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M&Wを象徴するキャラクター、ブラック・マジシャンの考察と紹介【遊戯王 アニメ 漫画 原作 DM 感想】

 

 あまりにも有名かつ古株キャラすぎて今更感ありますが、ちょっと突っ込んだところまで書いてみました。 OCGではなく、原作マンガやアニメにおけるキャラクターの考察と紹介です。

 

1.概要。「ブラックマジシャンに似ている、他作品のキャラを思い浮かべてみる」 

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 いわずと知れた遊戯王主人公・武藤遊戯(とくに闇遊戯)のエースモンスター

 ライバルの海馬瀬人は超王道の青眼の白龍ブルーアイズ・ホワイト・ドラゴン、以下ブルーアイズ)という誰がどう見てもカッコ良くて強そうなモンスターを使う一方で、主人公の遊戯が使うのはRPGの悪役の魔法使いのような見た目のブラック・マジシャン。

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社
  戦うモンスターのモチーフとしてどちらがよりストライクゾーンが広いかなど比べるまでもありません。ふつうに考えたら真っ白なドラゴンの方がカッコ良いし美しいに決まってます。 そこであえて、ブラック・マジシャンの方を主人公のエースとして立てたところがカッコ良いってことかなと思います。
 魔法や罠カードとのコンボで自身より攻撃力の高いモンスターとも互角に戦えるブラック・マジシャンだからこそ、主人公のエースに相応しいのです。

 出てきた瞬間一発で魔法を使うキャラだと分かるトンガリ帽子に杖というオーソドックスな「魔法使い」スタイルながら、ブラック・マジシャンは奇術師や手品師のトリッキーなイメージも併せ持ちます。
 初期を代表するコンボ技である「千本ナイフ」「死のマジック・ボックス」「マジカルシルクハット」などは明らかに手品やマジックショーを連想させるカード。
 
 ブラック・マジシャンの「マジシャン」は、魔法使いと奇術師のダブルミーニングです。

 原作者の卓越したネーミング、デザインセンスもあいまって、ブラック・マジシャンに似ている遊戯王シリーズ以外のキャラを思い浮かべろと言われてもすぐにパッとは思いつかないほど、このキャラの唯一性と独自性は未だに群を抜いています。(当ブログが知らないだけでふつうに似てるキャラいたらすいません)
 
 

2.戦闘スタイル。「魔法使いが奇術を繰り出して戦うという倒錯」

 ブラック・マジシャンは英語圏では名前が異なり DARK MAGICIAN となりますが、英語で奇術師をMagician と呼ぶのは、タネが分からないそのトリックがあたかも魔法のように見えることからだそうです。でもブラック・マジシャンは魔法使い。トリックとかではなくマジでなんのタネも仕掛けもありません、そういう魔法です。 

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 この不敵で妖しげな戦闘スタイルは、相手のふいをつき戦況を一気にひっくり返す闇遊戯のプレイスタイルそのものです。
 ダーク・ウィザードとかブラック・メイジとせずにあえて『マジシャン』という言葉を選んで魔法使いと奇術師をかけたネーミングと必殺技の数々に、原作者の非凡なセンスを感じます。
 
 

3.外観。「その帽子どうなってんの?」

 ブラック・マジシャンのデザインてワケわからなくないですか?よく見るとへんな格好してますよね。でもなんか無性にカッコいい

 これはデザインそのものが洗練されているからに他なりません。ある種のダサさ、抜け感があり、だから時代によって変わる流行にさほど左右されず、初登場から20年以上経った今でもそのデザインは色褪せません。魔法使いのフードを意匠化したようなその頭から胸元まで全てが一体化した意味不明にカッコ良いデザインをよく考えついたなと思います。

 このデザインは真正面よりも真横やななめ側から見た時に、独特の美しいシルエットが際立ちます。 

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社
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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 これまで、ブラック・マジシャンの外観はその名に反して青や紫で表現されてきました。原作者によると、これは絵全体が暗くなってしまうのを避けるためだそう。2016年に公開された劇場版「THE DARKSIDE OF DIMENSIONS」 では原作者の元々のイメージに近いというカラーリングで再登場したブラック・マジシャンを見ることができます。 

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 

 4.ブラック・マジシャンの活躍

 アニメしか見たことのない方は意外に思われるかもしれませんが、初めの頃のブラック・マジシャンは端役のいちモンスターでしかなく、遊戯の切り札はそろったら即勝利が確定する「封印されしエクゾディア」でした。 

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 ブラック・マジシャンが本格的に活躍し始めたのは王国編から。

 明確にエースモンスターとして扱われだしたのは王国編よりさらに後のバトル・シティ編導入部分からになります。

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

  DEATH-T編のラストで登場したエクゾディアのカードは、一つ一つの力は弱くとも、バラバラのピースが一つに合わさった時それは何よりも強い力になる=「友との結束の力」というテーマが非常に分かりやすかったのですが、カードゲームが話しの中心になってからの本作では絆や友情といったテーマを視覚的に分かりやすく表現することが難しくなりました。だって読者の視覚に最も強く訴えるのはカッコいいorかわいいモンスター同士の殴り合いだしどんな理屈をくっつけようが本来、カードゲームの強さとはカード自体の性能とプレイヤーの頭脳。マジック&ウィザーズ(デュエルモンスターズ)は基本的に1対1の個人戦だから。

 
 そこで出てきたのが、プレイヤーとカード(のモンスター)との間にも絆があるという論法。バトル・シティ編のVS奇術師パンドラ戦、ブラック・マジシャン対決です。 

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社
 ブラック・マジシャンの攻撃力は2500しかなく、生贄を2体も要求し、特殊能力(モンスター効果)も耐性もない。このカード自体の単体での性能はそれほど高くありません。奇術師パンドラはイカサマも含めてこのブラック・マジシャンを完璧にデッキのメインに据えており、闇遊戯の魔法使い&戦士モンスター混合デッキよりも遥かに洗練された専用構築と優秀なブラック・マジシャン専用サポートカードを駆使して闇遊戯を苦しめます。しかし最後はしもべの信頼を裏切ったことで敗北しました。
 このブラック・マジシャンとの絆を武器に闇遊戯がバトル・シティを勝ち抜いていくことこそが、決闘者の強さとは単なるカードの性能や冷酷さではなく絆の力、” 自分とカードを信頼し合えるか ” であることの何よりの証明になったのです。(過去形) 

 

 

5.エースの看板

 もともと原作でのブラック・マジシャンは「エース」や「切り札」というより使い勝手の良い主力モンスターとしてザコを掃討する役割が多く、重要な局面では意外性のあるクリボーや、ブラック・マジシャンの上位派生モンスターであるマジシャン・オブ・ブラックカオス、超魔導剣士ブラック・パラディン、そして神のカードであるオシリスの天空竜などが活躍してきました。ブラック・マジシャン単体でフィニッシャーとなったメイン回ともなると原作では1度もありません。(追記:ブラックカオスやパラディンはブラマジが魔法カードとのコンボでフィニッシュを飾ったメイン回に実質カウントしていいと思います。)

 とはいえ、本格的にブラック・マジシャンをエースとして扱いだしたバトル・シティ編やファラオの記憶編において、上記は的を得た回答にはなり得ないでしょう。彼は主人公のエースモンスターという看板を原作者によって背負わされましたが、実際の扱いとして、製作側がより重要視してきたのは彼以外の人気モンスターたちであることは瞭然です。

 結論を言うと、全ての遊戯王作品を象徴する最強モンスターはブルーアイズ圧倒的な人気知名度を誇り、登場枠や作画の力の入れ所、グッズ化等で最優先されるのはブラック・マジシャン・ガール。そして闇遊戯デッキの最後の切り札ともいえる最強のしもべはオシリスの天空竜なのです。

 

遊戯VS海馬…永遠に勝てないライバル?  

 ブラック・マジシャンがブルーアイズのライバルと言われるのはマスターである闇遊戯と海馬がライバル関係にあるからに他ならず、モンスター同士の力関係だけを言うのであれば「ライバル」という響きは形骸化しています。

 攻撃力3000のブルーアイズに対し、ブラック・マジシャンは攻撃力2500しかありません。

基本的に、エースモンスター同士の正面衝突になればブラック・マジシャンに勝ち目はありません。よしんば魔法や罠を駆使してブルーアイズを倒せたとしても、返しのターンで海馬があっさり2体目のブルーアイズを召喚、遊戯の手札やフィールドには迎え撃つ魔法も罠もない。そうなった時、ブラック・マジシャンは自らの攻撃力2500でライフへのダメージを相殺し、マスターの盾となって散るしかないのです。 

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 ブラック・マジシャンは、"ただ攻撃力の高いモンスターを出せばいいというものではない" というM&Wの醍醐味てきな部分を象徴するモンスターです。そこには、攻撃力で劣るモンスターが魔法・ 罠とのコンボを駆使して自身より攻撃力の高いモンスターを倒していくという下克上のカタルシスがあります。しかし同時に、高攻撃力モンスターに上から殴られなすすべなくやられてしまう悲哀をも背負っています。

 そして海馬は最強モンスターであるブルーアイズを完璧に使いこなし実力は闇遊戯と拮抗していますが、公正なデュエルで闇遊戯に勝利したことは一度もありません。なぜなら、海馬は己の力しか信じず最強に固執し、他者との信頼や情や自身の命すらも軽視するキャラだったから。奇術師パンドラの敗因と根っこの構造としては同じです。大局的に見ると遊戯は『友の力』『自分とカードを信頼し合えるか』で海馬のパワーデッキを下し、その戦線を支えるのがブラック・マジシャンを筆頭とする主力モンスターたちなのです。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 この絶妙なパワーバランスは、本編において闇遊戯と海馬を対等なライバルたらしめていた大きな要因の一つでしょう。海馬のようなキャラは一歩間違うと「主人公に毎回つっかかってくるが永遠に勝てない自称ライバル」のような冴えない扱いになってしまいますが、実際の海馬にそうした印象を持っている読者はあまりいないと思います。これはひとえにブルーアイズという絶対的なエースモンスターの使い手であること、そのエース同士の直接対決であれば海馬は必ず闇遊戯に勝利していることが読者の印象に強く残っているためです。(※ドラゴン族メタのブラック・パラディンを除く)

 上記のスタンスはファラオの記憶編においても頑なに貫かれています。神官セトと神官マハードの露骨な力関係や、ファラオと神官セトとのあまりに呆気ない決闘シーンの描かれ方においてすらそれは顕著です。

 

魔法使いの弟子「ブラック・マジシャン・ガール」

  デュエルに参加できないヒロインの代わりに、バトル・シティ編から満を持して投入された新しいタイプのヒロイン、ブラック・マジシャン・ガールは、その他に類をみないほど完璧な愛くるしいデザインで読者を虜にし、瞬く間に大人気キャラの一角となりました。

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 時期を同じくしてデュエルのルールが変更され、レベル7以上のモンスターは召喚しにくくなっていきます(ガールはレベル6)。そして「デッキの切り札となる高レベルモンスター」としては神のカードであるオシリスの天空竜が台頭します。
 これらが重なった結果、ブラック・マジシャンは出番が激減。皮肉にも、正式にエースとして扱われ始めたバトル・シティ編より以前の方が明らかに出番が多かったという逆転現象が起きてしまいました。 

 それまでブラック・マジシャンが担ってきた、ザコを掃討する役割、中間の見せ場は全てブラック・マジシャン・ガールに移譲されていきます。普通であればここでエースが交代する流れですが、しかしそこは伝統的な少年マンガ。いくら読者人気が圧倒的だとはいえ「かわいい女の子増やせ」ということで投入された美少女萌えキャラであるブラック・マジシャン・ガールが主人公のエースってさすがに格好がつかないし、ライバルのブルーアイズとは張り合えません(かわいさでは圧勝だけど)。オシリスの天空竜は「神」という特別な属性のため、そう毎回呼び出すこともできません。そもそも童実野美術館の石板レリーフ黒き魔術師(どう見てもブラック・マジシャン)を描いてしまった以上、その伏線を全く無視することもできません。ではどうするのか? 

