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二次元と結婚したい人生

漫画、アニメ、映画大好きな管理人によるレビューや考察。

【BORUTO -ボルト- 】 1~5話感想まとめ「脚本仕事するな。」 【NARUTO - ナルト - 】



※本誌の内容に対して、やや辛めな感想があります!NARUTO好きゆえのちょっとしたグチみたいなものですが、そういったノリの苦手な方はご注意くださいね!

 

 

 

脚本担当はそもそも必要?

 あの伝説の読み切りを描いた「池本幹雄」に、脚本担当が必要だったのか。

 ぶっちゃけ要らなかったんじゃね……?^^;;;

 第1話目からして、冒頭のモノローグに何ページも割いて非常にもったりとした印象。もうこの時点で半数近くの読者は興味を削がれますよ…。モノローグ自体にキレがあって引き込まれるとかならまだしも、ただのあらすじ説明だし…

 池本幹雄先生は元々、読切り作品の評価はすこぶる高かったが当時絶賛連載中だったNARUTOのチーフアシスタントを辞めるに辞めれず自分の作品を連載するには至らなかったとかいう伝説の新人です。作風は癖があり、読み切り『COSMOS』もかなり退廃的でトガった雰囲気でした。

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↑ 伝説の読み切り『COSMOS週刊少年ジャンプ1997年30号、1999年20号)』の主人公、バド・ワイザー。ズバ抜けた作画センスはこの頃から顕在!セリフ回しにも独特の個性が光ります。

 そこで、今回は脚本担当をつけることで手癖を抑え、トゲも個性もない、誰にも受け入れられる「正しいNARUTOの続編」を描かせたかった…という編集側の思惑は、正直、分からないでもないです…。

 マンガだって人気商売ですからね。こんなのNARUTOじゃない!」と往年のファンから総スカンを食らってしまうリスクを冒したくないのは、それはよく分かります。

 でも、あの伝説の読み切りを描いた天才マンガ家の才能を潰してる気がして、なんかやるせない……。もういい加減、池本先生をNARUTOに縛り付けるのはやめようよ……

 これでマンガ版BORUTOが面白かったら、まだ救いはありますよ。本誌で1話から5話までを読んできましたが、総スカンを食らうことはないだろうけど、特別相手にもされない、ザ・無難な内容で、平坦なストーリー。正直、びっくりするほど面白くないです。

 「親子劇」と言えば聞こえはいいけど、話の核心がナルトとボルト2人の内輪話だけでほとんど完結してしまって、せっかくの新キャラもほぼ "いるだけ" の状態。主に前作のごく一部のキャラだけが活躍し、絵に描いたような悪役をぶっ倒して終わりのバッサリ勧善懲悪ストーリー。誰と誰が結婚してこんなキャラ生まれましたみたいな、まるで同人誌のようなカジュアルなネタに終始していて、元々の映画の脚本自体けっして完成度は高くない。

 NARUTOのアニメ映画は派手で格好良いバトルシーンありきですから、映像にして2時間足らずで終わる内容を連載用に引き伸ばしただけでは、いくらなんでもマンガとして薄すぎます。中忍試験はナルト達の時に比べたらお遊びくらいぬるくなって、コミカライズではもう少し練ってくるかと思えばそのまんま…。

いったい読者をなんだと思ってるんだ(怒)

 そもそも!こういうのは一発ネタのお祭り映画だからこそ楽しいんであって、コレをそのまま本誌で連載しようなんて感覚がマトモじゃない。NARUTOというコンテンツを終わらせたくないがために、蛇足でしかない同人誌の内容を商業ベースでやってしまう今のジャンプ編集部…。

 頼むからしっかりしてくれよ……

 

バトル漫画のお約束をくつがえしたキャラ

  話が佳境に入るとシリアス一辺倒になりがちなバトルマンガに、ギャグキャラの存在は不可欠ですよね!

