるオシリスの天空竜などが活躍してきました。ブラック・マジシャン単体でフィニッシャーとなったメイン回ともなると原作では1度もありません。(追記:ブラックカオスやパラディンはブラマジが魔法カードとのコンボでフィニッシュを飾ったメイン回に実質カウントしていいと思います。)

 とはいえ、本格的にブラック・マジシャンをエースとして扱いだしたバトル・シティ編やファラオの記憶編において、上記は的を得た回答にはなり得ないでしょう。彼は主人公のエースモンスターという看板を原作者によって背負わされましたが、実際の扱いとして、製作側がより重要視してきたのは彼以外の人気モンスターたちであることは瞭然です。

 結論を言うと、全ての遊戯王作品を象徴する最強モンスターはブルーアイズ圧倒的な人気知名度を誇り、登場枠や作画の力の入れ所、グッズ化等で最優先されるのはブラック・マジシャン・ガール。そして闇遊戯デッキの最後の切り札ともいえる最強のしもべはオシリスの天空竜なのです。

 

遊戯VS海馬…永遠に勝てないライバル?  

 ブラック・マジシャンがブルーアイズのライバルと言われるのはマスターである闇遊戯と海馬がライバル関係にあるからに他ならず、モンスター同士の力関係だけを言うのであれば「ライバル」という響きは形骸化しています。

 攻撃力3000のブルーアイズに対し、ブラック・マジシャンは攻撃力2500しかありません。

基本的に、エースモンスター同士の正面衝突になればブラック・マジシャンに勝ち目はありません。よしんば魔法や罠を駆使してブルーアイズを倒せたとしても、返しのターンで海馬があっさり2体目のブルーアイズを召喚、遊戯の手札やフィールドには迎え撃つ魔法も罠もない。そうなった時、ブラック・マジシャンは自らの攻撃力2500でライフへのダメージを相殺し、マスターの盾となって散るしかないのです。 

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 ブラック・マジシャンは、"ただ攻撃力の高いモンスターを出せばいいというものではない" というM&Wの醍醐味てきな部分を象徴するモンスターです。そこには、攻撃力で劣るモンスターが魔法・ 罠とのコンボを駆使して自身より攻撃力の高いモンスターを倒していくという下克上のカタルシスがあります。しかし同時に、高攻撃力モンスターに上から殴られなすすべなくやられてしまう悲哀をも背負っています。

 そして海馬は最強モンスターであるブルーアイズを完璧に使いこなし実力は闇遊戯と拮抗していますが、公正なデュエルで闇遊戯に勝利したことは一度もありません。なぜなら、海馬は己の力しか信じず最強に固執し、他者との信頼や情や自身の命すらも軽視するキャラだったから。奇術師パンドラの敗因と根っこの構造としては同じです。大局的に見ると遊戯は『友の力』『自分とカードを信頼し合えるか』で海馬のパワーデッキを下し、その戦線を支えるのがブラック・マジシャンを筆頭とする主力モンスターたちなのです。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 この絶妙なパワーバランスは、本編において闇遊戯と海馬を対等なライバルたらしめていた大きな要因の一つでしょう。海馬のようなキャラは一歩間違うと「主人公に毎回つっかかってくるが永遠に勝てない自称ライバル」のような冴えない扱いになってしまいますが、実際の海馬にそうした印象を持っている読者はあまりいないと思います。これはひとえにブルーアイズという絶対的なエースモンスターの使い手であること、そのエース同士の直接対決であれば海馬は必ず闇遊戯に勝利していることが読者の印象に強く残っているためです。(※ドラゴン族メタのブラック・パラディンを除く)

 上記のスタンスはファラオの記憶編においても頑なに貫かれています。神官セトと神官マハードの露骨な力関係や、ファラオと神官セトとのあまりに呆気ない決闘シーンの描かれ方においてすらそれは顕著です。

 

魔法使いの弟子「ブラック・マジシャン・ガール」

  デュエルに参加できないヒロインの代わりに、バトル・シティ編から満を持して投入された新しいタイプのヒロイン、ブラック・マジシャン・ガールは、その他に類をみないほど完璧な愛くるしいデザインで読者を虜にし、瞬く間に大人気キャラの一角となりました。

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 時期を同じくしてデュエルのルールが変更され、レベル7以上のモンスターは召喚しにくくなっていきます(ガールはレベル6)。そして「デッキの切り札となる高レベルモンスター」としては神のカードであるオシリスの天空竜が台頭します。
 これらが重なった結果、ブラック・マジシャンは出番が激減。皮肉にも、正式にエースとして扱われ始めたバトル・シティ編より以前の方が明らかに出番が多かったという逆転現象が起きてしまいました。 