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 そこで編集と原作者は、ブラック・マジシャンを出す時には人気キャラのブラック・マジシャン・ガールも必ずセットで登場させ師弟キャラを確立させることで、この問題をとてもスマートに解決しました。「単体では力の弱いモンスターを連携させて強敵を倒す」という決闘の流れはこれまでの闇遊戯のプレイスタイルと相性抜群で、作品テーマとの兼ね合いも非常に良かったと思います。 

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 キャラクター商売としては当然のことながら、この人気至上主義アニメシリーズにおいても同様です。師匠と弟子、この2人のキャラクター間で作画のクオリティそのものや動きの付け方の凝りよう、アニメオリジナル回における登場頻度の差があまりにも歴然としているため、もはや可愛い弟子を描くことの方がメイン。 ガールのやられシーンは異常にこだわって描くが師匠の召喚演出は大体ふつうかテキトーで、作画は重要な回ですら崩れている。

 こうした扱いの差は視聴者側にも当然伝わりますし、その後の人気にも大きく影響します。

 

切り札にして最強のしもべ

 闇遊戯はブラック・マジシャンについて、よく「俺の切り札にして最強のしもべ」という言い方をします。しかし原作やアニメ本編での実際の扱いとして、闇遊戯のデッキにおける最強の切り札は神のカードであるオシリスの天空竜です。闘いの儀で表遊戯を迎え撃つため最後に召喚されたモンスターもオシリスの天空竜でした(その決闘でブラック・マジシャンが何をしたかというと、表遊戯のマシュマロン1体を撃破しただけ。これはアニメ版でかなり補足されました)。

 ストーリー上の意味合いを考えるなら、サイレント・マジシャンと相討ちも取れずあっけなく散ったブラック・マジシャンが最後にまた出てくる展開もあり得るし、死者(神官マハード)の魂が宿っていると思われるブラック・マジシャンを墓地から蘇生しようとしてそれを表遊戯に阻まれる方が「死者は蘇ってはならない」という示唆に富んでいると思います。(二人とも本来冥界に還るべき人々なので、マハードを絡めてもアテム本人へのメッセージが薄れることはないと思います)

 しかしあの場で優先されたのは神のカードを出す=オシリスの天空竜を描く、ということ。

 もちろん、カードゲームとしての面白さ、プレイングの問題(ただブラック・マジシャンを蘇生しただけではサイレント・マジシャンを迎え撃てない)、読者や視聴者をあっと言わせるスリリングなゲーム展開を優先するとしたらそこはブラック・マジシャンではなくオシリスの天空竜で大正解だと思います。最後の切り札が出てきた! 感の演出としては、ブラック・マジシャンが再登場してくるだけでは全くインパクトに欠け、決闘の展開が締まらないのです。

 しかし遊戯王って元々はカードゲームを描くための漫画ではなく、ゲームを通してキャラクターの背景や心情を描く漫画、デュエルの戦略等はあくまでストーリーを描写するための小道具だったはずではないですか?(だからこそあの言ったもん勝ちみたいなグダグダの素人ルールが許されていた)

 オシリスの天空竜が闘いの儀などでラストを飾ること自体なんらおかしくないと思うのですが、『自分とカードを信頼し合う』というようなフレーズでエースの看板を背負わせてきたブラック・マジシャンの、肝心の決闘シーンでの活躍がそこまでパッとしたものではない、闇遊戯とカードたちとの絆や信頼を象徴する役割を果たせてもいない(そして結局は蹴散らされて終わる。はっきり言って、表遊戯のサイレント・マジシャンを引き立たせるお膳立て役で終わっている)のに、ラストシーンで大型のいかにも強そうな  “ 映える ”  モンスターを登場させることで強引に展開を締めるのは、マンガとして筋の通った描き方ではないと思います。(原作でブラック・マジシャンが象徴的な役割をきちんと果たしていたのはvs奇術師パンドラ戦と、ブラック・パラディンの回くらい…?)

 次作アニメシリーズのGX最終回、十代とのデュエルでブラック・マジシャンはE・HEROネオスと相討ちします。このデュエルでは明確に、ブラック・マジシャンとネオスは各々のデッキの象徴であると語られました。そして十代はそのネオスで再び挑んでいくのに対し、闇遊戯は「黒魔族復活の棺」というブラック・マジシャンのサポートカードとのコンボでオシリスの天空竜を召喚しました。

 海馬は神を生贄にしてまで自身のエースモンスターをあえて召喚するという意地とプライドを見せた一方で、カードと信頼し合うとか友の力とかを決闘に持ち出す闇遊戯は魂のエースカードを召喚するかに思わせたタイミングであえて神を召喚するという、ここでも奇妙な逆転現象が起きてしまいました。

 

人気至上主義

 ストーリーの進行に絡んで、エースモンスター(フェイバリットカード)が二枚看板になっていく流れはよくあります。同じ遊戯王シリーズの十代ならネオスとユベル、万丈目ならアームド・ドラゴンとおジャマなどで、これらはストーリー上必然性のあるものとして筋が通っているため違和感を持つファンはほぼいないと思います。

 商業的には主人公は一つのモンスターに固執せず色々なモンスターを使った方がよく、主人公の看板モンスターが1体だけではとても間がもちません。だからこそ闇遊戯はカオスソルジャー、バスター・ブレイダー、オシリスの天空竜、そして華を添えるブラック・マジシャン・ガールなど様々なエース級モンスターを駆使して戦ってきました。それはマンガやアニメが娯楽作品であり人気商売である以上、必要なことです。

 しかし結果として、ブラック・マジシャンというエースモンスターは良くも悪くも(他のモンスターの方が非常に人気が出てしまったのでなおさら)エースって設定だから配慮するけど他の人気キャラが優先だよというような扱いしか受けてきませんでした。ただでさえバトル・シティ編からエースを名乗るようになった(闇遊戯が  “ ブラック・マジシャン使い ”  という設定になったのは途中から)という背景があるのに、出番は全体から見ればむしろ少なくなり、公式からのプッシュがブラック・マジシャン・ガールなどの他のキャラクターに偏っていたのは致命的です。だからラストは切り札のオシリスでないと締まらないし、人気のためにはガールをもっと目立たせろというような話しにいつもなる。(それでも原作の要所で召喚されてきましたし、アニメや劇場版では大分補足やリスペクトしてもらってますが)

 ブラック・マジシャンはエースを名乗ってはいるけど、実質的な中身が100%完全に伴っているかと聞かれたら、私は完全に自信を持ってもちろん!と主張することはできないです。

 原作者含め、製作側がそこまで真剣にこのキャラクターを立てていないというか、主にはアリバイ的な台詞での説明で済まされる傾向にあります。ようやく描かれた神官セトとファラオの決闘で白き龍は神と同等かそれ以上の扱いを受ける一方、黒き魔術師はあっけなく蹴散らされ単なる壁モンスターのような扱いで、最後は白き龍(=ブルーアイズ)のいわば擬人化キャラクターであるキサラとかがメインキャラの仕事をして終わり。アニメオリジナル回では闇遊戯のデッキマスターをあえてクリボーにしてみたり、遊戯たちにコンタクトを取ってくる橋渡し役がなぜかブラック・マジシャン・ガールやマナだったりと……。そんなだったらもうブラック・マジシャンにエースとかの看板をむりに付けずに「闇遊戯が特に主力で使うモンスターたちの中の一体で、一番の古株(どれをエースとして挙げるかは好み)」くらいのままにしておいた方がよかったような…?(異論はめっちゃ認めます…)

 「闇遊戯が最も信頼するモンスター」という設定も、そういう設定の説明だけ、あるいはブラック・マジシャンは忠誠心の強いキャラクターであるという一方向の描写で終わっています。そのルーツとしてファラオの記憶編では「神官マハード」というキャラクターも登場しましたが、闇遊戯(ファラオ)から信頼を返すとか絆を結ぶとかまで描写が到達しておらず、ただエピソードを消化することとモンスター同士の殴り合いに終始している印象でした。(ファンは正直なので、当時この神官マハードというキャラクターは散々な言われようでした)

 しかし、おそらく原作者にはその様に描かれていた心当たりなどなく、呑気にもキサラと神官セトのくだりが心残りだとか言っている。

 

 若干キャラクターへのディスみたいになってしまい心苦しいのですが、これはキャラクターや作品そのものへの叩きなどでは決してなく、手っ取り早く客を釣れる人気キャラや作者のお気に入りキャラを前に前に出して読者や視聴者が喜んでいればそれでいい、マンガやアニメの話しとして筋を通すこともしない、現金な人気至上主義、無神経な制作態度に対する批判であることをご理解いただきたいのです……。

 

 

6.M&Wを象徴するモンスター

 遊戯王のカードゲームを指す名称としては、アニメやOCGで広く普及した「デュエルモンスターズ」が一般的と思います。しかし、原作のマンガでは別な名称が使われ続けていました。その名も「M&W(マジック・アンド・ウィザーズ)」。

 アニメやOCGしか馴染みのない方が最初にこの名称を聞いたら、若干 え? と感じると思います。なんで「魔法使い」限定みたいな名前?(ぶっちゃけ、マジック:ザ・ギャザリングのパクr…オマージュだからなんですが)その理由は、原作にカードゲームが始めて登場した時のルール説明の中にあります。

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(©高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 

“プレイヤーはお互い魔法使いっていう設定” 

 

 つまり、「M&W(マジック&ウィザーズ)」のウィザーズとはモンスターではなく、対戦している二人のプレイヤーを表しているのです。「デュエルモンスターズ」との大きな違いはそこだと思います。

 この最初期のM&Wにはモンスター効果、つまりモンスター自身が持つ特殊能力の概念がなく、全てのモンスターが効果を持たない「通常モンスター」でした。魔法使いである2人のプレイヤー(ウィザーズ)は魔法の力(マジック)によってこれらの通常モンスターを召喚し、手持ちの魔法カードで通常モンスターをサポートしながら戦うのです。

 もちろんプレイヤーが魔法使いであるといった設定は今では自然消滅しているのですが、この「通常モンスターを魔法(と罠)カードでサポートしながら戦う」という、現在のアニメシリーズやOCGからすれば化石か古代遺産のような戦術を未だに受け継いでいる有名なデッキテーマがあります。

 

はい、「ブラック・マジシャン」デッキです。

 

 デッキに名を冠するモンスターが通常モンスターであるという点はブルーアイズやレッドアイズも同じです。しかし、その通常モンスター自身が(強力なエクストラモンスターを召喚するための素材やコスト等としてではなく)あくまで攻撃の主体となっており、その主体である通常モンスターを魔法や罠で直接サポートすることが主な勝ち筋の一つとなっているデッキで有名なのって、今現在で生き残っているのはブラック・マジシャンデッキくらいだと思います。(あとは融合メインならネオスとかおジャマ? 他にもあったらすいません!)

 最近のOCGでは専用の魔法カード「師弟の絆」が新たに登場し、ブラック・マジシャンとブラック・マジシャン・ガールが自分フィールドにいる場合に相手フィールドのカードを全て破壊する「黒・爆・裂・破・魔・導/ブラック・バーニング・マジック」等の強力な魔法カードを打ちやすくなりました。

 魔法カードと魔法使い族モンスター達とのコンボで相手を絡め取る大胆な戦術は、M&W(マジック&ウィザーズ)というゲーム名の本来の意味が失われた現在において、奇しくもそのゲーム名を象徴しているかのようです。

 

 

7.まとめ

 遊戯王がカードゲーム中心のマンガとして舵を切ったのは、読者人気を何よりも重視するジャンプ編集部の方針でもあったと思います

しかし、そのカードゲームが中心になる以前から作品の根底を貫いている「結束の力」というテーマと、決闘者が一枚一枚選び抜いて構築した自分のデッキ・自分のカード達を信じて戦い抜く姿が見事にシンクロしていく様は、まるでバラバラだったパズルのピースが噛み合っていくようでした。

 そして、ブルーアイズでもなく、レッドアイズでもなく、単騎では弱いが魔法罠カードやブラック・マジシャン・ガール等の派生モンスターとのコンボ = 結束の力で自身より攻撃力の高いモンスターに立ち向かう「ブラック・マジシャン」をあえて主人公のエースに立てたことそのものが、この作品全体のテーマを象徴しているのでした。

 

おわり

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遊戯王 高橋和希インスタ炎上騒動で思ったこと。独裁政権に未来は暗黒次元!←これマハードに言わせる?

 

若者の選挙への関心を高めることに一役買ったとか、作者個人の政治思想をキャラクターに代弁させることの是非とか、「独裁政権」「売国政権」みたいな言葉選びの賛否とか、なんでアートボックス用の表紙流用したとかいろいろあると思います。
 
ただ、私がまず思ったこと。
 
古代エジプトの独裁者であったファラオに忠誠を誓っていた神官マハード=ブラック・マジシャンに独裁政権を批判させるって、ブラックジョークですか……?
 
