やたら細かい感想・考察サイト

漫画、アニメ、映画大好きな管理人によるレビューや考察。

ジャミル(ヤーサミーナシルク)のパーソナルストーリーについて思ったこと

 

この記事は自分の中で感想や考察などを整理するための雑記であり、他の方の考えを否定するものでは決してないことを何卒ご承知おきくださいませ。。m(__)m

また、この記事にはヤーサミーナシルクSSRジャミルのパーソナルストーリーネタバレが大量に含まれています!

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1.ちょこっとカード性能の話し

前置き代わりに、カードの性能の話しをちょこっとします。興味がない場合はすみません、この項を飛ばしてくださいね!

これまでのプレイアブルキャラクターとしてのジャミルですが、SSR寮服はアタックタイプであるにも関わらず火力は控えめ。事実上の上位互換であるSSRおめかしバースデーは火力こそ高いものの、水属性デュオ魔法持ちで対火属性試験で大活躍かと思いきや自身の属性の片方が木属性なので弱点を突かれてしまうという……今ひとつ痒いところに手が届かない、ちょっと中途半端な性能でした。

しかし! 今回実装されたSSRヤーサミーナシルクは全実装キャラ中トップのHPを誇り、水の単属性、もちろん水属性デュオ魔法持ち、おまけでダメージDOWNもありと……対火属性のディフェンス試験において文句なしの環境トップ

これまで性能的にすごく恵まれているとは言えなかったジャミルですが、ようやく良い性能のカードをもらえたなというのがひとまずの所感です。

 

2.パーソナルストーリーについて思ったこと

色々ありすぎたので、順を追ってみていこうと思います。
なかには批判的な言い回しがあるかも分かりませんが、あくまで当ブログが勝手にそう思っているというだけの純粋な考察としてであり、作品やキャラクターを貶めたり、他の方の考えを否定するものでは決してないことをご承知おきくださいませ。。

 


本音だだ漏れの各寮お土産アドバイス

オクタヴィネル

個人的には、特にオクタヴィネルへの言及が面白かったです。

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利害が一致した時こそ頼もしいが基本はヤ◯ザであるというのがヴィランズとしてのオクタヴィネルのコンセプトですから、これは彼らのしたたかさに対する最高の褒め言葉でしょう!
『見ぐるみを剥がされる前に〜』という言い回しも辛辣ながらどこか可笑しく、常に何かを企んでいそうなアズール・ジェイド・フロイドの胡散臭さ(※褒め言葉)をよく捉えていますね!

 

イグニハイド

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よくよく考えると失礼なこと言ってるというか、あそこは陰キャが多いからきっと旅行とかほぼ行かない奴ばかりだろう……とか言わずに『あそこの寮生の大半はインドア派だからな。異国の地の品は物珍しく感じるだろう』とやんわり言ってくれるところに優しさを感じます。ちなみにブログ主は旅行にほぼ行きません。だって知らない場所怖いし……(陰キャ

 


手癖の悪い… ←お前もじゃねえかw

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他人の手癖の悪さを揶揄する前置きから、ジャミル自身も実は手癖が悪かった……という特大ブーメラン! このキレキレの自虐ネタ、さすがです。

4章をプレイした時も思いましたが、ジャミルは苦労人な背景設定があったりクールな外見と性格をしているわりに、ちょっとネタ枠入ってるあたりが絶妙ですね。私はこのキャラ非常に好きです!

少年時代のジャミルがアジーム家の屋敷で相当抑圧された生活を送っていたことは既に4章で描かれていました。そんな生活の中、つい友達と一緒になって盗みをやってしまって、あとになってヤベーと思ってこっそりお金を返しにくるなんて、なんともいじらしい話しじゃありませんか。しかもノートの切れっ端に代金を包んで店先に置いていく……盗みがバレてアジーム家の耳に入ったら死活問題だがお金は返したいという、まさに苦肉の策。当時の彼なりの葛藤や子どもらしい小賢しさが滲み出ているようで、かなり好きなエピソードです。

しかも『あの日は手持ちがなかっただけで』などと先輩たちのまえで一生けんめい取り繕おうとすればするほど、詳細をどんどんバラされてしまう。笑

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もちろん現代の我々の世間常識でいったらこれは万引き行為であり、れっきとした犯罪です。一方で、とくに創作上のファンタジー世界において子どもがイタズラの延長で果物など比較的安価なもの(まあメロンって高価な果物だけど…)を盗むのは典型的な「悪ガキ」ムーブといえるもので、文脈的にそこまでシリアスな捉え方をしなくてもよさそうという印象でした。だいたいはバレてゲンコツをもらったり罰として掃除をさせられたりするのがお決まりですが、このジャミルのエピソードではあとでお金を返すことで帳尻を合わせていますね。

実家の目の届かないNRCにいてもオール5の無難な人物を演じ続けていたジャミルですから、ミドルスクールの友人たちと過ごした時間が彼にとってどれほど特別なものだったかは想像にかたくありません。

ただ、ここで二つばかり問題が……。
一つ目はこのパーソナルストーリー全体の構成のマズさ、二つ目は4章シナリオの説得力への影響です。

 

一つ目。 構成のマズさ

これが例えば、他人の手癖の悪さを引き合いに出した直後にジャミルが店先のメロンをくすねたエピソードが暴露されるなら、ジャミル自身にブーメランということでオチを付けているんだなというのが分かりやすかったのですが……。

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ユーザー側としたら、まずいきなり『手癖の悪いハイエナが…』という台詞を見せられて、えっなんでいきなりラギー(だよな…?)のディスり入ってんだ…?となり、直後に『紅茶店の店主』や『織物屋の店主』との会話を見て、それから2話でようやく『果物店の店主』との会話でジャミルの盗みエピソードが語られ「……ああ、ブーメランてことね!」と腑に落ちる流れになります。というか私がそうでした。

なにが言いたいかというと、これがジャミルへのブーメランを意図した自虐シナリオであることに気付かなかった場合、単にジャミルが他キャラの悪口言ってた、で終わってしまう可能性が……。正直、あまり親切な構成とは言えません。

前振りとオチが1話と2話で分かれてしまっているうえ、オチにたどり着くまでの間に別なエピソードを挟んでしまっているので、脚本の意図が分かりにくいんですよね……。トレイ先輩やマレウス先輩からジャミルに対して「お前も人のことは言えなかったようだな?」というようなツッコミもないし。(思うに、マレウスではなくレオナが同行するシナリオだったなら問題なかった気がする…あれだと本人たちがいないところでディスってるみたいになっちゃうので…。登場キャラはあらかじめ決まってる中での脚本作りだろうから言っても仕方ないけど)

前の会話と結びつけて解釈しながら読んでくれるユーザーばかりではないですから、無意味な他キャラクターへのサゲ発言と受け取られかねない内容については特に慎重に扱ってほしいなと思いました。

 


二つ目。 第4章「ドッカーン!!!!」展開の説得力に影響は…?

ジャミルは家柄と両親の立場を盾にあらゆる自己表現を制約され、常にカリムに譲って生きてきました。ついにその抑圧に耐えきれなくなった彼はなんやかんやあってドッカーン!! してしまいます。約17年ものあいだ溜まりに溜まったフラストレーションを爆発させるわけですから、ジャミルの少年時代が抑圧されていればいるほど、そりゃドッカーンしても仕方ないか……と直感的に説得力を感じやすく共感もしやすいことは確かです。

考えようによっては、ミドルスクール時代のジャミルが『悪たれ』でありスクール生活を楽しんでいたような描写は、かえって悪手になる可能性があります。後付けのパーソナルストーリーではけ口のようなものをなまじ与えてしまったばかりに、ジャミルが抑圧に耐えきれずドッカーンしてしまう4章の展開への説得力が、直感的には低下しているようにも受け取れるのです。

とはいえ、あの4章のブチギレ展開はカリムに一生譲って生きていかなければならないこと・逃れられない家柄の宿命に対するドッカーンなので、(抑圧のはけ口として)盗みを働いたり友達と『街に出て馬鹿やったり』していたことは、論点が異なる問題ではあります。外で多少のはけ口があろうと無かろうとアジーム家でのジャミルの境遇は同じであり、おそらく4章の流れは変わらないからです。

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外で過ごす時間がどれだけ楽しく、ジャミルが『悪たれ』として振る舞っていたのだとしても、彼は家に帰れば毎日思い知らされるはめになる。自由の味を知ってしまったからこそ、本当の自由をより渇望するようになり、カリムに反旗を翻した4章の流れに繋がったと受け取ることもできます。(脚本がそこまで意図しているかは分からないけど、解釈の一つとして)

加えて、ジャミルは結局あとからお金を返しに行っており、多かれ少なかれ罪悪感を感じて火消しをしに行っているんですよね。

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リアルな話し、盗みが彼にとって本当にはけ口になっていたなら普通はもっとエスカレートしていくものなのですが、ストーリーを読んだ限り盗んだ分のお金は全て返してあり再犯もなかったようです。だからこそ果物店の店主のおやっさんも後腐れなくカラッとした態度で今でもジャミルをかわいがっているとも取れますね!

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ジャミルの少年時代が抑圧された暗い思い出ばかりのものでは決してなかったことが明かされたので、そこの部分に救いを感じたユーザーも多いと思います。

この調子で、今度はカリムとの思い出やカリム視点からの掘り下げエピソードもぜひ見てみたいです!

 


3.実写版アラジンへのオマージュについて

ぶっちゃけ言うと正直な話し。ツイステのシナリオ内においては、映画アラジンからインスパイアされた存在である以前に “ ジャミル ” という一人のキャラクターである彼にとって、ミドルスクール時代に盗みを働いたというエピソードは絶対に必要なのか? 答えはノーだと私は思っています。

まず『盗み』である必要がないです。ふざけて運河に落ちたとか、めちゃくちゃな値切り方をして店をつまみ出されたとか、他にいくらでも『普段の(現在のジャミルの)姿からは想像もつかない』エピソードは作れます。

しかし、元ネタへのオマージュという視点を持たずにこの盗みのエピソードを必要ないと言ってしまうのはあまりに強引でしょう。

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©︎Disney

2019年に公開された実写版アラジンにおいて、ジャミルの元ネタであるジャファーは元々の出自は盗っ人(スリ)だったという設定になっています。その盗みの腕前は、盗みの常習犯であるアラジンが持ち物をスられても気付かなかったほど。

ヤーサミーナシルクのパーソナルストーリーで少年時代のジャミルが盗みを働いたという話しが出てくるのは、おそらくこの実写版アラジンのジャファーへのオマージュでしょう。逆にそうでなければ、なぜ店のものを万引きしたなんて賛否の割れそうな話しがいきなり出てくるのか、ちょっと唐突ぎみ。とはいえ、これがもし本当に実写版アラジンへのオマージュだとしたらジャミル少年はメロンではなく『リンゴ』を盗むべきなので、もっと細かい別なネタに対するオマージュも含んでいるか(ジャスミンウォーターメロンを盗むエピソード『Do the Rat Thing』とか)、脚本の意図としてはオマージュのつもりではない可能性ももちろんあると思います。これらはあくまで推測です。

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©︎Disney

この実写版でのジャファーは『リンゴを盗めばコソ泥 国を盗めば支配者だ』という野心を胸に国務大臣にまで上り詰めた偉大な悪党です。二番手を嫌悪する彼が『一番』の存在を目指して国王サルタンやアラジンらを追い詰める様、その執念は、自由を求め『一番』になるためカリムから寮長の座を奪おうとしたジャミルの姿と容易に重ね合わせることができます。その膨れ上がった野心ゆえにどこか  “ 小悪党 ”  風でもあり、最後は自滅してボロを出す流れまで全く同じ(原作アラジンでもこの流れは同じ)。オマージュを盛り込むのはツイステのお作法であり、あくまで元ネタからインスパイアされた存在であるキャラクターにとっては宿命であるとも言えます。