 それまでブラック・マジシャンが担ってきた、ザコを掃討する役割、中間の見せ場は全てブラック・マジシャン・ガールに移譲されていきます。普通であればここでエースが交代する流れですが、しかしそこは伝統的な少年マンガ。いくら読者人気が圧倒的だとはいえ「かわいい女の子増やせ」ということで投入された美少女萌えキャラであるブラック・マジシャン・ガールが主人公のエースってさすがに格好がつかないし、ライバルのブルーアイズとは張り合えません(かわいさでは圧勝だけど)。オシリスの天空竜は「神」という特別な属性のため、そう毎回呼び出すこともできません。そもそも童実野美術館の石板レリーフ黒き魔術師(どう見てもブラック・マジシャン)を描いてしまった以上、その伏線を全く無視することもできません。ではどうするのか? 

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 そこで編集と原作者は、ブラック・マジシャンを出す時には人気キャラのブラック・マジシャン・ガールも必ずセットで登場させ師弟キャラを確立させることで、この問題をとてもスマートに解決しました。「単体では力の弱いモンスターを連携させて強敵を倒す」という決闘の流れはこれまでの闇遊戯のプレイスタイルと相性抜群で、作品テーマとの兼ね合いも非常に良かったと思います。 

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 キャラクター商売としては当然のことながら、この人気至上主義アニメシリーズにおいても同様です。師匠と弟子、この2人のキャラクター間で作画のクオリティそのものや動きの付け方の凝りよう、アニメオリジナル回における登場頻度の差があまりにも歴然としているため、もはや可愛い弟子を描くことの方がメイン。 ガールのやられシーンは異常にこだわって描くが師匠の召喚演出は大体ふつうかテキトーで、作画は重要な回ですら崩れている。

 こうした扱いの差は視聴者側にも当然伝わりますし、その後の人気にも大きく影響します。

 

切り札にして最強のしもべ

 闇遊戯はブラック・マジシャンについて、よく「俺の切り札にして最強のしもべ」という言い方をします。しかし原作やアニメ本編での実際の扱いとして、闇遊戯のデッキにおける最強の切り札は神のカードであるオシリスの天空竜です。闘いの儀で表遊戯を迎え撃つため最後に召喚されたモンスターもオシリスの天空竜でした(その決闘でブラック・マジシャンが何をしたかというと、表遊戯のマシュマロン1体を撃破しただけ。これはアニメ版でかなり補足されました)。

 ストーリー上の意味合いを考えるなら、サイレント・マジシャンと相討ちも取れずあっけなく散ったブラック・マジシャンが最後にまた出てくる展開もあり得るし、死者(神官マハード)の魂が宿っていると思われるブラック・マジシャンを墓地から蘇生しようとしてそれを表遊戯に阻まれる方が「死者は蘇ってはならない」という示唆に富んでいると思います。(二人とも本来冥界に還るべき人々なので、マハードを絡めてもアテム本人へのメッセージが薄れることはないと思います)

 しかしあの場で優先されたのは神のカードを出す=オシリスの天空竜を描く、ということ。

 もちろん、カードゲームとしての面白さ、プレイングの問題(ただブラック・マジシャンを蘇生しただけではサイレント・マジシャンを迎え撃てない)、読者や視聴者をあっと言わせるスリリングなゲーム展開を優先するとしたらそこはブラック・マジシャンではなくオシリスの天空竜で大正解だと思います。最後の切り札が出てきた! 感の演出としては、ブラック・マジシャンが再登場してくるだけでは全くインパクトに欠け、決闘の展開が締まらないのです。

 しかし遊戯王って元々はカードゲームを描くための漫画ではなく、ゲームを通してキャラクターの背景や心情を描く漫画、デュエルの戦略等はあくまでストーリーを描写するための小道具だったはずではないですか?(だからこそあの言ったもん勝ちみたいなグダグダの素人ルールが許されていた)

 オシリスの天空竜が闘いの儀などでラストを飾ること自体なんらおかしくないと思うのですが、『自分とカードを信頼し合う』というようなフレーズでエースの看板を背負わせてきたブラック・マジシャンの、肝心の決闘シーンでの活躍がそこまでパッとしたものではない、闇遊戯とカードたちとの絆や信頼を象徴する役割を果たせてもいない(そして結局は蹴散らされて終わる。はっきり言って、表遊戯のサイレント・マジシャンを引き立たせるお膳立て役で終わっている)のに、ラストシーンで大型のいかにも強そうな  “ 映える ”  モンスターを登場させることで強引に展開を締めるのは、マンガとして筋の通った描き方ではないと思います。(原作でブラック・マジシャンが象徴的な役割をきちんと果たしていたのはvs奇術師パンドラ戦と、ブラック・パラディンの回くらい…?)