もはや、捨て身の風刺ですよね。
まあ捨て身やらされているのはキャラクターですが……。
 
もちろん高橋和希先生なりに考えがあっての表現だと思います。ただ、ご自身の主張をキャラクターを通して表現される前に、キャラクター自身のことを少しでも考えましたか?ということです。 
 
繰り返しになるんですけど、ブラック・マジシャンて、古代エジプトの独裁者であるファラオに絶対の忠誠を誓っていた「神官マハード」というキャラクターが元なんですよ。
 
そのブラック・マジシャン(神官マハード)に「独裁政権に未来は暗黒次元!」とか言わせちゃうんですか?ちゃんとキャラクターの設定とか覚えてますか?ていうか神官マハードの存在覚えてますか?考えて表現しましたか?マンガでの設定と現実の世界は一切関係ない別次元だから大丈夫……ですか?
 
あのイラストは、闇遊戯(ファラオ=独裁者)が「投票に行こう!」と言っている後ろでマハードが独裁者を批判している、見方によってはそういう絵面なんですよ。それを考えた上で投稿しましたか?ということなんです。
 
キャラクターは創作上の存在であり、動かすのは作者です。しかし、キャラクターは物語の中で生きている、という想定のもとで、物語の中での生き様を読者に見せることによって、間接的に作者の思想を体現する存在です。物語の中でのセリフは、たとえ作者が考えて言わせたセリフだとしても、キャラクター自身の意志が表現されたものとして、読者は受け取っていると思います。
 
しかし、例のイラストはどうでしょうか? 「独裁政権に未来は暗黒次元!」 ってブラック・マジシャン自身のセリフなんですか?違いますよね。これは作者の言いたいことをただ直接、ブラック・マジシャンのセリフのフキダシに当て込んだだけであって、キャラクター自身のことを考えた表現ではないですよね。ブラック・マジシャン・ガールのセリフだって同じです。キャラクターの性質に合いもしないセリフを強引に言わせて、そのイラストをダシに使ってるだけ。風刺ですらありません。
 
そこの部分に違和感を覚えたファンが多かったからこそ、今回の件はここまで炎上してしまったのではないでしょうか。キャラクターに対する、高橋和希先生のそうした無神経さがファンを落胆させてしまったことが、一因としてあるのではないでしょうか。
 
というか私がその無神経さに落胆しました。他の怒っている or 喜んでいる方々がどんな思いかは私には分かりません。主語を大きく言ってごめんなさい。
 
作者本人が描いたキャラクターの言動は、いちファンが二次創作等でキャラクターを勝手に借りてきて極めて個人的で支離滅裂な妄想を描いて遊んでいるのとはワケが違います。不快になる人もいるんだからやめてとかそういう話しではなく、もっとご自身の生み出したキャラクターを大事に、よく考えて扱ってあげてほしいんです。
 
このブログ記事は、高橋和希先生が政治的な思想を発信されたこと自体への批判では決してありません。政治的なメッセージにキャラクターを使わないでほしいとも主張しません。
 
先生ご自身の、キャラクターに対する扱いが、あまりに無邪気かつ無神経すぎることへの批判です。
 
 
(もし例のイラストが、世襲の独裁者であるアテムの父親の代の負の遺産がもとでマハードもアテムも命を落として王朝が崩壊したことと、自民党一党独裁による日本の未来とをかけた高度なブラックユーモアで、ブラック・マジシャンの「独裁政権に未来は暗黒次元!」は自らの過去の経験に基づいた我々への忠告であり、ブラック・マジシャン・ガールが言っているのは「日本って(アクナムカノンとアテムの治世下で混迷を極め国力が衰えた古代エジプト第18王朝みたいに)住みづらくなっちゃった」という、要は  “俺達みたいになるなよ!”  というメッセージであるならごめんなさい。上記の批判は全て取り消します。そこまで身を挺してまで、我々の関心を政治へ向けさせようとしてくれたことに感謝をします。)
 

【NARUTO -ナルト-】努力の天才ロック・リーを全力で考察【BORUTO -ボルト- 登場記念!】

 

 

 NARUTOが全盛だった頃、私はちょうど中学生。直撃世代です。

 推しメン(当時はこんな単語すらなかった)はサスケとハクとカカシ先生という典型的すぎる美形厨だった私の人生は、中忍試験編が始まり満を持して登場してきたあるキャラによって狂わされたのでした。

 

 はい、努力の天才ロック・リーです。

 

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 (右:NARUTO 20巻 180話、左:アニメNARUTO -ナルト- より)

 考察などとタイトルにうたってありますが、ただひたすら個人的な燃え(萌え)ポイントを語っているだけです。

 こんなこと考えてる奴もいるのね〜くらいに軽く読み流していただけたら幸いでございます!

 

 

 

概要。「努力の天才」ロック・リー

 

 忍者のマンガなのに忍術の類を一切使わず殴る蹴るだけで戦うという、最高にロックな精神のド根性キャラ。

 ギリギリ感あふれる熱血ギャグ落ちこぼれが努力の力で天才を打ち負かす」というシリアスなテーマが見事に同居した、NARUTOの裏主人公といっても過言ではないマスコット的存在です。

 2012年には彼を主人公としたスピンオフ作品までリリースされています。

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ロック・リー忍伝 DVD 第17巻 より)

 

 

 外観。「ダサいのにカッコいい!」至高のギャップ燃え

 

  オカッパ + まゆ毛 + まん丸の目 という3つの要素がアイコンとして秀逸で、誰が描いてもロック・リーと認識されるデザインはインパクト絶大。デフォルメとの相性も抜群です!

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(アニメNARUTO -ナルト- より)

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↑カエルのような丸い目は『忍空』の風助(※1)を彷彿とさせます。(アニメNARUTO -ナルト- OPより)

 一人だけ画風がぜんぜん違うというか、露骨に濃ゆい熱血ノリやガイ先生とおそろいのタイツ風コスチュームもあいまって初見の印象では完全に "色モノ" 状態。

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僕のヒーローアカデミア1巻1話、7話より)

 なのにサスケをぶっ飛ばすくらい強いときて、この時点ですでにギャップがヤバイ。仮にも主人公のライバルキャラであるサスケを、悪役とか神とか師匠とかいうわけでもないいちサブキャラのロック・リーが実力で圧倒しているという展開が意外すぎて、読んだ当時はかなり驚きました。

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NARUTO 5巻 37話より)

 古典的な美形を表すマンガ記号は「切れ長の目」、現代風イケメンの記号は「サラサラの前髪」などですが、通常時のロック・リーは完全にそれと正反対です。

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(アニメNARUTO -ナルト- より)

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 NARUTO 5巻 37話より)

 ただ、その記号的さゆえか、ロック・リーのデザインはシーンごとに全く違った印象を与えます。緊迫したシーンでは険しい表情になり目と眉がくっついて、ドラゴンボール的イケメンの面持ちを得ます。雰囲気もグッとシリアスになり、もはや別人。

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 ↑ 戦闘中の表情は真剣そのもの。(アニメ NARUTO疾風伝 より)

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↑ 躍動感あふれる空中での戦闘シーン。ふつうにカッコいいデザインに見えます。(NARUTO 5巻 37話より)

 普段は重たいヘルメットのようなオカッパ頭が激しい動きで振り乱れ、ピッタリとした衣装は体の線が分かりやすく、もはやアクション入った時の見映えとギャップのために考え出されたとしか思えないデザイン。

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 (アニメ NARUTO -ナルト- より)

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 NARUTO 24巻 209話 より)

 何が凄いって、分かりやすい外観の変化(髪や目の色が変わる等)は無いのにオカッパ頭がヴィダルサスーンに見えてくるほどの印象ギャップですよ。

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60年代ファッションシーンで一大革命を巻き起こしたサスーン・カット。「振っても元に戻る」というテレビCMのキャッチフレーズが印象的。

 しかも話が進むにつれ実際の性格は誠実、謙虚、弱い者に優しい、小動物に好かれる、ひたむきな努力家で、見かけによらず真面目なキャラであることが分かります。

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NARUTO 6巻 52話 より)

 ロック・リーの魅力の80%以上は、この外観と中身とのギャップにあると言ってもあながちウソではない気がします。このギャップにやられたファンは多いのではないでしょうか。

 

 

ロック・リーのモデルとなった人々 

 

ブルース・リー

   ロック・リーという名前は、伝説の香港カンフー映画スターブルース・リー李小龍:リー・シャオロン)のもじりと思われます。「ブルース」を音楽ジャンルとしてとらえて、そこを「ロック」に置き換えたわけですね。(ロックはブルースから、そしてメタルはロックから派生した音楽といわれています。)

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(映画「燃えよドラゴン」より)

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↑↓(映画「死亡遊戯」より)

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↑ ロック・リーのトレードマークとも言えるあのツナギ風の衣装は、ブルース・リーの有名なトラックスーツへのオマージュか…?

 彼が日々こなしていたトレーニングメニューというのが、キック2000回、パンチ5000回、ウェストツイスト360回、シットアップツイスト100回、レッグレイズ100回、ラーニングツイスト200回……これはほんの一部だそうです。

 トンデモな逸話も多く、動きが速すぎて24fpsではフィルムにちゃんと映らなかった、サンドバックを蹴りで破裂、素手の指突きで缶に穴、腰の仙骨神経を損傷してしまい医者は武術を続けることは不可能と診断したが驚異的な回復を見せ5本の映画に出演、などなど…。

 リアルロック・リーというか、ブルース・リー本人がそもそもマンガみたいな超人でした。

 

ジャッキー・チェン

 ロック・リー片手を腰の後ろに添え、もう片方の手の甲を相手に向ける 独特の構えポーズ(※2)酔拳などの技は、同じく香港映画スターのジャッキー・チェンをパロディしたものと思われます(アクション俳優のジェット・リーも同じようなポーズをしますが、手の角度が微妙に違うのと、相手を挑発するための仕草も入ってるのでたぶん違います。)

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↑ ジャッキーが腰の後ろに左手を当てているのは、チャイナ服の長い前垂れを左手でたくし上げているため。(左: 映画「酔拳2」、右: NARUTO10巻82話 より)

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酔拳の構え(左上)。逆立ちしたまま両足で蹴りまくるジャッキー(左下)。NARUTOでも似たようなシーンが…。(左側:映画「酔拳2」、右側: NARUTO10巻82話 より)

 映画『酔拳2』のジャッキーはモロなので興味ある方はぜひ確認してみてください!とくにVS君麻呂戦のリーの動きがモロです!!

 

ブルース・リーだけどジャッキーチェン? 

 ロック・リーは香港映画の2大アクションスターにインスパイアされたキャラクターですが、2人の俳優は全くと言っていいほど正反対です。

 名前の由来ともなったブルース・リーは、目にも止まらぬ(比喩とかでなく、ガチで見えない)高速の突きや蹴りで敵を粉砕し、"己の肉体を武器化" する真っ向勝負の武闘家スタイル。戦闘時の雰囲気はシリアスそのもので、ロック・リーのコンセプトはこれらの点と非常に似通っています。

 ブルースはガチンコバトルの似合う熱い役柄ながらも、気の強い不敵な表情が多いです。この辺はむしろ息子のメタル・リーのキャラが近い気がします。(まあブルースは実際めちゃくちゃ強かったからこそコレがサマになってたわけですが。)

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↑ 基本、真顔なブルース・リー。敵を挑発するような微笑が印象的。(映画「死亡遊戯」より)

 一方のジャッキー・チェンは真剣に戦っているシーンですら可笑しく「てんやわんや」という言葉がまさにピッタリ。コミカルなお笑いノリの似合うチャーミングな俳優で、普段のリーのイメージはこちらの方が近いですね!