これは今回のジャミルに限った話しではないのですが、私がおや? と思うのは、まずキャラクターに共感させるという本来の目的よりも、オマージュそのものが目的になっている……? ように見えることなのです。(そもそもツイステはオマージュありきの作品だと言われたら黙るしかない)

ジャミルが「盗み」を働いたエピソードはかなり唐突に語られます。動機の説明も、彼がアジーム家の屋敷でどれほど抑圧され万引きに手を出してしまうほどはけ口が無かったかを匂わせる描写なども、一切ない。ただ笑い話としての「悪ガキ」ムーブがなんの前触れもなしに登場します。そこの部分に違和感を持ってしまうと、このエピソードはやや共感しづらくなってしまうかもしれません。

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©︎Disney.  Published by Aniplex

ジャミルの賢さや性格を考えれば、もし盗みがバレたら最悪アジームの顔に泥を塗る結果になることくらい分かるはず。たとえ子どもの頃の話しだとしてもそんなリスクを一時の楽しみのために犯すような思慮の浅いキャラクターではなかったはずです。キャラクターを魅力的に見せるためにオマージュを工夫するのではなく、オマージュをやりたいがためにキャラクターを元ネタに寄せに行ってしまっている。

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©︎Disney.  Published by Aniplex

あまつさえ、そのオマージュの前振りのためにわざわざラギーを名指しで引き合いに出して手癖の悪さを指摘、そんなことをしたらラギーのファンが快く思わないことは目に見えていたと思います。そのヘイトがどこに向くかといったら、多分、そのセリフを喋ったジャミルに対してなんですよね……。SNSで少し荒れていたのはその辺りも原因の一つなのかな…?というのが個人的な所感でした。

 

 


4.まとめ

いろいろ書いてしまったのですが、ヤーサミーナシルクのパーソナルストーリーは実に微笑ましいやり取りが多く、キャラクターの意外な一面を知ることができる素敵な内容に仕上がっていると思います。
いちユーザーの身で多くを望むことが許されるなら、盛り込みたいオマージュと、キャラクター自身に共感しやすく分かりやすい内容であるかどうかのバランスが大切にされることを願っています。

 

おわり

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ツイステ第5章前半の感想「それ…先に言ってよ…!」

 

この記事には、ツイステッドワンダーランド第4章、第5章のネタバレが大量に含まれています!

またこの記事は、自分の中で感想や考察などを整理するための雑記であり、他の方の考えを否定するものでは決してないことを何卒ご承知おきくださいませ。。m(__)m

第5章のストーリー全体に関する感想や考察は他のブロガーさん方がすでにやってらっしゃると思うので、この記事では当ブログが気になった部分(主にスカラビア)についてのみ言及しております!

 

(以下、がっつりネタバレとなります!)

 

 

 

 

 

 

ライブ配信は  “ ハッタリ ”  だった!!

メインストーリー第5章が配信され、アズールが仕掛けた全世界ライブ配信実はハッタリであったことが明らかにされました。

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ジーム家でのジャミルの立場や彼の家族の生活が守られたことには一応ほっとしたのですが……このネタばらしは本来、第4章のラストシーンでやるべき内容ですよね…? そうでなければストーリーとして、第4章は後味がモヤモヤとなったまま締まらないと思います。(最後みんなで砂漠のオアシスで遊んでいるシーンで、ネタばらししてあげればよかったような…)

第4章のストーリーをみた多くのユーザーが皆んな口をそろえてジャミルの家族、路頭に迷ってね?!」と反応しているのを見て第5章を描いていた or あとから描き加えたか、単にユーザーをビビらせてストーリーの続きが気になるよう仕向けたかっただけなのかな…という印象を受けました。(違ってたらめっちゃごめんなさい)

たしかに、例のシーンはセリフでの説明のみで決定的な描写は無く、本当にライブ配信されているのか分からないように描かれていました。

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しかし、あれが実はアズールとジェイドの芝居だとしても、ジャミルはそのハッタリを見抜けず最終的にオーバーブロットしてしまったような流れになるわけで、アズールとジェイドとフロイドの3人がかりでオーバーキルしている感はやはり拭えないと思います。 “ キャラクターの顔を立てる ”  という意味合いにおいて、これはジャミル視点で良い描き方だとは思えません。

しかも第4章のストーリーとして、ジャミル本音ぶちまけを内輪やNRC内だけで終わらせてしまうと流れがおかしいです。

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↑この顔である……

もともとアズールには何らかの狙いがあり、監督生たちと利害が一致したので、スカラビア攻略に手を貸してくれたわけです。

ストーリーの流れとしては要するに、ハッタリで揺さぶりをかけることによって見事ジャミルの策謀を暴いたよという話しになるのですが、これは監督生たちの目的が達せられただけであってアズールの目的はジャミルの策謀を暴くことそのものではなかったはずです。

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第4章のラストでアズールがジャミルを勧誘していることから、アズールの狙いは前から目をつけていたジャミルを自分の仲間に引き込むこと(転寮させること)だった……と仮定してみます。しかしこれも若干つじつまが合わなくなっています。

ジャミルを仲間に引き込むのが目的であれば、わざわざ手心を加えてハッタリを演出したりなどせず、本当にライブ配信すればいい話しだからです。そうやって社会的な後ろ盾を奪った方がより簡単にジャミルを仲間に引き込めたはずだし、そんなすぐバレるような嘘とハッタリで一時的にジャミルを揺さぶって仲間にしたところで、肝心のアジーム家にはバレていないと分かればジャミルがアズールの仲間でいる理由はありません。そんなザルみたいな計画はアズールの行動としておかしいです。

(アリエルに契約を迫ってサインさせたアースラよろしく、とにかくスカラビア寮内でのジャミルの立場を悪くして転寮させてしまえばあとはこっちのものだと考えていたか、弱みのネタを掴んであとからゆするつもりだったとか……? いずれにせよ、アジーム家との繋がりがある限りジャミルはアズールの利益のためではなくアジーム家の利益とカリムを守ることと自分の保身のために動くでしょうし、最終的にはジャミルが開き直ってアズールの計画は失敗に終わるという同じ展開になったとは思いますが……)

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もっと言えば、少なくともスカラビア寮生はみんな、  “ ジャミルがオーバーブロットした本当の経緯 ”  を知っているわけで、ジャミルは寮生全員に弱みを握られているようなものですが、その辺りはどうやってフォローしていくのでしょうか…?

この後出しジャンケンによって前提が覆されたことで『世界中に明かされちまった秘密なんて、弱みでもなんでもないだろ』という第4章の  “ オチ ”  が、オチとして弱くなっていると思います。

理屈でいえば、世界中に明かされていない秘密はジャミルにとっての弱みになり得ます。開き直ることでアズールの思惑を跳ね返したジャミルの反撃、キャラクター同士の対等なやり取りまでもが、前提から崩れてしまいました。(5章のネタバラしのあとで「アジーム家にもバラしたいならバラせよ」くらいのさらなる開き直りが描かれた上で丸く収まっていればまだよかった)

 

カリムとの仲は進展あり!

4章でうやむやに終わったカリムとの仲についてですが、5章で見事に回収されました!

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カリムは上手く言葉に表せないながらも、ジャミルと17年もの長い間一緒に過ごしてきて自分は一度も傷付けられたことはなかったのだ(それは決して当たり前のことではなく、ジャミルはやろうと思えばいくらでも酷い方法でカリムを傷付けることができた)と気付きを得ています。同時に、ジャミルの気持ちに気付かず17年もの長い間過ごしてきた自分にも責任があると寮生たちの前でハッキリ言いました。そして、ジャミルもそれを聞いていたのです。

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建前として、ジャミルはスカラビア内外での信用回復と地位向上のため、そしてカリムに仕えることがまだまだ自分と家族の利益になるために、あくまで利害の一致としてカリムの従者を続けると言います。しかし、ジャミルのことを理解した上でそれでもそばに置くというカリムの決断ジャミルは内心で評価しているであろうことは、ゲーム内の描写からしっかりと伝わってきました。

 

まとめ

今回のメインはポムフィオーレであるとはいえ、これまでの流れからすれば主人公(監督生)側をサポートする立場でポムフィオーレと対立するのはスカラビアです。

第5章の後半が配信されるのが待ち遠しいですね!

 

おわり

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ジャミルってそこまでボコボコに殴り返される必要あったんか?ツイステ4章 感想と考察

 

この記事には、ツイステッドワンダーランド第2章、3章、4章、5章のネタバレが大量に含まれています!

 

あくまで当ブログが勝手にそう思っているというだけの純粋な考察としてであり、作品やキャラクターを貶めたり、他の方の考えを否定するものでは決してないことをご承知おきくださいませ。。m(__)m

本稿では、個々のキャラクター(カード)のパーソナルストーリーを読んでいるかどうかで若干感じ方が変わると思われる箇所についてはあえて省き、その章のシナリオ単体でのレビュー・考察を記載しています。このゲームの仕様上、カードを引けていなければパーソナルストーリーを見ることはできず、その収集具合は個々のユーザーによって異なるためです。

 

 


ざっくり所感と前おき

 

かなり話題になってるな〜と前々から気になっていたアプリゲーム「ツイステッドワンダーランド」……4章までメインストーリークリアしました!

ディズニー作品に登場する悪役キャラクターたち(ヴィランズ)って基本的に作品内では嫌われ役の敵キャラなのですが、本作では彼らをあくまでヴィランズ側の視点から好意的に解釈しつつ、それらを象徴するようなオリジナルのキャラクターを使ってストーリーを展開させます。それが妙に楽しく、可笑しくもあり、不思議なカタルシスがあるんです。あとリズミックの音楽めっちゃ良いです。

以下、メインストーリーを4章までクリアしてみての、めちゃくちゃ個人的な偏った感想です。

 

 

ジャミルってそこまで  " 殴り返され "  る必要あったんか…?

 

4章のゴタゴタは、言ってしまえばジーム家のお家騒動の延長であり、はたから見れば、寮長の座をめぐる生徒同士のマウント対決です。ただ「決闘」という分かりやすい形をとらずカリムがぼーっとしているので一方的に殴られていたという話し。

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卑劣な黒幕であり、同情されるべき被害者でもあるジャミル

たしかに、率先して自分たちが手を汚したサバナクローやオクタヴィネルとは違って、今回の黒幕ジャミルの場合は自分の手を直接汚さずに他人を陥れようとしていたところがマジでめちゃ汚い。しかもカリムが一方的に寄せていた信頼を一方的に裏切っています。

しかしジャミルは無関係の他人に危害を加えてはいない(主人公とグリムは巻き込まれ、オクタヴィネルの3人組は自分から首を突っ込んだが)、あくまでカリムやアジーム家に逆らわない形で、寮長であり自分の主人であるカリムだけを学園から追い出そうとしていたわけです。スカラビアの寮生たちはまあ…酷いとばっちりですけどね。

しかもよくよく話しを聞いてみると、ジャミルは幼少時代から主従関係と両親の立場を盾にあらゆる行動・自己表現を制約され、人権侵害レベルの抑圧を受けてきた、見方によっては被害者でもあるんですよね。だからといって他人を陥れるような姑息な真似が正当化されるわけはないんですが、ただ酷いことをした、だからジャミルは悪いヤツだ、のような単純な話しで済まされていいものではないはずです。

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……で、最新章である4章をクリアしてみてちょっとだけ思ったのが、タイトルにある通り……

ジャミルってそこまでボコボコに  " 殴り返され "  る必要あったんか…?

っていうことなんです。

カリムを学園から追い出そうとしたジャミルのやり方は確かに卑劣で、バレたら人間性を疑われるレベルだと思います。しかし今まで彼がカリムのフォローをし、影でスカラビアを支えてきたことに変わりはないわけですよね…?