 次作アニメシリーズのGX最終回、十代とのデュエルでブラック・マジシャンはE・HEROネオスと相討ちします。このデュエルでは明確に、ブラック・マジシャンとネオスは各々のデッキの象徴であると語られました。そして十代はそのネオスで再び挑んでいくのに対し、闇遊戯は「黒魔族復活の棺」というブラック・マジシャンのサポートカードとのコンボでオシリスの天空竜を召喚しました。

 海馬は神を生贄にしてまで自身のエースモンスターをあえて召喚するという意地とプライドを見せた一方で、カードと信頼し合うとか友の力とかを決闘に持ち出す闇遊戯は魂のエースカードを召喚するかに思わせたタイミングであえて神を召喚するという、ここでも奇妙な逆転現象が起きてしまいました。

 

人気至上主義

 ストーリーの進行に絡んで、エースモンスター(フェイバリットカード)が二枚看板になっていく流れはよくあります。同じ遊戯王シリーズの十代ならネオスとユベル、万丈目ならアームド・ドラゴンとおジャマなどで、これらはストーリー上必然性のあるものとして筋が通っているため違和感を持つファンはほぼいないと思います。

 商業的には主人公は一つのモンスターに固執せず色々なモンスターを使った方がよく、主人公の看板モンスターが1体だけではとても間がもちません。だからこそ闇遊戯はカオスソルジャー、バスター・ブレイダー、オシリスの天空竜、そして華を添えるブラック・マジシャン・ガールなど様々なエース級モンスターを駆使して戦ってきました。それはマンガやアニメが娯楽作品であり人気商売である以上、必要なことです。

 しかし結果として、ブラック・マジシャンというエースモンスターは良くも悪くも(他のモンスターの方が非常に人気が出てしまったのでなおさら)エースって設定だから配慮するけど他の人気キャラが優先だよというような扱いしか受けてきませんでした。ただでさえバトル・シティ編からエースを名乗るようになった(闇遊戯が  “ ブラック・マジシャン使い ”  という設定になったのは途中から)という背景があるのに、出番は全体から見ればむしろ少なくなり、公式からのプッシュがブラック・マジシャン・ガールなどの他のキャラクターに偏っていたのは致命的です。だからラストは切り札のオシリスでないと締まらないし、人気のためにはガールをもっと目立たせろというような話しにいつもなる。(それでも原作の要所で召喚されてきましたし、アニメや劇場版では大分補足やリスペクトしてもらってますが)

 ブラック・マジシャンはエースを名乗ってはいるけど、実質的な中身が100%完全に伴っているかと聞かれたら、私は完全に自信を持ってもちろん!と主張することはできないです。

 原作者含め、製作側がそこまで真剣にこのキャラクターを立てていないというか、主にはアリバイ的な台詞での説明で済まされる傾向にあります。ようやく描かれた神官セトとファラオの決闘で白き龍は神と同等かそれ以上の扱いを受ける一方、黒き魔術師はあっけなく蹴散らされ単なる壁モンスターのような扱いで、最後は白き龍(=ブルーアイズ)のいわば擬人化キャラクターであるキサラとかがメインキャラの仕事をして終わり。アニメオリジナル回では闇遊戯のデッキマスターをあえてクリボーにしてみたり、遊戯たちにコンタクトを取ってくる橋渡し役がなぜかブラック・マジシャン・ガールやマナだったりと……。そんなだったらもうブラック・マジシャンにエースとかの看板をむりに付けずに「闇遊戯が特に主力で使うモンスターたちの中の一体で、一番の古株(どれをエースとして挙げるかは好み)」くらいのままにしておいた方がよかったような…?(異論はめっちゃ認めます…)

 「闇遊戯が最も信頼するモンスター」という設定も、そういう設定の説明だけ、あるいはブラック・マジシャンは忠誠心の強いキャラクターであるという一方向の描写で終わっています。そのルーツとしてファラオの記憶編では「神官マハード」というキャラクターも登場しましたが、闇遊戯(ファラオ)から信頼を返すとか絆を結ぶとかまで描写が到達しておらず、ただエピソードを消化することとモンスター同士の殴り合いに終始している印象でした。(ファンは正直なので、当時この神官マハードというキャラクターは散々な言われようでした)