 ただし戦い方はリーと真逆で、ジャッキーは1対多数がもっぱらの  "環境を武器化"  するスタイルです。椅子、ロープ、道ばたの木、自転車で荷物配達中のおじさん等々、身の回りにあるモノは何でもかんでも利用します。一番すごかったのは入浴中に襲撃されたヒロインのバスタオルを引っぺがし敵が女性の全裸に気を取られた隙に倒すという荒技。しかもヒロインに殴られ「作戦だよ!」と逆ギレする潔さ。

 個人的に、ロック・リーの息子とされるメタル・リーはジャッキー・チェン寄りの、ドタバタ乱戦が得意な実践的武術・ケンカ殺法スタイルでも面白いかも?……と、チラッと思いました。 

 

 

キャラクターコンセプト。「スーパーサイヤ人へのアンチテーゼ? 」

 

 ロック・リーを語るうえで外せないのがなんといっても必殺技の裏蓮華。というより、重要なのはその前段階で行われるリミッター外し八門遁甲」です。

 ここで原作者・岸本斉史先生の孫悟空ではなくクリリンの立場の人を主人公にしたい」という旨の発言を思い出しつつ、八門遁甲の体内門を解放した時のリーの姿に注目してみます。

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 NARUTO 10巻 85番 より)

 髪は逆立ち、目つきは鋭く変わって、衝撃波のようなオーラを身にまとっています。そして何より、これ自体は攻撃技ではなく "戦闘力アップ" の段階だということ。

 明らかにスーパーサイヤ人へのパロディ・オマージュです。

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(左: NARUTO 10巻 85話、右: ドラゴンボール 34巻 408話 より)

 エリート一族の血を引いているとか生まれながらの強さを持っているわけではない クリリンの立場の人」であるロック・リーを、あえてスーパーサイヤ人にしちゃう。

ここに作者のマンガに対する思いというか、 オレはこういうのを描いてやるぞ!!!」という気迫のようなものさえ感じとれます。

 

 

5.戦闘スタイル。「忍術の使えない忍者」

 

忍術・幻術を一切使わない

 ロック・リーの個性をなにより強固なものにしているのが、体術のみで戦う」というド根性とクソ度胸。そもそも忍者のマンガである本作に真っ向からケンカを売りに行くスタイルです。

 作中のどこを見回しても「忍術・幻術を一切使わない」というキャラは他に存在しません。ガイ先生だって幻術返しや口寄せの術などを使っています。

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 (NARUTO 10巻 82話 より)

 またストーリー上、「砂の絶対防御で触れることすら出来ない」「骨格が異常に頑丈であらゆる物理攻撃を寄せ付けない」あげく「体中から尖った骨を突き出させ、殴った方にダメージ」などなど、明らかに相性の悪すぎる敵にぶち当てられ、その度にボロボロにされています。

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 NARUTO 10巻 82話 より)

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 NARUTO 24巻 211話 より)

 どんな術を使う敵が相手でも、彼は素拳による直接攻撃のみ(※3)を武器に立ち向かいます。この地味すぎる戦闘スタイルが根幹にあるからこそ「裏蓮華」のような超必殺技にも説得力があり、その愚直な性格とも絶妙に引き立て合って読者の共感を誘います。

 しかもベースに熱血ギャグがあり、顔がいわゆるイケメンではなく主人公でもないので、その健気なまでの真面目さひたむきさが全く嫌味にならないのです

 多分ですが、NARUTOを読んでいる人でロック・リーに興味がない人はいても、積極的に嫌いだという人はあまりいないんじゃないでしょうか。

 

「木ノ葉流体術」と「酔拳

  ブルース・リージャッキー・チェン等へのパロディをみると、カンフーや中国拳法からの影響が強そうに思えます。しかし普段のロック・リーの戦闘スタイルは力強く直線的で、どちらかといえば日本で創始された少林寺拳法極真空手の動きに近い印象を受けます。そこはやっぱり忍者だからか?(武道を習ったり詳しいわけではないので間違ってたらゴメンナサイ。)

 設定上では、ロック・リーの体術は「木ノ葉流体術」というマンガオリジナルの架空の流派となっています。

 君麻呂と戦った際には「直線的すぎる。」と評されましたが、その弱点を、リーは常識外れのスピードでカバーしていた…と考えることもできます。だからこそ、そのスピードに対応してくるレベルの敵(君麻呂など)に当たった時はかなりキツイ。

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NARUTO 24巻 210話 より)

 そこで、「天性の酔拳使い」という追加設定がロック・リーというキャラに新たな息を吹き込んだのです!

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NARUTO 24巻 210話 より)

 ブルース・リーなのにジャッキー・チェンという洒落もきいて、彼の弱点を補う特技でもあり、この酔拳という設定は大当たりだと思いました。

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↑ この扉絵は布石か…?酔ったガイ先生に酒を勧められ断っている?かのようなロック・リー。タイトルは「リーの秘密!!」(NARUTO 10巻 82話 より)

 もともとロック・リーは、捨て身技の裏蓮華を使わずとも我愛羅の砂のオート防御をかいくぐれるほどの超人的なスピードを身につけていました。もし 日向ネジvsロック・リー戦 が実現していたとして、いくら白眼で見切ってもあれだけの速さで動き回る相手の点穴を狙って正確に突くことは難しいでしょうから、いい勝負になったはず。「目で分かっていても体が動かないんじゃ どうしようもないワケです」という台詞はサスケだけではなく、実はネジにも向けられていたことは、「打倒ネジの答えはそのハイスピードコンボ」という作中の解説や「裏蓮華はネジを倒すためのとっておき」だとリー自身が言っていることからも明らかです。

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↑ サスケにかけようとした技は「表蓮華」です。裏の方はネジにとっておくためか。(NARUTO 5巻 37話 より)

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NARUTO 10巻 85話 より)

 しかし、我愛羅には砂のひょうたんをクッションにすることで防がれ、君麻呂にいたっては(手術直後で病み上がりのハンデがあったとはいえ)素で動きを見切られています。

 結局のところ、パワーやスピードで押し通れない場面というのが必ずロック・リーの前に立ちはだかってきて、しかもどこまで大きなパワーやスピードを出せるかの限界はすでに作中で提示されてしまったのです。

 ロック・リーの強さの限界、それは八門遁甲の第八門を開くことです。

 マンガ的には、強い敵に遭遇→八門遁甲の体内門をどこまで開けるか…という展開以上に描写のしようがなく、キャラクターとしての旨味は中忍試験編でほぼ描ききった、と作者は考えていたと思います。だから八門を開く役割はガイ先生に振ったのでしょう。

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NARUTO 10巻 87話 より)

 だからこそ酔拳という新しい特技は、作中での扱われ方以上に大きな意味を持っていました。というか、柔の動き(酔拳)と剛の動き(木ノ葉流体術)とを意図的に使い分けるようになったら地味に強そうな気がします

 彼の代から木ノ葉流体術は「酔拳を併伝するようになったら面白いかもしれませんね!

 

チャクラ練れないのに、どうやって水面を歩いたり壁にはり付いたりしてるの?? という議論

  作中でのロック・リーは、水面を歩いたり「八門遁甲」のような術を使っていることからも、チャクラそのものが無い・練れないわけではないようです。

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(アニメ NARUTO -ナルト- より)

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NARUTO 10巻 90話より)

 よく誤解されていますが、「八門遁甲」そのものがチャクラを必要とする技です。つまり、の解説でいうところの "例外" です。

 忍術も幻術も使えない = チャクラが使えない  という単純な結びつけは誤りです。

 作中の解説では、"脳のリミッター・あるいは体内に流れるチャクラの量に制限を設ける『八門』という体内門を、チャクラによって無理矢理はずす・こじ開けることで、極限まで身体能力を引き出す"  ことが八門遁甲の極意とされています。

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 (NARUTO 6巻 52話 より)

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NARUTO 10巻 85話 より)

 もしロック・リーがチャクラを練れないとしたら、八門遁甲の体内門を開くことも、そこから「表蓮華」や「裏蓮華」といった技につなげることも出来ません。

 ここからは完全に妄想の域ですが、、、彼はチャクラを練って自分自身に利用することは出来るが、チャクラを忍術や幻術に変換して体外へ放出する何らかの過程で先天的な欠損があるのかも??逆にそのため、体内での利用にはロスが少なく(というか過剰適応で)八門遁甲のような特殊な術への適性につながっているんだとしたら(そういう裏設定みたいなものが仮にあったとしたら)、その人の短所は長所にもなる」という作中の台詞にも納得です。

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 NARUTO 69巻 668話 より)

 

 

6.内面の描写。「努力は必ずしも報われない?」

 

 ロック・リーは最初こそお笑い担当の中ボス的な登場をしてきましたが、後々になって当時のナンバー1、2を争うかという桁違いの実力を見せつけ、読者の予想を遥かに超える熱い活躍でNARUTO黄金期を駆け抜けました。

 しかしその道のりはというと、負ける→修行→強くなる→勝つ、のような少年マンガの王道パターンとはかけ離れたものでした。

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NARUTO 10巻 87話 より)

 中忍試験のトーナメント戦にて、彼は砂隠れの我愛羅を相手に自滅覚悟で挑むもあと一歩およばず、半ば暴走状態となった我愛羅の執拗な攻撃で手足を潰されてしまいます。それ以前に、切り札の「裏蓮華」を使った時点で彼の全身はボロボロ。この一連の大ケガは、体術以外に生きる道がない彼にとっては致命的なものでした。

 ケガで戦線離脱している間にもライバル達はどんどん力をつけ、天才サスケに至ってはたった一ヶ月の修行でリーとほぼ同質・同等の体術を身につけてしまいます。リーが少なくとも一年以上をかけて習得したものをサスケは一ヶ月です

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 NARUTO 13巻 112話)

 そのうえサスケには相手の動きを見極める「写輪眼」があるので、同等の体術を使う者としてサスケはリーの上位交換のようになってしまいました。

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NARUTO 13巻 114話 より)

 しかもさらに悪いことには、第一回戦でナルトが「日向ネジを倒してしまっています。

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NARUTO 13巻 109話 より)

 ナルトが純粋に力でネジを上回ったというよりは裏をかいての作戦勝ちという展開にした辺りに作者の良心を感じますが、そもそもリーが血の滲むような努力をしてきたのは "天才ネジを倒す" という強いライバル意識が背景にあってのこと。

 ネジを倒すための切り札として習得した「裏蓮華」による負荷で自身は戦線離脱を余儀なくされ、そのネジはあっさり他人に倒され、リーの努力とはいったい何だったのでしょうか?

 ここまで「努力」というものを徹底的に打ちのめされ、ボコボコにやられたキャラが、かつていたでしょうか?

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 NARUTO 13巻 110話 より)

 ロック・リーは強いキャラであると同時に、弱いキャラであるということも忘れてはなりません。

 彼の毎回の役割はメインキャラが活躍する前の"前座"であり言ってしまえば"かませ"なのですが、ストーリー上ぜったいに勝ってはいけないシーンだからこそ、本来そうした役割は適当なギャグキャラに振ってお茶を濁すか、サッと済ませるパターンが多いです。しかし、作者はこのロック・リーだけは、真正面からぶつからせました。

 うずまきナルトとロック・リーはまるで作者の理想と投影のようです。

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NARUTO 10巻 87話 より)

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 NARUTO 9巻 81話 より)

 ナルトは「主人公はかくあるべし」の部分を担当し、読者の期待に応える。一方で、リーは「でも現実ってこうだよね」の部分を担当し、鳥山明大友克洋といった天才達の背中を追いかけてきた作者自身が投影されているように思えます。

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NARUTO 10巻 87話 より)

 ロック・リーの家柄や親兄弟に関する描写は作中に一切ありません。息子とされるメタル・リーですら、母親の設定などは一切なし。いったい、なぜ??

 「努力の天才」に血筋は関係ないからです。

 どこの家の誰の息子だろうが、その人自身が努力して身に付けた力で立ち向かうことが重要だからです。

 才能はなくとも努力して、ボロボロになって刀折れ矢尽きるまで戦ってそれでも負ける救いようのなさ、努力をしたからといって必ずしも報われるとは限らない、一生報われないかもしれない、それでも努力し続けられることのカッコよさ

 主人公として勝利をつかむ運命にあるナルトには決して振れない役割を、ロック・リーが補っていました。

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 NARUTO 69巻 617話 より)

 マンガの連載がどんな引き延ばしにあい、どんなパワーインフレが起ころうと、努力に努力を重ね懸命に走り続ける彼のひたむきなキャラクター像がブレることはありません。

 その輝きは永遠です!


 次回
【考察2】努力の天才ロック・リーが"裏主人公"であるわけへ続く

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脚注

※1: NINKU -忍空-(桐山 光侍)
 90年代を代表する少年ジャンプの看板作品。NARUTO作者の岸本斉史先生は過去に忍空の続きが読みたくてNARUTOを描いた」と本気か冗談かコメントしており、奇しくもロック・リーの顔が忍空の主人公に酷似していたのでした。

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 (アニメ NINKU -忍空- より)
 「忍空」とは、「空手」の力強さと「忍者」の素早さ・技を組み合わせた架空の武術。ロック・リーの体術が空手のような力強い動きなのも忍空からの影響…かも??

※2:構えポーズの由来
 ジャッキー映画の中で男性が着ているチャイナ服の長い前垂れの部分がありますね?戦闘になると、あの前たれを足で跳ね上げながら片手でキャッチし、素早く腰の後ろへたくし上げ、そのまま押さえておきます。そしてもう片方の手を前にかざし、低く構えます。おそらくこれがリーの構えポーズの元です。超カッコいいです。とくに映画『酔拳2』のジャッキーがモロなので興味ある方はぜひ!