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このジャミルというキャラクターを、同情の余地もない絶対悪の最低野郎として描きたいなら分かる。でも、そうでないなら、悪事を暴いて全世界にリアルタイムライブ配信なんて取り返しのつかないこと、少女マンガとかで主人公をイジメ倒してくる陰湿で性格のねじ曲がったクソ野郎の鼻を明かしてスカッとする時とかしかやっちゃダメなやつだろ……。

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ぶっちゃけ言うと当ブログはアズールと双子のリーチ兄弟推しでオクタヴィネル推しなんですが、ただ自分の境遇が嫌すぎて主人を追っ払いたかっただけの小悪党(←少しだけネタバレ読んで事前に知ってました)を3人がかりでふくろ叩きにしてドヤッみたいな展開は、見ていてあんまり気持ちの良いものではなかったです…(言い換えれば、3人がかりでないと尻尾をつかめなかった、ジャミル1人でオクタヴィネルの3人とやり合えるくらいには彼が狡猾で有能であることの証左なんですが…)

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『ドッカーーーーーーーーン!!!』とかも、今までが抑圧されていた分はっちゃけているのは表現として分かるんですが、ネタの仕込み方としては仕事が大雑把で、流れもやや唐突です。キャラクターのための表現というよりは元ネタの映画「アラジン」から歌詞やセリフを引用することが目的になってしまっている印象でした。てか…………

まだ “ネタ” に走る段階じゃなくね…???

いや、ドッカーンそれ自体はいいと思うんです!ジャミルみたいな見るからにキツそうな見た目で性格もクールなキャラがいきなりガチギレしてドッカーン!!!!ナイッシューーッ!!!とか言い出したらそれだけでウケるし人気もうなぎ登りでしょう。でも、今じゃなくね??!オーバーブロットはキャラクターにとってここ一番の見せ場であって、一連のシーンは追い詰められたジャミルが約17年ものあいだ溜め込んできたフラストレーションを発露させる重要なくだりです。本来、ネタに走ってはいけないシーンでは…?

脚本としては、重い空気になりすぎるのを避けたい意図があったのかもしれないし、1〜3章は順当に王道の流れでやってきたのでここらで少し捻ってアクセントを付けようと思ったのかもしれません。でもそのキャラにとって、メインの章は一度きり。そこでネタに走られたキャラはどうしたらいいんでしょうか。私がジョークを理解できない、冗談が通じなさすぎるだけですか…?

 

とばっちりでディスられたカリム

一方で、カリムに対するこの描かれ方も、「えっこの流れってオレが悪いの?」とプレイヤー側でさえ思ってしまうくらい、やや唐突でした。

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ジャミルだってリドルやレオナと同じで境遇が恵まれなかったがゆえに過ちを犯し、寮生たちを振り回した。カリムだってそこまで言われるほどの天然イヤミ野郎でもない(というか今回の事件だけで言ったら一番の被害者)。ただ生まれついての家柄という本人たちにはどうしようもない要素が彼らの関係をこじれにこじれさせ、どうしようもない状況を生み出してしまった。なのに、なぜか周囲のキャラクターから、それも当事者ですらない奴らから、チクチクチクチク、ディスられ続ける。じゃあ寮内の仲間同士では結束できているのかというと致命的に仲間割れしている。しかもスッキリ回収されない。結果、カリムにも、ジャミルにも、どちらにも寄り添いにくい、全体的になんともモヤモヤとしたストーリーになってしまっているんです。

 

煮え切らない主従関係

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一応最後は丸く収まって、スカラビアの寮生たちとはわだかまりなく済み(?)最後は一緒に踊ったりして楽しく騒いでいます。しかし、ジャミルが吹っ切れて(というか開き直って)ネコ被りをやめたとしても、このあとカリムとの関係が多少良くなったとしても、そもそもの根源的な問題はなにも解決していません

すでにジャミルの裏切りとその失敗は世界中に向けてライブ配信され、“ 公衆の面前で部下に裏切られたカリムのメンツ ”  や  “ ジャミル個人の信用や名誉 ”  は取り返しがつかないほど傷付けられてしまったうえ、彼らの家柄や主従関係の問題が消えて無くなったわけでもないですよね。ジャミルが言うには主人であるカリムに盾つけば最悪、一家全員路頭に迷うまであるような話しでしたが、その件はどうなるんでしょう?

ここまで大がかりな仕掛けをやってしまって、その後フォローできるんでしょうか…?

このあとのジャミルの立場(スカラビア寮内とアジーム家どっちも)とか、マジフト大会も期末テストも順位が奮わずで内輪揉めしている場合ではないのに寮のNo.2から手酷い裏切りにあったスカラビア寮長としてのカリムのメンツとか、親友(と一方的に思っていた人物)からの裏切りによる心のダメージはないのかとか、あらゆることがうやむやのまま4章は終了……まず作品のストーリー展開が彼らを守らずに誰が守ってくれるんですか…?

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他寮の生徒や学園全体を巻き込んで暴れていたサバナクローやオクタヴィネルとは違い、この4章で繰り広げられた問題は結局スカラビアの内輪揉めであって、わざわざ全世界に晒すまでやらずに寮内・学園内だけで解決することだってできたはず。これは『世界中に向けて明かされちまった秘密なんて、弱みでもなんでもないだろ』というこの章のオチに結び付けるためにストーリーがそうなっている感が否めず、作りとしてはやはり大味です。この演出によってジャミル心理的な呪縛から解放されたことを示唆しているのだとしても、ゲームをプレイしている側の印象として、後味は決して良くないです。

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『お前は、ひ、ひどいヤツだ……だけど、やっぱりずっとオレを助けてくれてたのも、お前なんだ』

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いや……だから、ジャミルの方からしたらひどいのはカリムの無自覚な傲慢さだって話しだと思うんですが、もちろんそれは逆恨みに近いものでカリムは本来悪くない(境遇が悪すぎて素直な性格がアダになった)ところも含め、この二人のすれ違いは根が深そうなのでその場で仲直りして全て一件落着!とはならないのはむしろ好感を持ちました。仲直りの良い雰囲気…と見せかけて「絶対にお断りだ!」「ええー?!」っていう流れをやりたいのも分かります。

しかしせめて、せめてこのジャミルは抑圧された境遇ゆえに酷いことをしたが、今までずっとカリムを、そしてスカラビアを支えて助けてくれていたのもジャミルだ」そして「カリムはどこまで行っても人を信じたい、彼はやっぱりいい奴だ」という部分についてはスカラビア寮生たちにも同意してもらって、いったんは感情の落としどころをきちんと見つけて、仲間内だけでもわだかまりなく終わってくれたらよかったのに…と率直に思いました。

(ただ、オクタヴィネルの3人組については人助けをしようなどという気は毛頭無かったと思うので、こいつらは利害が一致した時こそ頼もしいが基本はマジで害悪だというヴィランズとしてのコンセプトが分かりやすく、オクタヴィネル視点で非常に良いストーリーであると思います。)

 

ストーリー展開によってある程度は守られてきた、これまでのキャラクターたち

 

サバナクロー寮の場合

サバナクロー寮は無関係の一般人を  “ 故意に ”  巻き込んで、大量の怪我人やヘタしたら死人すら出しかねないような危険な妨害工作をマレウスに仕掛けました。それ以前にも寮ぐるみで、まともに試合に出場できなくなるほどの怪我を何人かの選手に負わせて(ラギーいわく、潰して)います。

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あわやその妨害工作の事実を生中継で公表され、マジフト大会失格、初戦どころか試合に出ずして敗退まであったところを、結局その悪事は世間に公表されることもなく済んでマジフト大会にも出場しました。この寛大な措置は、サバナクロー寮の妨害工作によって被害を受けた生徒たちからの嘆願によるものです。

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そしてその被害者の生徒たちから大会中に散々やり返されて首謀者のレオナや実行犯のラギーは仲良く保健室送りになり、イーブンの形にすることで、わだかまりを残さず彼らの名誉に致命的な傷は付けずに収めました。

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被害者の生徒たちから相応に殴り返されてヨレヨレになりながらもディアソムニア寮と対決したという運びから、少なくとも何試合かは勝ち進んでいたことが示唆されており、去年おととしの「初戦敗退」という不名誉もある程度は挽回されたことが分かります。(『寮長は無能の烙印を押され…』の部分に関しては具体的なフォローがなく、気になるところではあります。マジフト大会も期末テストも両方順位が振るわなかったとかいうスカラビアの寮長にはいったいどんな烙印が押されているのか…あまり考えたくないですね…)

そして、最後に登場した甥っ子くん(いずれ実家で一番偉くなる人物)にレオナが『めちゃくちゃ懐かれてる』ことで、実家で肩身の狭かったレオナの境遇にも救いがもたらされています。

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オクタヴィネル寮長の場合

3章の序盤、アズール(と双子のリーチ兄弟)に対して向けられていた生徒たちからのヘイトは相当なものだったと思います。アズールは詐欺まがいの契約で大勢の生徒たちからユニーク魔法を取り上げ、自らの経営するモストロ・ラウンジで奴隷のようにコキ使い、学園長までも抱き込んで私利私欲を満たしていました。

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しかし監督生とグリム、エース、デュース、そしてジャックらの活躍とサバナクロー寮生たちの協力でアズールを追い詰め、レオナが「黄金の契約書」を全て砂にしてしまったことでアズールは完全に殴り返されて、彼と奴隷契約を結ばされた生徒たちは解放されました。

当然、この流れだけでは生徒たちからアズールに向けられていたヘイトまでも無くなったとは考えられないのですが、3章のラストシーンでモストロ・ラウンジの『ポイントカード』の話しが出てきます。

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それは  “ モストロ・ラウンジを利用して一定以上ポイントを貯める ”  ことを対価に、アズールに直接悩みを相談できる(アズールのユニーク魔法でサポートしてもらえる)というもの。

つまり、利用者はポイントさえ貯めればノーリスクでアズールと契約しテスト対策などの望みをなんでも叶えてもらえ、アズールたちにとってはモストロ・ラウンジの客足が伸びるという、win-winの関係を築いたというわけなんですね。これは非常に上手いなと思いました。

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このポイントカード制を導入してからモストロ・ラウンジは混雑するようになり、三倍もの売り上げが見込めそうだといいます。つまり「アズールのテスト対策ノートはすごい」とか「アズールに相談すれば願いを叶えてくれる」みたいな評判そのものは健在で、それがこれまでの理不尽な契約によってではない、至極健全なやりとりに昇華されたことが示唆されているのです。

アズールが自分を馬鹿にした奴らを見返したい一心でコツコツと集めた黄金の契約書は無残にも砂になり、彼は  “ 万能の魔法コレクション ”  を失ってしまいました。しかし、このモストロ・ラウンジを経営しながら生徒たちの願いを叶えていくことで、アズールに向けられていた学園内のヘイトはいずれ薄れていくことでしょう。

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現在配信されている中で最もストーリーの出来栄えが良かったのは3章のオクタヴィネルだと個人的には思います。最初は余裕の表情だったアズールがボロを出していく流れも、声優さんの絶妙に上手な演技もあってか、むしろ「いきなり口調が変わったりして  “素が出る ”  感じがイイ!」と好印象の方に捉えたファンは少なからずいると思います。(当ブログもです)

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4章になると彼らが味方側として存分に活躍してくれるのもサービス精神旺盛です。前時代的なスパルタの合宿で寮生たちを疲弊させるスカラビアのやり方(ジャミルの策謀)を休息や栄養管理なども含め効率よく体系化された近代的なトレーニング方法でぶん殴り、合宿の流れをあれよという間に好転させていく流れはカタルシス以外のなにものでもないでしょう。