 バトルマンガにおける一つの "古典パターン" として、いわゆる展開上の犠牲」「どうしても誰かが負ける必要のあるシーン」を適当なギャグキャラに振って、おトボけでお茶を濁すというのがあります。

ドラゴンボール鳥山明はあえて露骨なギャグを一切挟まず、サブキャラをバンバン殺しまくって緊迫感を出し、生き残ったメインキャラを鼓舞させるという手法をとっていました

 しかしNARUTO原作の岸本斉史は、ギャグ担当として登場してきたロック・リーと、当時の最強キャラだった我愛羅まあコイツが予選で負けるわけがない)を真正面からぶつけた上で熱いバトルを展開し、あえてシリアスにまとめあげました。

 ロック・リーは、バトルマンガでのギャグキャラの扱いとしては、古典パターンの真逆をいくキャラだったんです。基本はギャグだけど根っこはシリアス。それが熱かったわけです。

 で、息子のメタル・リーはその古典パターンに戻っちゃった。

 尺の関係もあるし、サブキャラまで全員まんべんなく活躍するなんてことはまず無いんだから仕方ないだろ…みたいな話ではないんです。そこにリスペクトがあるか、「このキャラを読者に好きになってもらいたい」という熱意があるか無いかの問題です。

 

母親の設定なし。その理由とは?

  ロック・リーの家柄や親兄弟の描写は作中に一切ありません。息子とされるメタル・リーですら、母親の設定などは一切なし。いったい、なぜ??

 「努力の天才」に血統は関係ないからです。

 どこの家の誰の息子だろうが、その人自身が努力して身に付けた力であることが重要だからです。むしろ、血統とか遺伝の要素が入ったらダメなんです。

 才能はなくとも努力して、ボロボロになって刀折れ矢尽きるまで戦ってそれでも負ける救いようのなさ、努力をしたからといって必ずしも報われるとは限らない、一生報われないかもしれない、それでも努力し続けられることのカッコよさ。主人公として勝利をつかむ運命にあるナルトには振れない役割を、ロック・リーが補っていました。

 クリリンの立場の人を主人公にしたい生まれながらにエリートの血を受け継いだサイヤ人ではなく)という、原作者・岸本斉史の描いた元々のコンセプトを、ナルトに代わって最後まで体現し続けていたのはロック・リーです。

 そのロック・リーの息子キャラが、本誌でまさかのお茶濁し係り。

3人同じ衣装でキャラデザと作画は省略 ♪ よりまだ誠意はあるかもしれないけど、コミカライズまでしておいて「設定ありませんww」で誤魔化し通そうとするのもどうかと思う。)

 本誌では映画の先の展開までやるつもりだから序盤はあえてサゲているのか、単に脚本担当の小太刀右京がアレなのか……

 同じ脚本家が手掛けたノベライズで「体術の名門リー家」とかいう記述が出てきた時はさすがにため息が出ました。はあ、、、ロック・リー自身が「 エリート(血統主義の権化)」の仲間入りしてどうすんだよ、、、天才に対して「英才」って上手いこと言ったけど現実は二次試験落ちだし……一代にして名門(由緒ある家)ってのもちょっと変だし……そもそもロック・リーって「家」と呼べるような家族が他にいるかすらもよく分かってないキャラってことを踏まえた上での描写なのか…??

 多分、この脚本家はファンサービス精神が旺盛か、本人がNARUTOのファンなんだと思います。

 確かに、ロック・リーの努力と実績が周囲に認められ名門としての扱いを受けるに至ったなら、ファンとしてはもちろん喜ばしい限り!100年後とかの世界が舞台であればの話ですが。




 …とはいえ、あんまり作品や制作側をディスるような感想をおおっぴらにするのはよくないです。こんなことを書いてる自分もどうかしてるし、これを読んで気分を害された方もきっといると思います。こんな記事は、知ったかぶりの偏狭なオタクの戯言です。

ごめんなさい!

でも本音なんだよーーー!!!

ごめんっ!!!(焼き土下座)

 

☆☆ ↓ 明るい話題(第5話感想)はこちらからどうぞ!! ↓ ☆☆

rootm.hatenablog.com

☆☆ ↓ メタル・リー登場回、第3話はこちら ↓ ☆☆

rootm.hatenablog.com

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