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 (映画「酔拳2」 より)

※3:素拳による直接攻撃のみで戦う
 TVアニメや映画などのメディアミックス作品ではロック・リーが手裏剣やクナイなどの投てきアイテムを放つシーン、ヌンチャクや棍で戦うシーンが描かれましたが、原作ではほぼ皆無。ただカブトの持っていたデータなどから、忍具を扱う高い技術を持っていることだけが示唆されています。

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NARUTO 5巻 39話 より)
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【ボルト BORUTO ネタバレ感想】5話 父親に不正がバレて1回休み。ボルト起死回生なるか…?!【ナルト NARUTO】

 

※この記事の画像は、すべて週刊少年ジャンプBORUTO』および、同誌『NARUTO』より引用したものです。

  

 コミカライズ版 BORUTO(ボルト)第5話の感想・考察です。 

ボルトの映画は見て話は知ってるけどコミカライズがどうなってるのか気になる」
「ぶっちゃけ作画どんな感じなん??」

という方向けの内容となっております!

 

 今回の扉絵はこちら!

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ボルトの不正がついにバレた…!

 相変わらず作画はキレキレで素晴らしい!池本先生の絵ってマンガ絵と写実っぽさのバランスがちょうど良いんですよね。ナルトやボルトはイメージをこわさないよう配慮してるせいか…?この2人だけは表情が画一的で控えめな気もしますが、他はみんな生き生きしてて、ただ喋ってるだけでもなんかカッコいい。

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↑ 本当に「あぁ〜あ…」って顔の黒ツチ。なんか色っぽい。

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↑ 遠慮とか謙遜じゃなくガチでめんどくさそうなシカダイ。

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↑ 意外と表情豊かなサラダ。一話目のイメージだともっとクールそうな感じでしたが、ヒロインとしての親しみやすさが出てきましたね。ミツキも映画より表情にバリエーションが増えました。

 ストーリーとしては映画の筋書き通りで、ボルトの科学忍具使用がバレて失格扱いになり、会場は「えぇー…みたいな空気になります。

 審判に見つかるのではなく、あえて父親であるナルトから直接「お前は失格だ。」とやることで、読者のボルトへの感情移入がさらに高まりますね!展開としてもその方が断然盛り上がるし。

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↑ 父親自らの手で、忍者の証である額当てを外されます。これはキツイ…!

 各里の影たちや同期の仲間、家族、大勢の観客の前で、まるで吊るし上げのような状態です。そこへ、いけしゃあしゃあとカタスケが登場。う〜んあざとい。悪そうな顔してますね〜

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 この時点で、科学忍具 = 怠惰の象徴 → 修行して身につけた本当の実力こそが正義という構造が見えてくるわけですが……

 

いきなり敵ボス登場!中忍試験は大パニック!

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 ここで映画でのボスキャラが登場!

 ボルトにとってはニッチもサッチもいかない気まずすぎる状況をぶっ飛ばすかのような絶妙なタイミング。観客からしたらもうこいつらのイメージの方が強烈すぎて、騒ぎが収まった頃にはボルトの反則負けなんか半分うやむやになってるでしょう ^^;;

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↑ なにげにシカダイをかばっているロック・リー他のキャラはみんな吹っ飛ばされてますが、リーだけは姿勢を維持したまましっかり構えてます。さすが…!!細かく描いてくれてありがとう!!

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 ダルイのツッコミがいちいち的確で面白いww 一発で意思疎通する我愛羅カンクロウが渋くてカッコいいです。

 ここで、一般人を手際よく避難させるサブキャラたちの活躍が描かれます。

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  サクラが崩れ落ちてくる天井を粉砕し、降りそそぐ瓦礫をテマリの風遁で吹き飛ばします。見事な連携プレー!テマリさんの生足がまぶしいっス。

 よく見ると、サクラの殴り方が映画とは微妙に違います。彼女の「怪力」は精密にコントロールされたチャクラを一点集中し拳から放出するもので、直接殴っているわけではないことが分かりやすい描写ですね。サクラの手はきっと柔らかいでしょう!!

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↑ サクラの険しい表情がNARUTO本編よりぐっと大人っぽい。

 また、映画にはなかったシーンも追加されてました!

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↑ よく見ると、ヨド(女の子の方)とアラヤ(お面かぶってる方)が前へ出ようとするシンキに続こうとしています。やはりリーダー格はシンキか。

 マンガ版で『シンキの義理の父親が我愛羅という設定が出てきたおかげで可能になったやり取りですね!

 我愛羅があまり耳慣れないような単語を使ってますが、「彼我戦力」=「敵軍と自軍の戦力」ですね。思わずググりました。軍事派生の用語です。

 NARUTO世界での "忍" はある種の軍事組織のように描かれてますから、こういうお堅い軍事用語がバンバン飛び交う会話とか、意外と相性が良さそうですよね!シンキは兵法とか戦術学を叩き込まれて育ってそうだな…。なんとなく。

 

で、待ってましたのこのシーン!!

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 サスケがカッコいいのは言わずもがなですが、サラダのミニスカート良いですね。エロくなく健康的な色気が最高です。

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 サスケは少しとっぽい印象になりました。NARUTO本編の初期のサスケだったら、こういう台詞は思いっきり不敵なドヤ顔で言ってたと思います。しかしフツーにさらっと言わせることで、大人の余裕すら漂ってますね。池本幹雄のサスケ良いなあ…。

 

科学忍具はやっぱり "悪モノ"?

 

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↑ サスケの表情がいちいち渋くて痺れます。

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 まあ要するに科学忍具のことをも、暗に批判しているわけです。暗にというか、かなり露骨にですけど…。

 う〜んなんだかなあ…これが20年前のマンガだったら全然アリだし激アツな展開なんですが、今ってベイマックスとかがアカデミー賞をとるような時代なんですよ。

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↑ 「ベイマックスウォルト・ディズニー)」はアメコミヒーロー映画。主人公の少年ヒロやその仲間達は全員重度の科学オタクで、自らの発明品を武器に悪と戦う。(画像は公式サイトより引用)

 科学は人間を助けてくれるもので、いまや我々の良き友人です。むしろ日本って、新しい技術をどんどん開発して高いレベルで使いこなすことで成長してきた国じゃないですか。

 今は科学の悪い側面を描いた作品であっても、悪と決めつけるよりかは、一歩間違えば悪にもなるから過信はすんなよ!と警鐘を鳴らすものが多いですよね

 つまり BORUTO って、時代の流れに思いっきり逆行しちゃってるんですよね……

 新しい道具や技術にどんどん順応して使いこなして、ものごとを精神論でとらえず合理的に処理しようとする感覚に関しては、今の若い世代の方が遥かに進んでます。そしてこれからはおそらく、そちらが主流になります。そんな時代の流れに、BORUTO のテーマ性は完全に逆行してしまってるんです。

 いや…もちろんその、言いたいことは分かるんですよ。。自分の手も動かさず、努力したり本気になって頑張ることを避けて、便利な力に逃げちゃいけないよ。というメッセージなんですよね。それ自体はすごく良いんです。あえて時代に逆行するテーマを描くことで、利便性ばかりを追い求める現在の風潮に一石を投じようとする狙いもおそらくあったと思います。岸本先生のそういう精神が、連載当初から大好きです。

 ただ、本来なら良い面悪い面の両方があるはずの『便利な道具』をほとんど頭ごなしに糾弾しているので、ものすごく偏ったテーマに見えます。問題なのはテーマそのものというより、描写の方法です。

 「科学忍具」という小道具の描かれ方、敵ボスの能力の露骨さ、いまどき悪役が「下等生物」とか言っちゃう勧善懲悪っぽさ……すべてが悪い方に化学反応を起こしてしまって、"古き良き" というよりかは、どちらかというと "古臭い" の方かも……

 「そんなもん本物の実力じゃねえ!」と糾弾するんではなくて、これが例えば「科学忍具は下忍にはひたすら脅威、上忍クラス相手にぶっぱは通用しない。その性質上、中忍試験では禁止しているが実戦で使いこなせれば戦術兵器として有用」くらいの中立的な扱いだったら、もっと描写が変わってたんじゃないでしょうか……?

 もっと言えば、尾獣(人柱力)の力を "悪しきモノ" として糾弾することは簡単で、現にナルトは里の人間にハブられてたし九尾の影響のせいで自分のチャクラをコントロールすることもままならず、落ちこぼれの烙印を押されてました。今でこそ九尾のチャクラはチートだ等と言われますが、当初のナルトにとって九尾のチャクラはマイナスでしかなかっわけです。しかしナルトはその力と向き合い自分のモノにし、マイナスを大きなプラスに変えていくことで、最終的には「火影になる」という夢を叶えました。

 尾獣は特定の人しか持てませんが、科学忍具は誰でも持てます(力の規模の違いこそあれ)。

 取り方によっては、尾獣とか血継限界とか八門遁甲とか、そういう特別な力を持たないモブみたいな忍者であっても、誰でも、科学忍具でワンチャンあるって考え方も出来るわけじゃないですか。その人が努力して技術と戦術を磨きさえすれば、「クリリン側の人を主人公に」どころかヤムチャでもワンチャンあるで!!みたいな。

 「科学忍具」というアイディア自体はすごく画期的なので、このまま単なるチートアイテム扱いで終わったら純粋にもったいないです。岸本先生がせっかく長年温めてたアイディアなんだし………。(「起爆札」とかの更なる進化形アイテムと捉えていい気がする。)

 

 

  …というのはごくごく個人的な妄想です。
 人それぞれの考え方や好みにもよりますしね!

 

火影ナルト、ついに本領発揮!!

 やっぱり、ナルトの王道展開は熱いです!!

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子供たちをサスケに託し、覚悟を決めたように微笑むナルト。立派に成長したなあ…(涙)

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もはやツーカーの2人。サスケも、ナルトの覚悟を感じ取ったようです。ボルトは動揺が隠せませんが、サラダを背後にしっかりかばってます。

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  たぶん、ここでナルトはいったん退場、マンガオリジナルのストーリーへと徐々に移行していく流れになるのかな?と思います。ナルトやサスケがいつまでも前にいると、その下の新世代のキャラ達が活躍できないですからね。

 

今後のストーリーは……?

 ここからは完全に私の妄想ですが、木ノ葉、砂、雲隠れが一丸となって事件解決に乗り出す流れになって、合同チームが組まれて、中忍試験で敵対してたキャラ同士が今度は仲間として協力する関係になる……

 みたいな感じでしょうか?!?!

 

  いやいやいや……。まだ基本のスリーマンセルの活躍すら描かれてないですからね…。ボルトたち3人はパンダの捕獲だけ。猪鹿蝶のフォーメーションもちゃんとお披露目されてないし、ぜんぜんキャラが出そろってません。

 いきなり混成チームとかは無いだろうなあ…。他の班員が一切描かれてないメタル・リーとかどうすんだ…?シンキに旗とられて適当にギャグっぽくお茶濁して終わり??

 シノやテンテンやキバには子供はいないんだろうけど、せめて犬塚一族や油女一族出身の新人下忍のキャラとか、マンガオリジナルで登場してきてもよさそうな気がするんですけど、それも無いのかな〜……

 

 今回はごめんなさい!できるならずっと好評系の明るい話題でいきたかったんですが、ちょっと批判みたいな内容も入ってしまいました^ ^;;;

 いろいろ書きましたが、マンガ版BORUTOの先の展開はまだまだ分かりません。
オリジナルキャラのカワキは登場してすらいないし、新世代のキャラ達の活躍もぜんぜんまだです。

 

 これからも変わらず、本誌でBORUTOを追いかけていきますよー!

 

個人的にツボった作画まとめ

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 映画よりもスマートな印象のロック・リー池本幹雄の卓越した作画センスとファッション感覚によって、何ともいえないツナギのようだった衣装がブルース・リーのめちゃカッコ良いトラックスーツに生まれ変わりました。「袖、破れてる…」→「切りっぱなしデザインおしゃれ」ぐらい印象が違って見えます。

 そしてなんと、ナルトの呼びかけが「ゲジマユ!」ではなく「リー!」と名前呼びに。(あれ?映画もだっけ?)ナルトも大人になったんですね。よかったよいきなり「ロック!」とか言い出さなくて。

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 シーンがいいですよね…。「ちゃんと説教されてたら…」というボルトの悲痛な叫びは、本当は構ってほしい!!自分を見てほしい!!という思いの裏返しですね。

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 映画を観てたときは正直パッとしないデザインの敵キャラと思いましたが、マンガ本編で見ると表情や立ち方のアングル等もあいまってか神秘的にすら見えます。

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 シカマルは NARUTO 本編よりもこの歳とった姿の方が断然イケメンに見えるのって単なる個人的な趣味の問題なんでしょうか。モモシキの表情にも貫禄があります。

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 科学忍具のチャクラをモモシキに吸収させてしまったことに責任を感じるボルト。今度は道具に頼らず、たった1人ですが自分で出した影分身でサラダをかばいます。健気です。

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 このマンガの女性キャラは表情が凛々しいというか強くて、実に良いですね!!ヒナタはNARUTO本編よりこっちの方が個人的に好みです。ひまわりちゃん可愛いよ…。急成長して誰かとスリ-マンセル組んでくんねえかな…。番外編であんなに強かったし。

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 映画では表情の変化にやや乏しかったミツキ。マンガ版でもひょうひょうとした雰囲気は変わらないものの、人間味のあるリアクションが増えました。イケメンですね。

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 ん?!!