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ただし、その影で4章のメインであるジャミルがずっと殴られ続けているという事実は到底見過ごせません。最後は全世界に晒されたことでむしろジャミルが開き直り、それまでは自分で自分を殺してきた彼の能力をアズールが存分に高く買ってあげ、そのアズールからの誘いをジャミルが断固拒否することでなんとかイーブンに持っていく…という力技で丸く収めました。

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余談 : 4章でのアズールのもくろみ

おそらく4章でアズールが監督生たちに対してやけに協力的だったのは、スカラビアのジャミルを自分の手駒としてオクタヴィネルへ引き込むのが目的だったのかなと思いました。

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↑ まあ悪巧みをしていそうな、この表情である。

まずジェイドの能力で当たりをつけ、ジャミルが自信満々でユニーク魔法をかけてきた所をフロイドの能力で空振りさせ、3人がかりでジャミルを追い詰めて、例のライブ配信によって自尊心をズタズタに破壊しつつ社会的に破滅させ(このライブ配信がアジーム家の目にとまればバイパー家の処分は免れない)信用も居場所も家族も何もかも奪ってから手を差し伸べる……ここまでがアズールの計画の全貌だった。

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しかし、意外にもジャミルが開き直ってしまい、差し伸べた手は突っぱねられ、アズールの計画は失敗に終わった。最後の最後にきてようやく、ジャミルは  “ 砂漠の魔術師 ”  ジャファーのごとくペテン師を追い返したのです。本当ならここまでをハッキリとプレイヤー側に提示しながら描いて、ようやくイーブンくらいだと思います。

 

まとめ

4章の展開は同じボスとのバトルが二回あったりと変則的で、ゲームとしては非常に楽しめたものの、個々のキャラクターに対する扱いの面では少しだけ偏りを感じたのも正直なところです。悪事を働いたり問題を起こしていた他の寮長たちは3発殴られて済んだところを、ジャミルだけ合計10発くらい殴られた(は言い過ぎか…?)うえ、カリムにも流れ弾が当たったみたいな感じ。

前章で敵だったり問題行動を起こしていたキャラクターは、次の章では味方側で登場して主人公たちを助けてくれる…というこれまでの流れ的に、次はスカラビアが味方だよな?という期待を持って、次回の配信を楽しみにしています!

 

 

ジャミルがオーバーブロットした本当の理由? 2021.9 追記

オーバーブロットは、シナリオの核心であるそのキャラのトラウマ・地雷・あるいはフラストレーションの発露としての側面があると思います。

ジャミルのフラストレーションは「自分の能力を発揮する機会を奪われ、自由を奪われ、人生を阻まれ続けてきた」こと。であれば、彼がオーバーブロットした理由の根底には当然そのフラストレーションがあり、主人であるカリムを学園から追い出そうとした理由にも密接に絡んできます。 

一方で、シナリオの流れとしては彼がオーバーブロットした直接の  “ きっかけ ”  は異なる……というか、すこし分かりにくい所にあります。彼は「自由になる・一番になる」ために練りに練ったであろう策謀をライブ配信で暴かれてしまい、本当の自分は能力ある人間だ、一番になれる人間だ、それを実現して自由になる(だからカリムを追い出す)というプライドをズタズタに引き裂かれ、またしても人生を阻まれ、地雷を踏み抜かれました。これが  “ きっかけ ” となって、彼のフラストレーションは爆発、オーバーブロットしてしまいます。真の理由とかはなく、そういう流れであるだけです。

当初、この流れ自体はごく自然なものでした。しかし、5章シナリオで新たな事実が発覚したことで状況は一転します。

ライブ配信は嘘。実はハッタリだった。

もちろんジャミルの家族が路頭に迷わず済んでいたことは良かった。しかし、ジャミルはオクタヴィネル3人組の計略にまんまと騙されてしまった、オーバーブロットさせられてしまった……という印象がより強まる流れになったわけです。もちろんこれはあくまで  “ きっかけ ”  の話しであって、根本的な理由であるジャミルの抱えてきたフラストレーションは変わりません。しかし脚本の仕事としてはちょっと大味。

(加えて、アズールの狙いも分かりづらいものになっています。ジャミルを仲間に引き込むためであれば、わざわざ手心を加えてハッタリを演出したりなどせず、本当にライブ配信すれば済む話しだからです。そうやって社会的な後ろ盾を奪った方がより簡単にジャミルを仲間に引き込めたはずです。どちらにしろジャミルが開き直ってアズールの目論みは失敗していたとは思いますが……)

良く解釈すれば、自分をさらけ出し開き直って「ドッカーーン」するきっかけをアズールが与えてくれたと取ることも、もちろんできます。やはりアズールはジャミルにとってランプの魔人であったのだと。
しかし、この流れを最初から想定してシナリオを描いていたのであれば、ライブ配信じつは嘘でしたのネタばらしは4章のラストに描かれていたはずなのです。(タイミングとしては多分、砂漠のオアシスでパーティーしてる辺り)

4章のシナリオを読み終えたとき、スッキリしましたか? ああそうだったのかと膝を打ち、シナリオに納得しましたでしょうか? おそらく、そういう読後感を持ったユーザーはあまり多くなかったはずです。

だってこの時点では、ジャミルの卑劣な策謀と破滅的な失策は全世界に向けて(当然、アジーム家にも)暴露されてしまったとユーザーは思っているわけですから、その後始末をいったいどう付けるんだ、ジャミルの家族はどうなるんだ? ジャミル本人の処遇は? もう疑問だらけの状態であの和やかなラストシーンを迎え、4章は終了しているわけです。

そして、次なる5章で発覚したライブ配信の嘘によって『世界中に明かされちまった秘密なんて、弱みでもなんでもないだろ』というオチが、オチとして弱くなっています。(理屈でいえば、世界中に明かされていない秘密はジャミルにとって弱みになり得る)

これは構成のミスであるか、「ライブ配信は実は嘘だったことにしよう」と5章で後付けされたものであると、考えざるを得ないと思います。


ジャミルがオーバーブロットした理由(きっかけ)とカリムを追い出そうとした理由は微妙に異なるものでありそれぞれに意味が通っているのだとしても、4章の(章単体としての)このシナリオはこれで良いんだ、として納得感を得るのはいささか無理があると当ブログは考えています。

(ただし、この後の5章あたりからジャミルとカリムの関係は徐々に修復されお互い向き合う流れになっており、だんだんと成長も描かれ、2021年9月現在において公開されているシナリオも含めた全体のストーリーとしてはとても良いものになっていると思います。と付け加えさせてください……!)

 

 

おわり

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ブラマジ本体の攻撃力は200とかいう暴論に対するマジレス【遊戯王 OCG 考察】

 

この記事は、ひと昔前に流行った「ブラック・マジシャン本体のステータスは攻撃力200しかない」といういわゆるファンの間での俗説に関する記事なので、遊戯王の原作コミックスやアニメ、遊戯王公式オフィシャルカードゲーム(OCG)の公式設定や世界観とは一切関係がありません。ご了承ください。

 

 


1.モンスターではない!装備カードだ??!

 

「ブラック・マジシャン本体のステータスは攻撃力200しかないことが判明」

 

いや…もちろんそこは冗談というかジョークなので、ファンがそういう俗説を言ってふつうに笑い合ってる分には楽しいし面白いと思いますけど(なんなら自分も一緒になって笑ってましたけど)、なにかバカにした感じで「ブラマジ本体のステは攻撃力200とかいう雑魚だったことが判明www」とかやっているのを見ると真顔になってしまうという話しなんですよね…。

なんかもはや軽くディスりに行ってません??人それぞれの感じ方みたいな話しにはなりますけど、自分はそういうのあんまり気味が良いとは思わないです。

この手の話しは遊戯王の原作コミックスやアニメしか馴染みがない人にとってはマジでまったく意味不明だと思うので、この先は一応解説しながら進めます。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社 Konami Digital Entertainment

上に引用した画像は、コナミが製作販売している「遊⭐︎戯⭐︎王オフィシャルカードゲーム(以下、OCG)」の『マジシャンズ・ロッド』『マジシャンズ・ローブ』という下級モンスターカードです。武藤遊戯のエースモンスター『ブラック・マジシャン 』のサポートカード(※)ですね。右にそれぞれの元ネタと思われるカードイラストを並べてあります。
(※特定のカード(ここではブラック・マジシャン ) と組み合わせて使うことを前提とした、デッキの戦術を補佐するカード)


もう見ての通りというか、この下級モンスターたちのカードイラストのデザインが "使い回し" であることは火を見るより明らかだと思います。なので当然こいつらの見た目はブラック・マジシャンのロッドやローブと全く同じデザインなわけです。


ここで『マジシャンズ・ロッド』と『マジシャンズ・ローブ』のステータスに注目。


《マジシャンズ・ロッド》
攻撃力 1600
守備力 100


《マジシャンズローブ》
攻撃力 700
守備力 2000


この2体の下級モンスターたちの攻撃力・守備力をそれぞれ足し合わせます。


攻撃力 1600+700=  2300
守備力 100+2000=  2100


つまりこれらを本体から差し引いた分が、ブラック・マジシャン(ロッドとローブを身に付けていない状態)の素のステータスである、というわけ。


《ブラック・マジシャン》
攻撃力 2500ー2300= 200
守備力 2100ー2100= 0

 

ブラック・マジシャンのステータスがロッドとローブをほぼ足し合わせたような値になってるのが笑いどころなんですよね〜。


べつに他意なく面白ネタとしてイジリたい人たちの他、ブラック・マジシャンをちょっと小馬鹿にしたい人たちにとっても、この嘲笑的なニュアンスを多分に含んだ俗説はたいへん香ばしいものであったようです。


ぶっちゃけ言うと、そもそも新たにカードイラストのデザインを起こす気が無いから既存カードのイラスト・デザインをクソテキトーに使い回して "見たまんま" のカード名をくっ付けて済ませた。それ以上でも以下でもない。そう捉えておくのが文脈的には自然です。まあ公式側はシャレのつもりでなんかそんなステータスにしたんでしょうけどね。

 

ちなみに、同じパックに収録された『黒の魔導陣』はブラック・マジシャンの背景にいつも描かれている魔法陣の完全な使い回しです。もうブラック・マジシャン本体のロッド、ローブ、背景をそのまま流用しただけの見事なやっつけ仕事。


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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社 Konami Digital Entertainment

救いなのは、この時期に追加されたカードは今でも3枚必須でブラック・マジシャンデッキに採用されるものが多く、性能は高めであることですね!