 しかし、おそらく原作者にはその様に描かれていた心当たりなどなく、呑気にもキサラと神官セトのくだりが心残りだとか言っている。

 

 若干キャラクターへのディスみたいになってしまい心苦しいのですが、これはキャラクターや作品そのものへの叩きなどでは決してなく、手っ取り早く客を釣れる人気キャラや作者のお気に入りキャラを前に前に出して読者や視聴者が喜んでいればそれでいい、マンガやアニメの話しとして筋を通すこともしない、現金な人気至上主義、無神経な制作態度に対する批判であることをご理解いただきたいのです……。

 

 

6.M&Wを象徴するモンスター

 遊戯王のカードゲームを指す名称としては、アニメやOCGで広く普及した「デュエルモンスターズ」が一般的と思います。しかし、原作のマンガでは別な名称が使われ続けていました。その名も「M&W(マジック・アンド・ウィザーズ)」。

 アニメやOCGしか馴染みのない方が最初にこの名称を聞いたら、若干 え? と感じると思います。なんで「魔法使い」限定みたいな名前?(ぶっちゃけ、マジック:ザ・ギャザリングのパクr…オマージュだからなんですが)その理由は、原作にカードゲームが始めて登場した時のルール説明の中にあります。

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 

“プレイヤーはお互い魔法使いっていう設定” 

 

 つまり、「M&W(マジック&ウィザーズ)」のウィザーズとはモンスターではなく、対戦している二人のプレイヤーを表しているのです。「デュエルモンスターズ」との大きな違いはそこだと思います。

 この最初期のM&Wにはモンスター効果、つまりモンスター自身が持つ特殊能力の概念がなく、全てのモンスターが効果を持たない「通常モンスター」でした。魔法使いである2人のプレイヤー(ウィザーズ)は魔法の力(マジック)によってこれらの通常モンスターを召喚し、手持ちの魔法カードで通常モンスターをサポートしながら戦うのです。

 もちろんプレイヤーが魔法使いであるといった設定は今では自然消滅しているのですが、この「通常モンスターを魔法(と罠)カードでサポートしながら戦う」という、現在のアニメシリーズやOCGからすれば化石か古代遺産のような戦術を未だに受け継いでいる有名なデッキテーマがあります。

 

はい、「ブラック・マジシャン」デッキです。

 

 デッキに名を冠するモンスターが通常モンスターであるという点はブルーアイズやレッドアイズも同じです。しかし、その通常モンスター自身が(強力なエクストラモンスターを召喚するための素材やコスト等としてではなく)あくまで攻撃の主体となっており、その主体である通常モンスターを魔法や罠で直接サポートすることが主な勝ち筋の一つとなっているデッキで有名なのって、今現在で生き残っているのはブラック・マジシャンデッキくらいだと思います。(あとは融合メインならネオスとかおジャマ? 他にもあったらすいません!)

 最近のOCGでは専用の魔法カード「師弟の絆」が新たに登場し、ブラック・マジシャンとブラック・マジシャン・ガールが自分フィールドにいる場合に相手フィールドのカードを全て破壊する「黒・爆・裂・破・魔・導/ブラック・バーニング・マジック」等の強力な魔法カードを打ちやすくなりました。

 魔法カードと魔法使い族モンスター達とのコンボで相手を絡め取る大胆な戦術は、M&W(マジック&ウィザーズ)というゲーム名の本来の意味が失われた現在において、奇しくもそのゲーム名を象徴しているかのようです。

 

 

7.まとめ

 遊戯王がカードゲーム中心のマンガとして舵を切ったのは、読者人気を何よりも重視するジャンプ編集部の方針でもあったと思います

しかし、そのカードゲームが中心になる以前から作品の根底を貫いている「結束の力」というテーマと、決闘者が一枚一枚選び抜いて構築した自分のデッキ・自分のカード達を信じて戦い抜く姿が見事にシンクロしていく様は、まるでバラバラだったパズルのピースが噛み合っていくようでした。

 そして、ブルーアイズでもなく、レッドアイズでもなく、単騎では弱いが魔法罠カードやブラック・マジシャン・ガール等の派生モンスターとのコンボ = 結束の力で自身より攻撃力の高いモンスターに立ち向かう「ブラック・マジシャン」をあえて主人公のエースに立てたことそのものが、この作品全体のテーマを象徴しているのでした。

 

おわり

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