 あれ、こないだチラッと出てきたメタル・リー。敬語喋っとるやん!!!マンガでは確かまだ敬語で喋るシーンは描かれてない。読者からオリジナルキャラクターのアイディアを募る企画ページのやつですけど、コレは企画ページのライターが適当に描いたやつなのか、ちゃんと脚本家のセリフに基づいてるのか…?

 メタル・リーは相手をみて敬語とタメ語を使い分けるタイプか、独り言とか頭の中だけタメ語で考えてるタイプか。まあロック・リーも最初のセリフなんて「おいおいおい聞いたかよ」とかでしたからね。すぐ敬語になったけど、音忍とか敵にはけっこう威嚇的な喋り方をしてたし、そのうち頭の中まで敬語で独りごと言うキャラになったかと思えば、最終回近くの回想シーンではネジとふつうにタメ語で会話してたり。この系統のキャラは口調にバラつきがありそうなので何気に楽しみです。笑

 

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【ネタバレ ボルト - BORUTO - 】4話 中忍試験 個人戦トーナメント開始!!【NARUTO - ナルト - 】

 

※この記事の画像は、すべて週刊少年ジャンプBORUTO』および、同誌『NARUTO』より引用したものです。

  

 コミカライズ版 BORUTO(ボルト)第4話の感想・考察です。 

 本ブログでは基本的に、映画版と違う箇所について重点的に触れています。ストーリーの流れなど映画版と大差ない部分については、あまり言及しません。

ボルトの映画は見て話は知ってるけどコミカライズがどうなってるのか気になる」
「ぶっちゃけ作画どんな感じなん??」

という方向けの内容となっております!

 詳しいあらすじや解説などは他のブロガーさん達がすでに書いてくれてますので、そちらを参考になさってくださいね~

 

 今回の扉絵はこちら!

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冒頭のオリジナル展開

 

 ここで早くも、オリジナルストーリーへの布石が出てまいりました!!

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↑ 謎の「巻物」と対峙するナルトとサスケ。この幾何学模様みたいのは解読装置の一部なのか、巻物そのものなのか…?

 まだ何のこっちゃ分かりませんが、この先に映画とは違うストーリーが待ってると思うと期待感がハンパないです!

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 どうやらこのマンガ版、「時代が変わって人が変わっても "忍" の本質は変わらない」ということをメインテーマにしようとしてるっぽい…??第1話でのボルトとカワキのやり取りといい、どうもそんな印象を受けました。

 映画は「親子劇」メインにまとまった王道路線でしたが、それだと話がナルトとボルトとの間だけで完結してしまって広がらないし他のキャラが絡みにくくて仕方ない。親子劇はテーマの一つくらいに押さえて、次世代の新キャラたちがもっと活躍できるような新しいストーリーに作り変えてかないと厳しそうです。

 池本先生の個性的で尖った作風だってまだ1%も発揮されてませんからね!ぜひ脚本家さんと好きなようにいじり倒して、新しい解釈によるNARUTOの世界を見せてほしいです!個人的には、映画シン・ゴジラくらいぶっちぎっちゃっても全然アリだと思います。(あれは画作りも話も秀逸だったなあ。。)

 

 

ナルトとボルト、親子のふれあい

 

 さて、ストーリーの方は中忍選抜の三次試験が始まろうとしています。

 息子の二次試験がどうなったのか気になってソワソワしてるけど、悟られまいと平静を装おうとするナルト。あまりにも分かりやすい行動にほっこりします。笑

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 息子の受験状況が気になって仕方ないナルトのもとへ、シカマル登場。ボルトたちの無事な通過を知らせてくれます。

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 シカマルが部屋から出てってから「いよっし!!!」とやる辺り、やっぱり親子で似てる感ありますね!

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 今回は親子の絡み多めです。
 はいっ待ってましたのこのシーン!!

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 「男親と息子」って感じの、サバサバした爽やかなやり取りが良いです。この辺だけでお腹いっぱいになりました。

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 満開の笑顔をあえて抑えているようなボルトの表情がいいですね!

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 父親が部屋から出て行った瞬間、この笑顔。アマノジャクなお年頃です。

 

 

 いよいよ三次試験開始!!

 

 そして、待ちに待った三次試験、個人戦!!そのトーナメント表がこちら!

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 絶妙な采配です。映画では決勝戦(あれ、もしかして違ったかな…)でボルトとシカダイが戦ってて、砂の3人とか明らかに強そうなのに誰に負けて落ちたんだよみたいな感じでしたが、マンガ版ではサラダやミツキの位置も含めてかなり配慮されてます

 第一試合の勝者は「甲組」がボルト、シカダイ、「乙組」がサラダ、ミツキ、「丙組」がアラヤ、シンキなので、なんと第二試合がぜんぶ同じ里同士の戦いになっちゃってます。しかも、そのうち2か所は同じ班のメンバー同士。サラダVSミツキ、シンキVSアラヤです。

 まあ、その前に試験中止されるんだろうけど、、、。

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↑ 謎の「巻物」の解読が終わるなり、難しい顔で立ち去るサスケ。ただ事じゃない予感しかしません。

 

 個人戦のバトルシーンはボルトのオンステージですが、むしろ相手役のユルイやシカダイの方が絵に気合いが入って見えるくらい、表情も構図もキマってました。池本先生のキャラは表情がリアルで『AKIRA』や『スチームボーイ』の大友克洋先生を彷彿とさせます。

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 原作者の岸本斉史先生のような、どうやってそんなアングルからの構図を描いてるんだ??みたいな圧倒的多彩さはないものの、どういう立ち回りが展開されてるのか分かりやすいし、迫力も十分です!

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ボルトの不正が発覚…!

 

 ストーリー自体は映画での流れ通り。ボルトのズルが発覚してしまい、バツの悪い状況に…。

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↑ ナルトの表情が怒ってるというよりは若干悲しそうなのがこたえます。

ボルトの心境としては、お父さんに認めてもらいたい・自分を見てほしいがための行動だったのですが、完全に裏目となってしまいました、、、。

 ズルはダメだろ!という正論が頭の片隅にあったとしても、ボルトの場合は心の成長が追い付いていない感じでしょうか。逆に、前回登場してきたメタル・リーあたりはプレッシャーに弱そうな半面、そういった倫理観は発達していそうな気がします。

これは私見ですが、「 科学=悪、自力で身に付けた力=正しい 」みたいな感覚は良くも悪くも前時代的で、はっきり言えば古臭いです。ボルトたち "新世代" の忍は、道具を使うということに関して親世代とは全く異なった感覚を持っているとしても、べつにアリなんじゃないか?とも思います。(昔の営業さんは得意先の電話番号を一生懸命暗記したそうですが、今はスマホに登録しておけば一発です。無駄なことに記憶や労力を使う必要はないわけです。こういう感覚に近いんじゃないかな…?)

 逆にメタル・リーみたいなキャラが、敵との実戦ではなりふり構わず科学忍具で短所を補い巧みに戦っていたら、それはそれでカッコイイと私は思います(幻術返しとか)。お前にプライドはないのかって話になると思いますが、そこの所との葛藤という新たなテーマも生まれるし。ただの "怠け" で使うのは別としても、科学忍具そのものを悪者にしなくてもいいのでは??

 岸本斉史先生が長年温めていたせっかくのアイディアなんだし、マンガ版ではもう少しポジティブに科学忍具を扱ってもいいんじゃないかな??と、ちょっとだけ思いました。

 

 

 ラスボス登場?! 

 

 最後に、映画でのボスキャラがチラっと登場!!能力はやはり『倍返し』なのか??

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↑ 狙いは尾獣の力か…?いきなりロックオンされたナルト。この流れで試験中止になりそう。

 

 映画版では「忍術が通じない!」となってからの流れが少しだけ強引だったこともあるので、マンガ版でどうなるのか楽しみです。

 

 一ヶ月後が待ち遠しい…!!

  

 

個人的にツボった作画まとめ 

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 作画は相変わらず良いです!!サスケとか明らかにマンガ版の方がイケメンだし、雰囲気もどこかニヒルな感じで痺れます。(一部では不評って聞くけどなんでだ?!!)

 いや…やっぱり本家は岸本先生だなあと思う時も正直あるんですが、やっぱり違う人の作画は新鮮です。

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 個人的に、このマンガ版のヒマワリちゃんどストライク。全体的に優等生っぽくて誰にも好感を持たれそうな映画版のキャラ付けより、池本先生が焼き直したキャラの方が生き生きして見えて私個人としてはかなり好みです!いや…だって岸本先生の読み切りではお転婆そうな印象だったのに、映画で急におっとり系にシフトしてくるから…。
 いやいやあくまで好みですからね!映画版のキャラだって魅力的です。

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 渋すぎるシカマル。ふつう、キャラが歳くった姿なんてもうそれだけで劣化フィルター通して見てるようなもんなのがファン心ってやつですが、どう考えてもカッコイイ。モテてそう。

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あざとすぎず、控えめすぎず、ちょうど良いサバサバ感のサラダ。モロタイプです。

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 ママ友3人組。華やかですね〜!!テマリの豪快な笑い方が意外ですが、ふしぎと違和感なし。まったく嫌味がありません。私はむしろこのマンガでテマリ好きになりました。しっかし髪の分け目一つとってもなんかオシャレなんだよなこの人の絵って…。

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  ボルトと激突したユルイ。戦闘はぜんぜんユルくないです。映画では正直まったく注目してなかったキャラですが、このマンガはキャラの表情に "記号っぽさ" がなく生き生きしてて、どのキャラも魅力的です。

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 今回一番の大どツボ池本幹雄が描くとお世辞でもノリでもなんでもなくロック・リーもイケメンに見えます。生え際をしっかり見せてくるあたり…分かってますね〜!!やっぱりロック・リーはカッコいいなあ…。原作初期~中期の彼が帰ってきたような錯覚を覚えました。

 実際この造形をバランス良く描くのはかなり難しいです。ロック・リーは、原作は後半になると丸描いてちょんみたいな目になって表情が常に一定だったし、アニメは黒目がぐりぐりすぎてたまに魚かカエルみたいな顔になっていた。

 

 池本先生の絵のセンスはズバ抜けてて、しかもただイケメンとか可愛く描けばいいみたいに闇雲に美化してるわけでもなく、本当にナチュラルに底上げされてて違和感が無いです。出てくる全てのキャラがカッコイイ!!

 池本先生には、その作画やデザインへのこだわりを貫き通してほしいです!

  

 そしてNARUTOというビッグタイトルのコミカライズで名前を売ったあかつきには、ぜひオリジナルの次回作を!!


余談みたいな

  映画を見てて気になったのが、審判が全く気付かなかったボルトの不正を、横から割り込んできたナルトがあっさり指摘して、ボルトの失格を審判に指示してしまうこと。これはちょっと…「審判仕事しろ」な流れですよね。だってこれ、サッカーの試合でいったら主審がファウルを見逃して「今のレッドカードだろ!」って外野から指摘されちゃってるのと同じ状況ですよ…。(その前に、運営側としてモニターを監視してたテンテンやシノも全然気付かなかったし)

 でもマンガ版ではその辺りの描写が少し足されてて、観客のサクラ、いの、テマリも、各里の影たちですら、全く気付いてないことがハッキリ描写されます。

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 これのおかげで、「運営側や審判が気付かなくても仕方ないか」「そもそも『科学忍具』の存在を知ってるナルトだから気付いたのかな?」くらいに印象がやわらいでます。

 これ…本当に良い仕事だと思いました。

 もともと、原作者の岸本斉史先生はこういう細かいことへの気配りに熱心でした。例えば、中忍試験編の我愛羅 VS ロック・リー戦で、我愛羅が変わり身と入れ替わったことに気付かず表蓮華をぶちかましてしまうシーン。カカシ先生だけは変わり身に気付いてました。しかし、当事者のリーは体の痛みで怯んだ一瞬の隙を突かれ、カカシ先生の横で一緒に見てたガイ先生はリーの捨て身技が成功するよう目をつぶって祈ってたせいで、気付かなかった。こういうフォローをきちんと入れてくるんです。

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 ストーリー的にはどうでもいいことかもしれませんが、そうした些細な言動からキャラ達の実力や頭の良さが読者に推し量られるのだ…ということをしっかり考慮に入れた上で、どのキャラもテキトーに扱わない。無頓着に一部のキャラだけに泥をかぶせるような演出はしない。そういう熱意が、岸本先生には有ったんです。

 でも映画には、そういった丁寧さはほぼ感じられませんでした。尺の関係上やむをえずそうなってしまった部分はあるにせよ、少しもったいなかったです。

 

 また、シカダイの能力についてもマンガ版では描写が考えられていて、凄く良かったと思います!