少し脱線してしまったので次で話を戻します。

 

 


2.守護神官マハードのステータスはブラック・マジシャンと同じ(攻撃力2500、守備力2100)


『守護神官マハード』は、劇場版THE DARK SIDE OF DIMENTIONS(以下、映画DSOD)の公開に合わせて作られたプロモーションカードです。このカードの元ネタが原作コミックスのファラオ(アテム)に仕えた「神官マハード」というキャラクターであることは、原作やアニメを知っている人なら容易に連想できると思います。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社 Konami Digital Entertainment

原作コミックスにおいて、ブラック・マジシャンというキャラクターは「神官マハード」の魂と精霊(幻想の魔術師)が融合したことで生まれた存在であることが描かれています。(より正確には、古代エジプト人が現代に遺した石板に描かれた "神官マハードの魂と精霊の融合体" の姿を見たペガサス・J・クロフォードが、それを元にブラック・マジシャンというカードをデザインし、M&Wというカードゲームのモンスターカードとした、という設定。コナミのOCGはこのM&Wを元に作られている。)

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

OCGの『守護神官マハード』は戦闘や効果で破壊されると『ブラック・マジシャン』を特殊召喚するモンスター効果を持ちます。これは原作コミックスで神官マハードが自らの生命を生贄に捧げブラック・マジシャンに生まれ変わるというシナリオを、OCGカードの効果として再現したものでしょう。


映画DSODのクライマックスでアテム=闇遊戯が召喚したモンスターが守護神官マハードだったという演出からも、このカードのキャラクターが  “ 闇遊戯のエースモンスターであるブラック・マジシャン ”  とほとんど同一視できる存在であることは明らかだと思います。(表遊戯が使っている、デザインの全く異なる黒いブラック・マジシャンのカードがイコールマハードなのかは詳細不明であり、議論の分かれるところです)


さて、ここでOCGカードである『守護神官マハード』のステータスに注目。


《守護神官マハード》
攻撃力 2500
守備力 2100


例のロッドやローブやらを一切身につけている様子もない『守護神官マハード』は『ブラック・マジシャン』と全く同じステータスを持ちます。

このカードが出てきたことによって、ブラック・マジシャン本体のステータスは攻撃力200しかないという俗説は一蹴されてしまいました。(マジレス)

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

この『守護神官マハード』というOCGカードはブラック・マジシャンデッキとの噛み合わせをまったく考慮されておらず、3枚必須で採用されるようなカードでは決してありません。


同じく映画DSOD用プロモカードの『青眼の亜白龍』はフィールド・墓地でしっかり青眼の白龍扱いとなり当時の青眼デッキを環境トップへと押し上げた一因であるほどの高い性能を持つのに対し、『守護神官マハード』はフィールドですらブラック・マジシャン扱いにならず、わざわざ光属性にされたことによって『ブラック・マジシャン』とサポートカードを一切共有できない("このカードはルール上、闇属性としても扱う" の文言とか付けてくれない)しかもカードイラストは高橋和希のデザインではない?という、ここでも露骨な差別待遇を受けていますが、おそらく公式が意図しなかった部分で、このカードはある意義を持っていたように思います。


つまり『ブラック・マジシャン』と全く同じステータスを持つ『守護神官マハード』の登場によって、『マジシャンズ・ロッド』や『マジシャンズ・ローブ』といった下級モンスターたちのステータスは『ブラック・マジシャン』(=マハード)の力の残滓のようなものであることが判明したわけです。

 

まあぶっちゃけそこまで大騒ぎするほどの話題ではないので、そういうジョークもあるんだねくらいに捉えておくのが正解でしょう!

 

おわり

 

マハードとかいう作中屈指の “ 不遇 ” キャラ【遊戯王 王の記憶編 DM 原作 漫画 アニメ 感想 考察】

 

 

 

1.コンセプト。「 “カードと決闘者の絆“ を体現するキャラクター」

 

 闇遊戯のエースカー「ブラック・マジシャン」は、実は前世では人間でした。ざっくり言うと神官マハードはそういうキャラクターです。

 本作では『カードと心を一つに』『自分とカードを信頼し合えるか』 といった表現が登場し、デュエルディスクで投影されたソリッドビジョンでしかないはずのブラック・マジシャンが闇遊戯をかばったりするシーンが描かれていました。

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『この決闘!!どちらが最後まで自分とカードを信頼し合えるか!それが勝敗の鍵だ!!』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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『カードが…自らの意志で…!プレイヤーの盾になったというのかぁぁぁ!!』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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『決闘者はカードとの絆を断ち切った時 敗北の谷底に落ちる!!』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社


 いや……デュエルしろよ。

 カードが自らの意志で??って、ズルやん。

 カードとの絆ってなんやねん

 

 そういった問いに対する回答の一つが神官マハードです。

 なぜカードであるブラック・マジシャンが闇遊戯をかばうのか? なぜカードと人間との間に信頼が成立するのか?
 それは、古代エジプトの魔術師だった神官マハードの魂(と精霊が融合して生まれた何か)がブラック・マジシャンのカードに宿り、現代においても闇遊戯を守っているからです。

 神官マハードは「闇遊戯とブラック・マジシャンの信頼」のルーツを説明するためだけに登場してきたキャラクターであることは念頭に置いておくべきでしょう。

 

 

2.  に行く前のまえおき


 昔からの事情を知らない人からすると、たぶん、ここから先の内容はすこし擁護過剰にみえます。

 というのも、昔から(主にネット上での)この神官マハードの評価はやたらに低く、wikiが荒らされて延々と中傷が書かれていたり、検索ワードに「遊戯王 マハード」と打ち込んだだけで「遊戯王 マハード ××」と出てくるような状況が続いていました。あえて伏せ字。

 というかこのキャラクターを××扱いするというのは、記憶編のアレを大真面目な感動エピソードとして描いて “これが主人公のカードとの絆です!” とやっていた原作者が漫画家として無能だという話しになってしまうんだが……

 なので正直、言うほどこの神官マハードというキャラクターが原作でめちゃくちゃに  “ 不遇 ”  な扱いを受けているのかというと、そんなことはない(少なくとも原作者にそのつもりはないし、そんなこと言いだしたら表人格の獏良くんの扱いとかの方がもっとひどい)ですが、一番問題なのはああいった評価が横行してしまうようなキャラクター像しか提示できていない原作者の構成力と無神経な製作態度です。

 

 

2.神官マハードの置かれた状況。 「それ…魔術師の仕事なんすか…?」

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千年輪の指針の乱れが激しくーー(中略)罪人の邪念を探知しきれないのです』

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それはわかっておる…なにしろ魔術の腕を見込まれて神官に選ばれたわけじゃからの…』  (©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

↑ 魔力で千年輪の邪念を封印→千年輪による探知で王墓を守っている……のだが、マハードの魔術の腕と王墓の警護は直接関係がない。という具合に、彼の周辺の設定はやや説明的でこじつけっぽいものとなっている。 

 神官マハードが王墓の警護を指揮する立場にあるという設定は『魔術の腕を見込まれて神官に選ばれた』という設定とも、彼が後のブラック・マジシャンであるという正体とも噛み合っていません。王墓の内部で盗賊バクラと対決させる(そして千年輪をバクラの手に渡らせる)ためのいわばご都合主義です。

 ブラック・マジシャンは実は古代エジプトではもともと人間で、闇遊戯(ファラオ)に仕えていた魔術師でした……というような話しが、なぜ墓の警護になるんでしょう? 流れおかしくないですか? ファラオの身辺警護とかせめて王宮の警護とか、ファラオの右腕の魔術師のような人物像にしないと、単にブラック・マジシャン誕生の経緯を説明するだけではなぜ現代で闇遊戯が最も信頼するモンスターが三体の神ではなくブラック・マジシャンなのかイメージが掴みづらかったはずです。

 原作者はこの神官マハードと盗賊バクラをどうしても王墓の中で戦わせたかったようですが、その手順が強引すぎてキャラクターの思考や行動すら意味不明です。要するに、原作者に都合のよい物語の奴隷にしてしまったんですね……。 " なぜ王墓の中でなければならないのか "  等、詳しくはこちらの記事の第4項にも書いています。

rootm.hatenablog.com

 

なぜマハードは「王墓の警護団長」で「千年輪」の所持者なのか??

 神官マハードの登場シーンから早々に王墓が盗掘されており、その後いくつかの場面に渡って神官セトが執拗に神官マハードを責め続けるため、なにか「失態を犯した」感が異様に強く描かれています。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

墓所を守っているのは人間の兵士たちと墓職人の罠であってマハードの精霊は関係ないが、執拗に盗掘の件を持ち出すセト。盗賊バクラとの一騎打ちへの伏線だろうか。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社) 

↑ マハードを下げることでセトの有能さをアピールする悪人ミスリード…? 作中でセトがいちいちマハードに絡む理由などは一切明かされない。

 

 しかしよくよく読んでいくと神官マハードが直接なにかをやらかしたわけではなく、神官セトが言いたいのは

 盗掘を許したのは現場の連中だが 責任者はお前なんだからお前がケツ持ちしろ

 ……くらいの意味だった? ことが分かってきます。

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『今回のお前の任務は王家の谷の警備の増強と視察にある!』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 このシモン・ムーランとのやり取りから、普段は神官マハード自らが現場で警護や指揮をすることは無いということが示されており、だからこそ盗掘騒ぎの直後に『視察』のため王家の谷へ赴くという流れになっています 。もし普段から現場にいる人ならわざわざ視察なんかしないですよね。

 それもそのはず。 ファラオの側近のように描かれている神官のトップ6人が、 そんな最前線で一兵卒に混じって警護や指揮をするってふつうはないと思います。現代日本でいうところの防衛大臣自衛隊員のような関係を想像すれば分かりやすいのではないでしょうか。(神官マハードはその魔力で千年輪の邪念を封印しているという設定がこのあとに出てくるので、 そんな人材をいつも最前線に程近い現場に送り込んでいることになってしまうとマンガの話しとしてなおさら不自然です)

 というか正直、これらは全て盗賊バクラと神官マハードを王墓の中で対決させ、マハードを殺してブラック・マジシャン誕生エピソードを消化しつつ千年輪をバクラの手に渡らせる(現代では千年リングに闇バクラの人格が宿っているので、そこの経緯とつじつまを合わせる)ための前振りのようなものですが、 そ  の  前  振  り  の  た  め  に  王  墓  を  警  護  す  る (   盗  掘  さ  れ  る   ) キ ャ  ラ  と  し  て  マ  ハ  ー  ド  を 登  場  さ  せ 、 千  年  輪  を  持  た  せ  て  お  い  た  のだとしたらあまりにも設定が雑すぎるし、モブキャラならまだしも主人公のエースモンスターになるキャラに対する最低限の扱いとしてもう少し工夫の余地があったと思います。

 


 広大で過酷な涸れ谷に点在する何十個もの墓を、盗掘の専門家集団から守るだけのカンタンなお仕事?

 原作者がどこまで現実の古代エジプトの史実や当時の状況を意識しながら描いていたかは分からないので安直な結び付けはできないものの、古代エジプト第18王朝の歴代ファラオの墓は広大で過酷な環境の涸れ谷(王家の谷)に点在しています。なぜこんなへんぴな場所に隠すように墓を建てはじめたかというと、この時代以前(第11王朝あたり)から歴代王朝は盗掘被害に遭い続けており、すでに社会問題になっていたからです。だからこそ『千年アイテムは王墓を荒らす罪人を裁くため生み出された』という最初の設定も成立していた。

 それまでのファラオの巨大なピラミッドや壮麗な葬祭殿としての形を廃し、王墓の在り方はガラリと変わります。加えて、少なくとも第18王朝当時はまだ警備が腐敗していなかったため、普通の方法で侵入できる状態ではありませんでした。この王家の谷には24基の王墓を含む計64基の高貴な人々の墓が点在しています。(現在見つかっているだけの数。この中には第19、20王朝の墓も含まれます。)

 マンガの設定が史実通りでないことそのものは別にどうでもいいとして、作中の描かれ方ではたったの1つや2つしかない墓をそこらへんのゴロツキにまでみすみす盗掘されている(先王アクナムカノンの墓が何度も盗掘されている)かのような印象になってしまい、マンガの描き方としてはキャラクターの顔を立てずに泥を被せて展開を急ぐ悪手だったと思います。

 原作者は古代エジプトのことをよく調べて様々なモチーフをマンガのデザインに取り込んでいますが、肝心のキャラクターを引き立たせるための背景設定を作ることについてはあまり関心がなかったようです。あるいは原作者にとって、神官マハードはそこまで「肝心」なキャラではなかったか。(エースモンスターとは?)

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 上の画像は、神官マハードが亡くなったことを知った兵士達が石版を見上げているシーンです。彼らの様子をみると、神官マハードは兵士達に慕われていたようですね。

 場合によっては盗掘された墓の警備にあたっていた兵士が罰せられるような状況も考えられましたが、神官マハードは『責任はすべて私にあります』と言って、現場のせいにするようなことは一言も言いませんでした。しかしその一連のシーン(神官セトに言いたい放題言われながらセリフはほとんど「……」あるいは記号的な説明セリフで、ただファラオに服従しているという人物像の描き方)が、神官マハードのキャラクターとしての魅力に結びついているかは疑問です。王宮にひったてられてきた兵士達をかばうくらい描いてくれればいいのに…。どうせ王宮裁判のシーンと盗賊バクラの登場シーンを描くために、少なくとも2回は王墓に侵入されることはシナリオ上決まっていたんだから。

 ちなみに歴史上、盗掘被害がまた酷くなるのは第20王朝からです。この時代は国内の統治が荒れて、身分制度上は上の方だった「職人」たちにさえ給与が支払われず、警備も腐敗して、盗掘で生計を立てようとする人々や賄賂を受け取る代わりに盗掘を見逃したりする役人が現れたといわれています。

 墓荒らしは墓の情報に接することができた限られた人間(墓職人など)による世襲の専門職であり、単なるコソ泥やゴロツキとはわけが違います。この史実を意識してか(?)作中において盗賊バクラの故郷クル・エルナ村は、王宮の墓職人が墓荒らしとなって住みついた村という設定になっています。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 


3.神官マハードの決意が結実する、最大の見せ場

 

救世主(理想) → ただの時間稼ぎ役(現実に描かれたもの) + とばっちりで噛ませにされた神官シャダ

 クル・エルナ村で盗賊バクラに死霊の大群をけしかけられ絶体絶命となったファラオのもとに精霊化したマハード(ブラック・マジシャン) が駆けつけたシーン。
 盗賊バクラがページの下の方の小さい一コマでさらっと重要な設定を喋っています 。

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『無駄だ…死霊共の怨念は千年宝物所持者に特別な力を発揮するぜ!!』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社


 盗賊バクラによれば、この「死霊」とは7つの千年アイテムを誕生させたとき生贄にされた人々のガチの怨霊で、なんと千年アイテムの所持者を無力化します。(盗賊王バクラは死霊たちのいわば同胞なので襲われないし、千年輪の力は「形あるものに持ち主の精神を移す」ものであって死霊たちを操っているわけではない)

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 この死霊たちは神官団に対するメタカードです(メタカード: 対策カード。相手にそのカードを使われることによって最悪デッキが機能停止してしまうような相性最悪のカード) だからこそ盗賊バクラはこのクル・エルナ村を決戦の舞台に選び、 神官団が攻め込んでくるのを地下神殿でじっと待っていた。

 この場所に足を踏み入れた時点で神官団は詰みです。だって神官団の主要メンバーは全員が千年アイテムの所持者で、虐殺を主導した王朝の側の人間だから。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 このシーンではファラオとたまたま居合わせていた神官シャダだけが二人で苦しんでいましたが、本来なら、神官団は最初から全員がこの場に居合わせて

いざ盗賊バクラVS神官団の対決になったら、千年アイテムを持つ神官たちが死霊の効果で皆んな動けなくなって誰もファラオを守れない!さあどうする?!となったその瞬間に駆けつけたブラック・マジシャン(もはや千年アイテムの所持者でもなく人間ですらなくなった神官マハード)だけが死霊をはね返し、ファラオの窮地を救うことができた。そしてファラオと "六神官" の反撃が始まる。

 そういうシーンにならなければおかしいです。

(漫画には関係ない話しですが、イスラームの文脈においてマハード(マハーディ、マフディ)は  “ 救世主 ”  を意味します。)

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『いや… 六神官だ!!』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 

 というか原作者は当初はそんなような展開を意識していたと思います。ではなぜ

  • 死霊に襲われファラオピンチ! 神官団が追いつくも死霊の怨念に太刀打ちできず
  • 精霊マハードが駆けつけ死霊を払う
  • ファラオと  " 六神官 "  の反撃開始!

……で済む話しが、わざわざ

  • まず神官シャダがファラオと合流
  • 死霊に襲われファラオピンチ
  • 精霊マハードが駆けつけ死霊を払う
  • 一時はマハード優勢も、なぜか(マハードの魔力(ヘカ)の前では通用しないと実証されたばかりの死霊のオーラによって)魔力(ヘカ)による攻撃がディアバウンドに届かなくなる
  • またピンチになってマナ登場
  • 残りの神官団が登場

……みたいなまどろっこしい不自然な話しの段取りになっているのか?(なぜ神官団は一度に全員登場せず、神官シャダだけが先行してファラオと合流する話しの流れになっているのか?)


 それは人気キャラのブラック・マジシャン・ガールを、ここで登場させるため。


 どうにかブラック・マジシャン・ガールをねじ込むなら、師匠のピンチに弟子のマナとその精霊が駆けつけファラオがはっと振り向くと神官団参上!の方が、マンガの流れとして盛り上がるしスムーズだったから……ではないでしょうか?

 「 死霊の怨念は千年アイテムの所持者を無力化する 」という設定を盗賊バクラに説明させ、その流れからブラック・マジシャン登場 → 死霊をはらう…というシーンを描くためには、ファラオの他にも千年アイテムを持つ神官がその場に居合わせないとシーンが成立しないし、死霊が神官団へのメタとして機能しません。しかしブラマジガールの登場シーンを間に挟むため神官団はあとから登場する流れにしたい、だから神官シャダ1人だけを噛ませ役として先に合流させた。実情はそんなところではないでしょうか?ぶっちゃけあのシーンで噛ませになるのは神官カリムあたりでも作者的にはよかったと思われます。

 んな強引な理由があるかと思われるかもしれませんが、ガールを描くだけで読者アンケートの結果が良くなる(あと決闘のルール上出すのが簡単だった)からこそバトル・シティ編の後半になってもエースのブラック・マジシャンをそっちのけに弟子の方を登場させていたわけで、作品の人気を維持するために行われるジャンプ編集部のテコ入れは非常に強引だったことで有名ですから、あり得ない話しではないと思います。この「ファラオの記憶編」を描き始めてから人気が落ちていたことを原作者自身も語っています。(他に考えられるのは、ブラック・マジシャン単体での活躍と、神官団と連携しての戦闘シーンを分けたかった…というのも考えられますが、分けることにこだわる意味があまりなく、現実的な考察ではないように思えます)

 

 

盛りアガるタイミングでブラマジガールたん♡ 登場!

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 ブラック・マジシャン・ガールの助太刀によって注目されにくくなっているのですが、あの場で唯一「死霊」の効果を受けない精霊マハードが先に露払いをしたからこそ、 あとからやって来た神官団も(神官シャダのように足止めをされることなく)連携して盗賊バクラと戦うことができました。

 極端な話し、神官マハードがもし千年輪を奪われずそのまま生き延びていたとしたらアクナディンの闇堕ちは無かったにせよ、みんな仲良くクル・エルナ村で死霊の餌食になって連携もクソもなく終わっていたわけです。そうなれば盗賊王バクラがゾークと契約し、世界も終わっていたでしょう。

 5D'sの遊星ではないですが、結果的に神官マハードが千年輪を奪われたことも、その闘いで自らの命を生贄としたことも、 全てに意味があった。つまり(神官セトが発した前振りをここで回収)無駄な死(犬死に)など無い。そう読者に強く印象付けるような描き方をしなければならない、本来ならそういうシーンだったと思います。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 しかし実際描かれたマハードの活躍は「また盗賊バクラに挑んで結局ピンチになり、神官団が到着するまでの時間をかせいだだけ」の役に成り下がってしまいました。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 マナとブラック・マジシャン・ガールが駆けつけたシーンそのものは、生前のマハードが育て上げた次世代の種が芽吹いて自身を助けたことを表しており、「師弟の絆」を表現するうえでも必要で、決してそれ自体意味ないシーンとか人気キャラのガール出したかっただけとかではないと思います。 しかし、その場で優先して描かなければならない内容を明らかにはき違えています。

 最後にマハードが盗賊バクラのディアバウンドにとどめをさすことで最低限度の名誉挽回はしていますが、これは非常に形式的に見えます。

 

 

4.キサラと神官マハード、どこで差がついたのか?

 

説得力の違い。「男女の愛」と「自責の念」

 ファラオの記憶編をみていく上で忘れてはならないのは、連載当時、頑張りすぎてしまった原作者の体調がもう限界で、連載を早期終了するため致し方なく、本来の構想からストーリーが大幅に省略・改編されているという事実でしょう。

 推敲不足の超高速展開であっても神官セトとキサラの場合はいわば男女のロマンスになるので、 "いつの間にか"  精霊ではなくキサラ自身を愛していた! という成り行きにある程度の説得力があります。キサラの美しいビジュアルもあいまって、読者はさほど違和感なくこの悲恋のような儚い関係性に入り込むことができたでしょう。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 

 一方、アテムと神官マハードの場合……

 神官マハードが自らの生命や魂まで捧げてアテムに仕えた理由は、自分が死なせてしまった(と神官マハードが思っている)先王アクナムカノンの息子がアテムだから、という説明で済まされています。(他にしいてあげるとすれば、大事な父上の墓を盗掘されてしまったにも関わらずマハードのことを責めなかったアテムの心の広さに感銘を受けた……とか?? いずれにしてもマハードは泥を被るが

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 誰の息子だとかファラオとかの肩書きなしでのアテム個人を神官マハードはどう思っていたのか、アテムは神官マハードのことをどう思っていたのかすら、ほとんど描写が無い。アニメ版の幼なじみ設定のようにアテムと神官マハードがもともと個人的に親しい間柄なら話しは早かったと思いますが、残念ながら本誌で彼らの信頼関係や詳しい過去について掘り下げるページの余裕は無かったということです。

 しかも石盤の精霊ハサン(先王アクナムカノンの精霊)とかまで出てきて、神官マハードの苦渋の選択によって結果的に先王アクナムカノンは命を落としてしまった(からこそ、その息子であるアテムに神官マハードは自分の命を捧げた)という設定すらひっくり返ります。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社f:id:rootm:20200517173429j:image

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 おそらく「実はマハードは悪くなかったんだよ!(直接の死因は神官マハードが原因じゃない)」という原作者の思いやりでしょう。先王は自分のせいで死んだと思ってずっと自責の念にかられてきた(という  " 設定 "  になっている……)神官マハードの苦悩を横に置いてなんの話しをしてんだ……?

 というか、せめてアニメ版のように、神官マハードが先王アクナムカノンから「息子を守ってくれ」と使命を託されるのではダメだったのか…?