 そもそも、まだ戦意も戦闘力もある相手をただ一時的な術で動けないようにしただけでは、勝ったことにはならないはずです。勝利条件は相手を戦闘不能にするか「参った」を言わせるか。

 シカマルの使っていた『影真似の術』は相手に自分と同じ動きをさせる術で殺傷力はないし、持続時間は5分程度と短く、相手が動けないうちにと好き放題攻撃しようものなら相手も同じ動きをしてきて自分も傷を負ってしまいます。

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 だからこそ原作でのシカマルは、影真似の術で相手を捕捉してそこから先どう詰めるかの部分で頭脳が光っていました。

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↑ 見事な策略で対戦相手の音忍を撃破

 また、本戦でテマリと当たった時も、シカマルは『影真似の術』でテマリを完全に捕捉しました。それでも、そこから先の作戦が思い浮かばないという理由で棄権したんです。はたから見ればシカマルが押してるように見えたしテマリは敗北感を覚えたようですが、シカマルとしては手詰まりだった。

 こういったことを踏まえると、映画版でのシカダイが似たような影の術を使ってボルトを拘束し、その時点でほとんど勝敗が決まったかのような流れにはかなり違和感がありました。(ボルトが焦って科学忍具を使ってしまっただけ…とも取れるんですが…)

 一方、マンガ版でのシカダイは、どうも『影真似』ではなく『影首縛り』に近い術を使っていることが、なにげに描写されています。

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↑ クナイを取り出すシカダイ。ボルトは動かないまま。これが影真似の術であれば、ボルトも同じ動きをして武器を取り出すはず…。

 つまり、シカダイの術は相手を金縛りのようにした上で自分だけがある程度自由に動ける性質のもので、動けない対戦相手をゆっくり料理できる → この勝負もらった! 、、、という状況だったことが、この一コマだけでなんとなく分かるんです。

 たった一コマの描写だけど、これはデカイ。

 

 こういった細かい部分で、映画のストーリー展開の雑さは少し残念でもありました。尺が足りない関係でそうなってしまった部分もあると思うので、マンガ版で補えるところはどんどん改善していってほしいです!

  これからも、マンガ版 BORUTO の連載を追っていきたいと思います!

 

☆☆ ↓ 次回、第5話はこちらから ↓ ☆☆

rootm.hatenablog.com

 

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【ボルト -BORUTO-】 3話 感想 メタル・リーの性格設定が意外!【ナルト】

 

※この記事の画像は、すべて週刊少年ジャンプBORUTO』および『NARUTO』より引用したものです。

  

 コミカライズ版 BORUTO(ボルト)第3話の感想・考察です。 

 本ブログでは基本的に、ストーリーの流れなど映画と大差ない部分についてはあまり言及しません。

ボルトの映画は見て話は知ってるけどコミカライズがどうなってるのか気になる」
「ぶっちゃけ作画どんな感じなん??」

という方向けの内容となっております!

 

 

 

中忍試験開始!! 

 というわけで、BORUTO 第3話です。詳しいあらすじ的なものは他のブロガーさんがやってると思うので、そちらを参考になさってくださいね~!

 今回の扉絵はこちら。

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 テマリの衣装デザインが足元の細部にいたるまで凝ってて気合入ってますね!いわゆる大人かわいいって奴でしょうか。水玉柄の帯とサンダルがモダンでかっこいい。我愛羅カンクロウも大分印象が変わってます。

 まあしかし、出てくるキャラ出てくるキャラ、女の子がかわいい。

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 三者三様の態度でまったくまとまりのない猪鹿蝶。このバラバラな3人組が見事なチームプレーで予選を勝ち上がると思うと熱いです。チョウチョウ色っぽい。ビヨンセみたい。

 

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 テンテンは映画のイメージとのギャップが一番少ないキャラじゃないでしょうか。岸本斉史がデザインを気に入っていたキャラなだけあって、いじりにくかったのかもしれませんね。

 

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 出ました!砂隠れ!!

 今回から、傀儡使いのシンキ率いるスリーマンセルが登場です。

 なんか雰囲気のある3人だなあ…。まあシンキは期待通り見るからに暗そうで、お面の奴が意外と元気だったwww女の子(名前調べときます)のデザインが映画とだいぶ変わってますが、このマンガ版の方が100倍かっこいいです。美人だし!

 

 

砂隠れのシンキの能力について考察 

 

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 シンキの操る黒いモヤは映画の設定では「砂鉄」ということだったので、彼の能力はおそらく 磁遁 の血継限界ですね。

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(オフィシャルムービーブック 秘伝・在の書 より)

  このような砂鉄を使った忍術は、NARUTO本編では暁のサソリが操る三代目風影の傀儡が繰り出してきました。生前の三代目風影が歴代最強と謳われる所以である強力な術の数々には、チヨバアとサクラも苦戦を強いられてましたね!

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↑ サソリと三代目風影の傀儡。構図がめちゃめちゃカッコ良いです。(NARUTO 30巻 266話 より)

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NARUTO 30巻 267話 より)

 「砂鉄時雨」「砂鉄界法」などなど、どことなく我愛羅の術「砂時雨」等の術に似ています。名称の語呂までそっくり。それもそのはず……

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NARUTO 30巻 268話 より)

 実は、この砂鉄を使った忍術…我愛羅と同じ "砂の守鶴" の人柱力が用いていた術を応用したものだったんですね(だからシンキと我愛羅の戦い方は一見すると似ているのです)。この砂鉄を操る忍術は三代目風影が独自に開発したオリジナル技です。

 また、磁遁の血継限界そのものは我愛羅も持ってます。我愛羅は砂鉄ではなく砂金を操っていました。(※彼が普段操ってる砂はただのふつうの砂(にチャクラを練り込んだもの)で、これは磁遁ではなく彼自身の特殊な体質によるものです。)

 で、ここらで本誌BORUTOの方に話を戻しますと、、、

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 シンキの義理の父親我愛羅ということらしいです。ちなみに我愛羅の実の父親に磁遁を教えた師匠が生前の三代目風影です。

 ちょっと関係がややこしいですが、とりあえず我愛羅とシンキには血の繋がりは無いことだけは明らか。じゃあシンキの本当の父親って誰なんでしょうか。

 先ほど、砂鉄を使った忍術はもともと三代目風影のオリジナル技だという話をしましたが、シンキってもしや、三代目風影ゆかりの人物…?

 ところで、「まだ見ぬ他里のライバル」って あの彼 のことですよね???

 

 

ロック・リーの息子? メタル・リー登場!! 

 

 さて、ストーリーの方はいよいよ中忍試験が始まりました。個人的に一番の見どころはというと

 記事タイトルの通りです。

 満を持して、ロック・リーの息子とされる二世キャラ、メタル・リーが登場してきました。性格付けがより明確に打ち出されたためか?映画版とは若干(というか、かなり)雰囲気が違う…?!

 一見すると、ロック・リーとまったく同じ路線の熱血キャラに見えるんですが……

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 まず緊張して平常心を保とうとしてるって時点で、心のテンションとしては完全にマイナススタートもはや熱血どころじゃない気がします。

 実はあんまり父親に似てなくないか???本当に熱血??

 敬語が抜けて熱さとか男らしさは増し増しになっているようにすら感じるのに、なんだろう…なんか試験の前日にネガティブな意味で"緊張"したりするイメージって、ガイ先生にもロック・リーにも全然ないです。

 というか、「うう…明日は本番だ…緊張してヘマでもしたら修行の成果台無し…平常心、平常心……うわあああーーん緊張してきたよ〜〜〜〜!!」みたいな意味のことをさもポジティブ風に、暑苦しい熱血ノリのセリフ回しで叫ぶって相当新しい気がします。

 台詞をよく読むと言ってる内容はネガティブなのにノリだけはむやみに熱。いやどっちだよ!!このシーンがたまたまそうなのか…?まだ台詞が少ないので分かりませんが、少なくともロック・リーやガイ先生とは、また少し違ったタイプの性格に見えます。

 おそらくメタル・リーは似たような体術を使うキャラになるからってことで、性格の違いで個性を出していくのかも??父親とされるロック・リーとの差別化は特に重要です!


 、、、というわけで、ここでまず父親の少年時代について振り返ってみます。

 

 

ロック・リーとメタル・リーをなんとなく比較

 

 ロック・リーは、誰がどう見てもダサい(※褒め言葉)ファッション感覚をナウいと言い張ったり、初対面のサクラに告ってこっぴどく振られようが全く諦めなかったりと、とにかく前向きです。でもナルシストとかそういうんでなく彼はただひたすらにポジティブなんだな」という、爽やかさとギャグノリが同居した印象を与えていました。

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 自分を追い込むことで逆境をはね返す強力なプレッシャー耐性を、ロック・リーは修行の中で身につけていることが伺えます。(↑の時はリスの乱入で失敗していますが)

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 もちろん試合を前に緊張する様子などカケラもなし。自分の出番は次か次かと、始まる前からテンションMAX。

 彼も最初の頃は落ち込んで泣いたりしていましたが、ガイ先生の熱血指導に感覚されてその熱血キャラが板につき、そのまま自分の一部になり、正真正銘のポジティブキャラになりました。

 

 一方、、、本誌メタル・リーの熱血は、↑とはちょっと様子が違うように見えます。

 "大事な試験を前に緊張する自分"とか、"緊張のために失敗する自分"とかを想像してしまって、自分のそういう部分を自覚していて、それを熱血ノリでなんとかカバーしようともがいているような
根っこはネガティブキャラか…??
という印象をなんとなく受けました。

 

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( NARUTO 10巻 84話 より)

 

  多分というか、なんとなく、メタル・リーは「最初の頃のロック・リー」と同じメンタルを引きずったままです。でも表面上のノリは熱血。(分かりません、なんとなくです)

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  彼は中忍選抜の一次試験で "追い込まれてからのとっさの判断力" を問われ、そこをしっかりクリア出来たのに「よっし!!オレだって、やれば出来るじゃん!)」とはならず、ホッと胸を撫で下ろして「よかった落ちなくて…)みたいなリアクションを一人だけしています。他の子はみんなふつうに嬉しそうなので何気に目立つ。

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 でも実際に戦闘が始まってみると、緊張したり怯んだりするそぶりは見せず、かなり好戦的な印象にガラッと変わります。純粋な破壊力では相手を上回っているかに見えます。しかし映画での筋書き通り、旗は敵チームの手に。

 ( ↓ キャプチャ失敗して左側が切れてますが、イケメンとギャグを交互に混ぜくったような絶妙なリアクションをしてくれます。色んな要素がよりどりみどりのごっちゃ混ぜです。)

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  彼は駆け引きが苦手なのか。でも、「緊張してヘマでもしたら…」みたいに悪い方へ悪い方へ考えるのってマンガキャラの記号としては "最悪の事態を想定しながら動く"、どちらかといえば駆け引きは出来るタイプです。(「ここは賭けに出るしかない…!」と失敗or成功の二択にまかせ捨て身の禁術で突っ込んでいくロック・リーとはある意味正反対かも)

  追い込まれた状況での判断力や、敵を前に怯まない度胸、闘争心、そして戦闘力などなど、忍として一通りのものはきちんと備えているように見えるのに、なぜか良い方向へ発揮されずてんでバラバラ。気が強いのか、弱いのか?単なるアガリ症というより

 見事に矛盾を抱えまくったキャラ

という印象でした。彼の自己イメージはきちんと統合されているのか、少し気になります。(そこまで深い描写が本誌でされるのかすら危ういですが

 

 あと、あまり深い意味はないのかもしれませんが気になった点が1つ、、

 彼の部屋にロック・リーらしき人物の写真が立てかけてありましたが、家族写真て、ふつう一緒に写ってるやつを飾りますよね。こいつら本当に親子か??親がピンで写ってる写真を部屋に飾るってふつうの感覚ではないですよ。純粋にヘン。なんか遺影みたい。

 

 ロック・リー……まさか死んだことにされてないよな??!