 設定上、ブラック・マジシャンは闇遊戯が最も信頼するしもべということになっており、ここぞのシーンでは必ず召喚されます。しかし実のところ、その信頼関係のルーツともいえる闇遊戯(ファラオ)と神官マハードとの精神的なつながりが直接描写されたシーンというのは、原作ではそれほど多くありません。

 神官マハードが亡くなった時でさえ闇遊戯はどこか淡々としており(記憶が混乱しているとか、ファラオとしての立場を考えて感情を抑えているというより、本当に淡々と描かれている)、むしろ弟子のマナの方の感情が描かれています。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 闇遊戯は自身の記憶を追体験しているという状況なのに、神官マハードや弟子のマナ(今の闇遊戯が信頼しているマジシャン師弟のルーツである人々)に遭遇しても、なにかを感じている様子が描かれません。フラッシュバックしていたのは父親に関するおぼろげな記憶のみ。

 神官マハードがブラック・マジシャンとなった後も3000年の永きにわたってファラオの魂に仕え続けてきたことは、作中の描写からなんとなく汲み取ることはできます。

 それは、むしろ主人公側より描写に熱が入っていた「キサラが神官セト(海馬)の魂に寄り添って守護している」というメッセージから、死者が精霊化してカード(のモデル)になったという同じ経緯を持つ神官マハードとアテム(闇遊戯)についてもおそらく同様……?であろうという推測と、バトル・シティ編の「カード(ブラック・マジシャン)が自らの意志でプレイヤーの盾になる」という描写を結びつけることで成り立つものです。

 闇遊戯(ファラオ)と神官マハードとの精神的なつながりは、ファンの側の想像で補完されている部分が大きいと思います。キサラを想う神官セトの感情の動きと海馬への繋がりを強く意識して描かれたキサラと、そもそもの設定や登場シーンのほとんどがつじつま合わせに終始している神官マハード、どちらの方がキャラクターとして説得力があるかは比べるまでもありません。

 

モンスターとしての扱いの差

 アテム(闇遊戯)と神官セト(海馬)をあくまで対等にするためか、ブルーアイズは『 ファラオの三幻神をも凌駕せん力 』『 神に匹敵する 』等と色々盛られています。

 一方で、ブラック・マジシャンに関しては、本当なら神の方が強いがアテムが千年錐を奪われている、またはバーを消費してしまって神を呼べないから、成り行きでマハードを使役して戦っているという状況です。VS盗賊王バクラのときは成り行きでも良いとして、それ以降の闘い、神官セトとの最後の決闘においてさえ、アテムがあえて神ではなくマハードを呼んだわけですらない。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 『 ゾークとの闘いでファラオの魂はすでに尽きかけている!神を召喚することはできない… 』ので、神に匹敵する白き龍には本当なら神で応戦したいところ、なんとかブラック・マジシャンで場をしのぐしかない。それはエースではなく、ただの壁モンスターですよね?

 そういう風につじつまを合わせるなら、ファラオが最初から三幻神を操れる設定とか必要なかったんじゃないでしょうか? 序盤はべつに三幻神でなくともウェジュの石盤から適当に強力なモンスター(それこそデーモンの召喚とか暗黒騎士ガイアとか初期の遊戯のエースたち)を召喚できればストーリーとしては殆ど事足りる話しであって、要は主人公だから盛られているというだけの話しでしかない。盛る場所が違うだろ。

 アテム(闇遊戯)と神官セト(海馬)をあくまで対等に、力は互角であるとして描く……という視点から見ると、ゾークとの闘いで消耗しきった状態のアテム(とマハード)にフルパワー状態のブルーアイズで殴りかかったら神官セトが勝つのは当然だろう……というニュアンスを汲み取ることはできるでしょう(神官セトもそれを分かっているからこそ、来世での再戦を願う石板を遺したともとれる)。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 しかしそのために、肝心の主人公のエースモンスターがあっけなく蹴散らされて終わりというのは、作品の体面としては大分マズイと思われます。(表遊戯とのラスト決闘でもサイレント・マジシャンに師弟まとめて蹴散らされ、最後はオシリスの天空竜が出てきて終わりだし……)

 魔法カードや罠カードとのコンボで自身より攻撃力の高いモンスターとも互角に戦えるというキャラだからこそブラック・マジシャンは主人公のエースに相応しいのであって、パワーで圧倒する海馬の王道スタイルも映えるのであり、攻撃力3000のブルーアイズ>>>攻撃力2500のブラック・マジシャンみたいな所だけ妙にルールに忠実にしてしまっては本末転倒です。

 

原作者が描きたかったのは「キサラ」

 原作者は神官セトとキサラ、海馬とブルーアイズの描写には一定のこだわりを見せ続ける一方で、アテムの魂が千年パズルに封印されゾークと融合しかかっている間にマハード(魂と精霊が融合し不死となっている?)はどこにいて何をしていたのか(キサラが神官セトの魂に寄り添っているようにマハードもアテム=闇遊戯の魂を守護していたのか?)、アテムが冥界へ還ったあとマハードはどうなったのか(アテムと共に冥界へ還ったのか?表遊戯のいる現代に残ったのか?)さえ、具体的な描写どころかあとがき等での言及さえ放棄しています。

 劇場版DSODのパンフレット等で「ブラック・マジシャンの魂がアテムから表遊戯に受け継がれた」(←はあ…?)という旨の記述がありますが、正直、意味不明です。受け継がれる筋合いがどこにあるんでしょう……? 表遊戯にはガンドラやサイレント・マジシャンという彼自身のエースモンスターがいます。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 キャラクターとしては全く同じコンセプトの「キサラ」と「神官マハード」ですが、キサラは神官セト(海馬)が唯一愛した女性であり作中最強のモンスターであるという無二のポジションを与えられています。

 その一方で、アテム(記憶の世界にいる闇遊戯)の心を支える存在としては当然、表遊戯と仲間たちがメインで描かれます。ファラオの使役する強力なモンスターは三幻神の方が絵的にカッコいいし読者ウケも良い、なんならブラマジより大人気キャラのブラマジガールを優先したい、ということだそうです。

 構成の上で仕方のない部分も多いのですが、神官マハードは「主人公のエースモンスター」のルーツという重要キャラクターでありながら、あまり意義のあるポジションを原作者から与えられませんでした。

 

 


5.まとめ「作中屈指の  " 不遇 "  キャラ」

 個人的な好みなどの感情をあえて排して事実だけに着目すると、作中の設定やストーリー構成において「神官マハード」の重要度は、相対的にあまり高く扱われていません。

このキャラクターの本当の意味での救済は「史実編」に期待するより他に手立てがない状態です。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 闇のTRPGというゲーム内の仮想世界ではなく史実の古代エジプトでは本当は何が起こっていたのか、それらは謎に包まれたまま、 原作本編は終了しています。

 おそらく神官セトはファラオを裏切り第三勢力となって、神官マハード → ブラック・マジシャンがファラオの忠実なる右腕として台頭し、壮大な三つ巴の戦争に発展したのでしょう。

 多くを望むことを許されるなら、原作者がもともと構想していたという古代エジプトの史実の物語が、今後なんらかの形で発表されることを切に願います。


 なんならもう、デュエルリンクスで補完とかでもいいので!!お願い!!!

おわり

表遊戯はアテムの生まれ変わりなのか?DSODで海馬がたどり着いた場所って?【遊戯王 DM 考察 原作 漫画 劇場版 アニメ 感想】

 

この記事は純粋に考察を目的としています。批判っぽく見てる言い回しがあるかも分かりませんが、作品やキャラクターを貶める意図は無く、他の方の考えを否定するものでは決してないことをご理解くださいませ。m(__)m

 

 

 


1.この記事の目的

 原作「遊戯王」の本編において、神官セトと海馬瀬人、シモン・ムーランと武藤双六のように、ほとんどそっくりな見た目でこいつらは明らかに「前世」「来世」の関係だろうと思えるようなキャラクター達が何組か登場します。

 しかしその一方で、アテム(闇遊戯)だけがいわゆる転生や生まれ変わり的な意味での「前世」「来世」とは全く関係のない世界観で描かれます。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 記憶の封印を解かれたあとアテムの魂は冥界(高次元シフトした世界)に還り、その世界が彼にとっての「来世」です。アテムは現代やその先の未来の時代に生まれ変わることはありません。現代にはアテムにそっくりな少年「武藤遊戯(以下、表遊戯)」がいますが、この表遊戯はアテムとは元々関係ない別個の魂を持った他人です。

 この記事では、なぜキャラクターごとに描かれ方の死生観が異なり、アテムだけいわゆる "転生" や  "生まれ変わり" の概念がないことになったのか、劇場版THE DARK SIDE OF DIMENSIONS(以下、劇場版DSOD)で海馬がアテムと出会った場所はどこなのかを考察していきます。

 

 

2.武藤遊戯はアテムの生まれ変わりなのか?

 本題に行く前にまずは前提の確認。「前世」「来世(生まれ変わり)」の関係にあると思われる神官セトと海馬、シモンと双六の例を確認し、それから最後にアテムと表遊戯をみていきます。


シモン・ムーランと武藤双六

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 上の場面は若かりし日の双六がエジプトで王墓に進入し、千年パズルを手に入れたエピソードのワンシーンです。アテム(の魂?)が双六に向かって「シモン」と呼びかけ、手を差し伸べています。(この墓の主がアテムなのかは謎ですが、この直後に双六は千年パズルを発見します。)

 この描写は、双六がほとんどイコールシモンで同じ魂を持った生まれ変わりでなければ説明がつきません。

 ここで双六を助けたアテムは、後の本編に描かれた「記憶(闇のTRPG)の世界のアテム」……つまり記憶喪失中の闇遊戯が中に入ったファラオ……ではありません。おそらく当時のままの、いわば「史実通りの」アテムです。シモンと双六がそっくりであるように、当時のアテムも表遊戯とそっくりの姿をしています。

 


神官セトと海馬瀬人

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 原作者は、神官セトとキサラのくだりについて、海馬とブルーアイズの関係を語るうえで重要なエピソードであると文庫版のあとがきでコメントしていました。

 これは海馬がほとんどイコール神官セトで、同じ魂を持った生まれ変わりでなければ筋が通らない話です。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 原作者はキサラの魂=ブルーアイズが海馬を守っているような描写にこだわり続けており、「神官セトの魂にキサラが寄り添い守護している」というメッセージを込めています。

 その一方で、例えばこの「キサラと海馬」の関係性が、「神官マハードと表遊戯」の関係性には全く当てはまらないことは明白でしょう。(描写というか原作者の入れ込み方が偏っているので、神官マハードと闇遊戯ですら↑の関係性が当てはまるか微妙だが……。)

 


アテムには「生まれ変わり・転生」の概念がない

 結論ですが、ご存知の通り表遊戯はアテムの生まれ変わりではありません(設定上)。双六とシモンの描かれ方や、海馬と神官セトの描かれ方とは明らかに「死生観」が違います。

 なぜなら、表遊戯とアテムは途中から、それぞれ別々の魂を持ったまったくの他人として描かれているから。表遊戯の心の中に間借りしている闇遊戯が分離して、「もう一人の遊戯」ではなく「アテム」という別個の存在として冥界へ還ることが本作の結論部分であり、「自立」というテーマを表しているからです。だからこそ闘いの儀において、ブラック・マジシャンは明確にアテムのしもべとして表遊戯の前に立ちはだかりました。(もし冥界で神官セトと海馬が出くわし決闘する場合、どういうことになるのか気になります。)

 

 

3.劇場版DSODのラストシーンで、海馬はどこにたどり着いたのか…?

 

混在した死生観。「輪廻転生」と「来世での復活」

 原作本編において、シモンや神官セトの描かれ方の死生観は、いわゆる生まれ変わり……「輪廻転生」の考え方が採用されています。古代エジプト人である彼らが現代に生まれ変わった魂が双六や海馬であるという考え方です。(合ってる……よな?)

 その一方で、アテムに関しては古代エジプト的な死生観……「来世での復活」という考え方が採用されています。これは死者の魂が別な時代に生まれ変わるのではなく、冥界という別な世界(楽園アアル)に行ってそこで第二の人生が始まるという死生観です。古代エジプト人にとっての「来世」とは冥界での生活のことです。原作本編でアテムは最後に冥界へ還って行きますよね。

 劇場版DSODで描かれた「次元上昇」は、この古代エジプト人の死生観をSF的に再解釈したものと捉えることができます。アテムのいる冥界=次元シフトによってしか到達できない、遊戯や海馬たちの世界とは物理的な次元の異なる『 高次元の世界 』です。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社
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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 原作のラストシーンで冥界の扉をくぐったアテムが向かった先に、劇場版DSODは新たな解釈を与えました。

 つまり、映画のラストシーンで海馬がたどり着いた場所は冥界であり、原作本編でアテムが向かった先もまた冥界。アテムは冥界の扉をくぐったことで高次元シフトした。海馬はそれを科学の力で再現した。……という解釈で間違いないと思います。

(余談: 本来、" 高次元の世界"  とは単に物理的な次元が高い世界という意味です。4次元世界、5次元世界、それ以上……ともなるとしょせん3次元的な思考や価値観しか持たない我々には到底理解できない、描写することさえ難しい世界になってしまいます。そのためメジャーなSF作品のいくつかにおいて、高次元の住人は「人智を超えた文明レベルを持つ異星人(または未来人)」として描かれることが多く、それほど高度に発達した社会には飢餓や戦争は存在しない=高次元の住人からみると地球人(現代人)は  " 物理的・精神的に次元が低い "  というダブルミーニングになっているのですが、そこをストレートに「高次元の世界にアクセスできる・高次元の世界に行かせる価値があるのは、子どものように純粋な魂を持つ徳の高い人間(要は表遊戯やプラナたち)、あるいは高い意識を持つ人間(要は海馬)のみである」という一種の選民思想のようなニュアンスでプラナたちの言動や次元シフトを描いた映画DSODは、3次元以上の世界を扱うSF要素の描き方としては少し毛色の異なる作品であると思います。)

 

海馬がたどり着いた冥界に、神官セトやシモンはいるのか?!