 (次回、たぶん審判の役で登場してくるはず…)

 

 

まとめ  

 

 「最高にロックな精神既成概念《忍者は忍術使ってなんぼ》に対する反骨精神、奇抜なファッションや言動など、風潮や空気にとらわれず己を貫くさま)をその名の通り体現してきたロック・リーに対し、このメタルリーは歌詞の暗さ後ろ向きさのわりに曲や演奏はむやみに激アツ」というヘヴィメタルの矛盾した性質を、ものの見事に体現しているように感じます。

 いいぞ!!もっとやれ!!私はこういうヒネったキャラも大好きです。

 ヘヴィメタルという音楽ジャンルも元々好きなので、このメタル・リーというキャラには個人的に感情移入が相当偏ってます。

 マンガには直接関係ないですが、ヘヴィメタルはロックから派生したとされるジャンルではあるものの、その演奏テクニックは他ジャンルのアーティストの追随を許さないほど高度です。彼らの超絶技巧は地道で圧倒的な練習量に裏打ちされています。超のつく努力家で、音楽への熱意がハンパなく、ステージを降りると控えめで真面目な性格の人も多いです。

 

 マンガ版BORUTOに登場する全ての二世キャラ達がそれぞれに成長をとげていくことを期待しつつ、これから先の展開に注目していきたいと思います!

 おわり

 

  ちなみにですが、、、

 ヘヴィメタルとはこんなです。とにかく格好良いので騙されたと思って聞いてみてください。※再生ボタンをタップしても始まらないスマホユーザーの方は、下の所のちっちゃいURLをクリックしてみてくださいね!

youtu.be
  
 暗さとともに、どこかクサいコテコテ感、ダサカッコ良さみたいな、ロックとはまた違った独特の激しさがあることがお分かりいただけただろうか?!!

 少しでも気になった曲がもしあったら、ぜひ一曲まるまる聞いてみてください。

 日本のメタル人口増えろ!!!

 

☆☆ ↓ 次回、第4話はこちらから ↓ ☆☆

rootm.hatenablog.com

 

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「ロック・リーってどっちが苗字??」NARUTOで考察、中華風キャラの名前の謎。

 


 アニメやマンガに出てくる中華風キャラの名前は「シャオ××」や「⚫︎⚫︎リー」といった古典的なものが大半ながら、どれが姓でどれが名なのか、たまに紛らわしいことがあります!!

 キャラクターの名前は、やはり響きのカッコ良さや覚えやすさが重要ですよね。実在する有名人の名前をもじってあるケース以外、多くは中華っぽい名前(日本人読者に"中国人"あるいは"中華風"のキャラだと認識してもらいやすい名前)として名付けているので、必ずしも現実の名前の法則には当てはまらないかもしれません。

 その辺りも踏まえつつ・・・

 今回はとくに紛らわしいということで俺の中で話題となったNARUTOのキャラ達を例にあげ、現実の中華圏の人名を参考にしつつ、中華風キャラの名前について考察してみたいと思います。

 

 

 

中華風キャラの名前がまぎらわしいワケ

 現実世界において、中華圏の人の名前は「 苗字 + 名 」の順に表記します。日本人の名前と同じです。

 しかし、ブルース・リー」「ジャッキー・チェン」「テレサ・テン」「ビビアン・スー」「アグネス・チャン」のような名前は、姓名の順番が逆なのです。

 

 いったい、なぜなのか???

 

 というのも、これらは西欧風の名前を名乗っているからなのです。なので、姓名の表記順は西欧の様式に従って逆転しています。「ブルース(西欧風の)」「リー(苗字)」という構成です。ジェームズ・ボンドとかと同じです。(世間的には常識なのかもしれないけど、私はそんなこと意識したこともなかった・・・)

  一方で、ブルース・リーの中華圏での芸名は李小龍(リー・シャオロン)」。こちらはふつうに「 苗字 + 名 」の順で表記します。ややこしいですね。

 マンガやアニメに出てくる中華風キャラクターの姓名の表記順は、当然ながら ↑ の両方のパターンが混在しています。

孫悟空 / ドラゴンボール → 苗字 + 名(苗字が一字、名が二字)

◆道蓮 / シャーマンキング → 苗字 + 名(苗字と名前が一字ずつ)

春麗ストリートファイター2 → 名のみ(名前が二字)

◆リナリー・リー / Dグレイマン → 名 + 苗字

◆ホァン・パオリン / TIGER&BUNNY → 苗字 + 名

ロック・リー / NARUTO → ???

 

 で、、、肝心のロック・リーがどうなのかというと、、、、、

 まずロック・リーというネーミングがそもそもブルース・リーのもじりなので、元ネタに合わせるならロックが名前、リーが苗字、、、ということになると思われます。

 ↓ ブルース・リーロック・リー

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 ロック・リーって、苗字そっち?!?!(日本人読者一同)

 もともと海外のファンはロック・リーのことをもっぱら「ロック」と呼ぶので、そこに違和感を覚えた日本人ファンも多かったと思います。

 北米版NARUTOではキャラの名前の表記が「NARUTO UZUMAKI」のように欧米流になっていることが多いのですが、ロック・リーはそのまま「ROCK LEE」だったので、ある意味当然です。

 「LI ROKKU」とかにしてしまうと、ブルース・リーのパロディキャラであることを北米の読者に分かってもらえなので、そうせざるを得なかったんだと思います。
(私はそもそも、UZUMAKI  NARUTO と日本式に表記して「そういう世界観です!」と突っ張らないところに少しだけ違和感を感じてしまうのですが、、、)

 日本人読者の視点からすると、順当にいって「うずまきナルトはナルト、春野サクラはサクラ、ロック・リーはリーってみんなから呼ばれてんだからリーが名前だろうとなります。作品の設定や周りの状況から判断して空気を読まないと、不自然な感じがしてしまうのです。

 実際、作中で血筋を強調する時にあえて「うちは」や「日向」という呼び方をすることはあっても、それが単純に個人を指して呼ばれたケースはほぼ皆無でした。

 

 マイト・ガイ先生の父親の名前が「マイト・ダイ」だと判明したことで、この   "ロック・リーの苗字はどっちだ"  論争は一応の決着を迎えたかに思われたのですが、、、、、

 映画『BORUTO』で「メタル・リー」が出てきたおかげで、ロック・リーの苗字は「リー」ということでほとんど確定の流れになってしまいました。

 現在の本国版NARUTOでは、リー親子だけ名前が欧米式で表記順が逆?という謎の事態におちいっています。

 

 先述のようにロック・リーはみんなから「リー」と呼ばれているので、おそらく作者も「リー」の方が名前だと最初は認識していたことと思います。

 (そういえば単行本の何巻か忘れたけど、読者からオリジナルキャラを募る企画で「ロック・~~」というロック・リーの親戚という設定のキャラが掲載されていたっけなあ、、、)

 要は単純に考えて、ただ単に「ブルース・リー  →  ロック・リー  →  メタル・リー」というダジャレというか、音楽ジャンルに引っかけた名前ネタなのです。もともと深い意味はなく、しかも、ロック(岩、岩石)→メタル(金属、合金)となって石器時代から近代へ進化しています!

 

 原作者の岸本斉史先生が、単にこういうダブルミーニングみたいなの好きなんじゃね?!!(たぶん)

 

結論:

 岸本先生にとっては「リー」と呼ばせていたのは他のキャラに合わせた結果であり、どちらが名前であっても元々こだわりはないのかもしれません。

 

 

「テンテン」に苗字はあるのか?

 あくまで現実世界における名前の法則なのでNARUTOのテンテンがそうかは分かりませんが、こういった "音を繰り返す名前"(リンリンとかレイレイとか) には4通りのパターンが考えられます。

 適当な名前を例に出しながら考察してみます。

例1:
 苗字が「鄧(テン)」、名前が「甜(テン)」で、「鄧甜(テンテン)」さんというフルネームである場合。

 苗字が「李(リー)」、名前が「力(リー)」でフルネームが「李力(リーリー)」さんなどもありえます。

 中国人はお互いをフルネームで呼び合うことも普通なので、苗字を含めての音の響きを重視して名前をつけます。


例2:
 名前そのものが「甜甜(テンテン)」さんや「力力(リーリー)」さんなどである場合。ここに苗字は含まれません。日本の名前でいう美智子さんとか裕仁さんなどと同じで、そういう名前です。

 音を繰り返す名前は可愛らしいイメージがあり、幼名や女性の名前に多いです。


 例3:
 名前が「瑞甜(ルェイテン)」さんなどで、そこから一文字とって繰り返し「甜甜(テンテン)」という愛称になった場合。「文莉(ウェンリー)」さんなら「莉莉(リーリー)」という具合に。

 中国では初対面でふつうに愛称(通称)を名乗る人も多く、日本のあだ名の感覚とは少し違います。

例4:
名前が「甜(テン)」さんや「力(リー)」さんなど一字の名前で、これを繰り返して「甜甜(テンテン)」や「力力(リーリー)」という愛称になった場合。

 パスポートなどの登録は「甜甜(テンテン)」だけど戸籍上は「甜(テン)」というように適当であることもしばしば。

 

 中国では、相手の名前や苗字を一字のみで呼ぶことは基本的にしません。

 苗字や名前がもともと一字のみの人をどうやって呼ぶかというと、フルネームで呼ぶ、音を繰り返すなど愛称化して呼ぶ、「小(シャオ)」や「老(ラオ)」をくっつけて呼ぶ、まったく関係ないあだ名(通称)で呼ぶ等々、その人との間柄や親密度によっていくつかバリエーションがあります。

 

結論
「テンテン」はそういうフルネーム、もしくは、もしくは通称かも。

 

 

「 リー 」 の中華風愛称について

  NARUTO公式とは全く関係ない話ですが、アニメの中国語字幕でガイ先生がロック・リーのことを「小李(シャオリー)」と呼んでいたのには大変萌えました。この訳者さんは、ロック・リーの苗字は「リー」の方だと解釈されていますね(「李」は姓の字なので)。

 中国では親しい友人や部下など気さくな間柄では、年上者が年下を呼ぶさいに、「小(シャオ)」をつけることがあります。名前と苗字、どちらにつけてもOK。

 ジャッキー・チェン主演の映画『ベストキッド』では、師匠のハンさんが主人公ドレのことを「シャオドレ」と呼んでいましたね!

 

 

メタル・リーってどう名前を呼んだらいいのか、、、?

 映画『BORUTO』の新キャラクターが発表された当初、ロック・リーの息子とされるメタル・リーの名前の呼び方ロック・リーはリーで、メタル・リーはメタル、なのか、、、???)で多くのファンが戸惑っていました。

 個人的な妄想としては、ふつうに「リー」「小リー(シャオリー)とかでいいんじゃないか的なことはチラッと頭をよぎったものの、、、、、

 日本人の感覚からすると「シャオリー」というのは響きがもはや別モノだし、なんだか音感が "華奢" すぎていまいちイメージが湧かない気もするので、難しいところです。ただ、小(シャオ)は苗字にも名にも付けられる愛称なので、どっちが苗字なのかボヤかしたままでリー親子を呼び分けることは、一応できます。

 とりあえず、、、順当にいって、ロック・リーは今まで通り「リー」、メタル・リーはふつうに「メタル」、、、とか呼ばせるしかないような気がします。

 

 

その他雑記

 ロック・リーの元ネタがブルース・リーであるように、おそらくテンテンの元ネタは、かつて一世を風靡したTVシリーズ『幽幻道士(キョンシーズ)』の美少女ヒロイン、テンテンからのもじりと思われます。両者ともにただそういう名前というだけで、やっぱりとくに深い意味はないと思われます。

↓ 日本中の小学生男子を虜にした台湾美少女テンテンと、NARUTOのテンテン

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 ちなみに、ブルース・リーテレサ・テンのような名前が特別かというと、そんなことはないです。中国や香港、台湾では、芸能人だけでなく一般の人であっても気軽に「西欧風の名前」を通称として使うことがあります。理由は「発音が難しい」「外国の人に覚えてもらうため」「かっこいいから」などで、親がつけた戸籍上の名前とは別に本人が勝手に名乗っているケースが大半です。日本のあだ名の感覚とは違い、彼らはビジネスシーンや初対面同士でもふつうに通称の方を名乗ります。

 また、1つの名前だけでフルネームとか、名前をいくつも並べたものがフルネームとかで、「苗字の概念がない」民族は世界に沢山存在します。対外的に苗字を名乗る必要がある場合には、「父親の名前を自分の名前の後ろに並べて苗字の代用」とする文化もあります。ちょっと例えが強引ですが、「リーさんの息子だからメタル・リー」みたいな感じです。

 我愛羅とかテマリとかカンクロウとか砂隠れの忍は名前しか出てこないので、たぶん風の国の人達は1つの名前しか持たず、苗字の概念がない設定なのかな?と思いました。

 

おわり