 なるほど…… アテムだけが「前世」と「生まれ変わり」みたいな考え方とまったく別の世界にいるのは、1つの作品の中に異なる「死生観」が混在しているからなのか。

 

 ここで、一つの問題が浮上……。

 

神官セトの魂は海馬瀬人として生まれ変わって現代にいる(?)が、それとはまた別に、神官セトは冥界(高次元の世界)にも存在しているのか……??(シモンと双六についても)

 このマンガのキャラクターたちの描かれ方の「死生観」って結局どうなってるの??

 この問いに対し、表遊戯が現代にいてアテム(闇遊戯)が冥界にいるんだから、海馬が現代にいて神官セトが冥界にいても問題はないだろう、と我々は考えがちです。しかし表遊戯とアテムが別々の世界に同時に存在しているのは、彼らが元々別個の魂をもつ別人だ(という設定に途中からなった)からであって、同じことが神官セトと海馬に言えるでしょうか……。

 海馬はなぜブルーアイズに固執してるんでしたっけ……?  " 前世からの繋がり "  があるから、というニュアンスでしたよね。アテムから表遊戯へブラック・マジシャンの魂が受け継がれた(←はあ〜……??)ようなワケにはいかなくないですか……?

 原作者は劇場版DSODのパンフレットで『マルチバース理論』という単語を出しましたが、この「似たような歴史を持ち似たような人々が生活している宇宙が無限に存在しそれぞれの宇宙には自分のドッペルゲンガー =もう一人の自分 がいる、あるいは観測者であるそれぞれの人の認識の分だけそれぞれの宇宙がある」というような概念を持ち出したとしても、原作で海馬(武藤双六)は神官セト(シモン・ムーラン)と同じ魂を持った生まれ変わりのように描かれているのになぜアテムの死生観だけ「来世での復活」や「次元シフト」なのか(なぜアテムと表遊戯はまったくの別人扱いなのか)……というような作中の矛盾に対する回答にはなり得ないでしょう。

 

 

4.なぜアテムだけ「死生観」が異なってしまったのか?

 理由としては、途中で主人公「武藤遊戯」の設定が変更されたことが大きかったと思います。

 もともと「武藤遊戯」というキャラクターは「表と裏の人格をあわせ持った少年」という設定でしたが、王国編が終わりバトル・シティ編に入っていく辺りから「闇遊戯はじつは表遊戯の心の中に間借りしている別人」だという話しになりました。

 原作者は遊戯王という作品は最初から古代エジプトのファラオの関わる話しにしようと決めていた』と文庫版のあとがき語っていますが、なぜか「古代エジプトのファラオの話し」や「ファラオを主人公にしようと決めていた」と表現せず、『ファラオの関わる話し』というかなりフワッとした言い回しをしています(真の主人公は表遊戯だという話しになったとはいえ、闇遊戯=アテムは事実上の主人公なのに)。これは、連載当初は「武藤遊戯」をファラオにする予定はなく、闇遊戯は主人公である武藤遊戯が持つ人格の一つという設定だったので、そう言い回すしかなかったためと思われます。

 当初の本作は二重人格キャラとして表と裏の遊戯が互いを認知し共存していくような路線でしたが、原作者は『どのような形であれ、遊戯は「もうひとりの自分」と向き合い、真の「自立」を勝ち取らなければならない』と考えていたことを語っています。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 上のシーンはまさに、「最初はこういう風に描いていたけど、実は違ったんだよ(設定が変わったよ)」ということを杏子の心情と言葉を借りて読者に説明しているシーンと言えるでしょう。

 そうなると新たに考えなければならないのは、表遊戯が真の自立を勝ち取り、闇遊戯と別れたあと、闇遊戯の魂はどこへ行くのか……という部分です。それが『ファラオの関わる話しにしようと決めていた』→ファラオの魂を冥界へ還すという構想と結びついて、最終的に「ファラオである闇遊戯=アテムは本来の居場所である冥界に還っていった」という現在の形に落ち着いたのではないでしょうか。

 しかしそうなると一番気になるのは、変更前はどんなストーリーが想定されていたのか?という部分ですが……。

 

 

5.闇遊戯の失われた記憶は、表遊戯の「前世の記憶」だった?

 

(※この項は考察というより当ブログの妄想です。マジでなんの根拠もありません。)

 

千年パズルが「武藤遊戯」を選んだわけ。「墓を守る番人」としての闇遊戯。

 当初、闇遊戯と表遊戯は「前世の自分」と「今の自分」という設定で描かれる予定があり、武藤遊戯は千年パズルの封印を解いたことで前世の記憶が(一部)蘇り、前世の自分が目覚めている間だけ別人のようになる=闇遊戯……というようなストーリー案があったのではないでしょうか?(神官セトやシモンはこの「前世」の設定イメージを引きずって描かれている)

 パズルに封印されていたのは闇の力「墓を荒らす罪人を裁く力」で、番人の魂が現世に生まれ変わってくるのを千年パズルは待っていた(パズルが武藤遊戯を選んだ)。そして現代に蘇った番人は、人の心の領域を踏み荒らす罪人を「闇のゲーム」で裁く。心の領域にしまわれた宝は「友情」といったところでしょうか……?

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

"墓を守る番人もいれば …墓を暴く盗賊もいる"

 このシーンが描かれたのは、闇遊戯が実は古代エジプトのファラオだと発覚するよりはるか以前のモンスター・ワールド編。本作がカードバトル中心の長編をやり始めるより前のことです。注目すべきなのは、この時点で「番人」とは闇遊戯のことを指しており、闇遊戯と同じく千年アイテムを持つ「盗賊」闇バクラと敵味方で対のように描かれていたことです。

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『「千年パズル」が君を選んだのだ!三千年の時を待ってな…』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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『そしてその「力」が必要とあらば…我が血族にとりこむ……』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 上の画像は闇遊戯がファラオの魂であることを想定して描かれたシーンでは多分ないですよね。シャーディーはパズルの力の秘密を知りたがり、必要なら闇遊戯を三千年の墓守りの血族にとりこむとまで言っています。

 当初の闇遊戯が墓を守る番人だったからこそ『千年アイテムは王墓をあばき財宝を盗みだす罪人を裁くために生み出された』という設定が最初に描かれたのであり、そのステージである王墓は『盗賊を地獄へいざなう死と闇の遊戯』なのです。罪人を裁き罰を与える=罰ゲームです。

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『それらは古代の王に仕える魔術師達によって「王墓をあばき財宝を盗みだす罪人」を裁くために生みだされたもの…』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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『盗賊にとっては地獄へ誘う死と闇の遊戯場…』
(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 ファラオの記憶編において、当初の闇遊戯の「墓を守る番人」ポジションは王墓の警護団長として登場し盗賊王バクラと王墓で対決した神官マハードに移譲されています。このマハードというキャラクターはそういった設定の穴埋めとブラック・マジシャン誕生エピソードを消化するという、ただそのためのキャラであり、作者と物語の奴隷です。盗掘騒ぎの責任者という冴えないばかりの設定、ファラオに平伏するだけの希薄な人物描写、強引に挿入された盗賊王バクラとの対決シーンは「壁抜けの能力を持つ敵を王墓に閉じ込める」という極めて不自然な展開でした。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

↑ この矛盾と稚拙さに満ちた一連のシーンにおいて無能なのは作者でありマハードは生贄である。漫画として欠陥品のようなこの構成にGOサインを出した担当編集も作者と同罪と言わざるをえない。

 闇遊戯が元々はファラオでなく「墓を守る番人」だったということは、番人に仕えられる側の「ファラオ」にまつわる者として登場する予定だったキャラクターが闇遊戯の他にいたかもしれないということになるのですが……私はマリク・イシュタールこそが最初はファラオ(の生まれ変わり?)として登場する予定でデザインされたキャラクターだったのではないかと想像しています。

 

元々はマリクが「ファラオ」として登場する予定だった?

 「マリク」アラビア語を意味します。ファラオへの反逆児・復讐者として自分で勝手にそう名乗っている通称という設定なら分かるのですが、王に仕える墓守り一族の少年に「マリク(王)」と名付けられているのは設定としてかなり不自然です。

 登場初期のマリクは「ファラオであるアテム」と同じようなデザインの王冠を身に付けていますよね(アテムの王冠は髪型に負けないよう更に派手なデザインになっています)。これは最初に起こしたデザインをそのまま使っていたからではないでしょうか。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 つまり、千年ロッドに宿った「闇マリク」こそが三千年前のファラオの魂だったのでは……?という想像です。(それも「父親」や「教師」など権威者を悪役にしたがる原作者の傾向からして、圧政を敷くタイプの悪いファラオ)

 番人だった闇遊戯がファラオになったので、ファラオだったマリクが番人の一族の末裔として本編に登場した。(想像)

 元々マリクの設定は不自然な点が多く、遊戯や獏良と同じに千年アイテムの所持者で二重人格であるにも関わらず、なぜかマリクだけが「トラウマによって自分の中に別人の人格を作り出してしまう」という本来の意味での多重人格者として扱われています。もともとの設定では闇マリクも「千年ロッドに宿った闇の人格」だったと考えればつじつまが合うのです。

 現代のエジプトでは王朝は断絶していますが、ファラオの一族の血を引く人がどこかに生きていたとしてもおかしくはないように思えます。元々の設定だと表マリクはファラオの血族かなにかで、現代にファラオの力を蘇らせようと考えているキャラクターとかだったのではないでしょうか。(想像)

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社
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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 そもそも墓守りの一族としては先にシャーディーというキャラクターが登場しているのに、それとは全く別の系統として設定の被る似たようなキャラクターを登場させるのはやはり不自然に思えます。

 もしマリクがファラオならイシズはファラオの姉、リシドはファラオに仕える従者のような属性のキャラクターだったのかも分かりません。(リシドは神官マハードの原型か…?ぶっちゃけ主従関係にあるキャラ同士としてはアテムと神官マハードよりマリクとリシドの方がよほどしっかり掘り下げられている。)

(※ここまで全て妄想)

 


6.まとめ

 これらはすべて推測です。確認する手立てもありません。(ストーリーの構想を考えついた時期などは原作者本人ですら記憶が曖昧になっている可能性あると思います。)

 しかし、私はアテムの描かれ方の「死生観」だけが本作の中で奇妙に浮いている理由を考えたとき、前述のような紆余曲折の経緯を想像(妄想)せずにはいられないのです。

 

おわり

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セトって次期ファラオとして相応しいんか…??王の記憶編までを読んで、うーん…と思ったこと【遊戯王 原作 DM 漫画 感想 ストーリー考察 史実 古代編】

 

※この記事は、マンガとしての遊戯王が好きだからこそ当時は声を大にして言うことがはばかられたモヤモヤを今になって吐き出して自分の中で整理するための雑記であり、作品に対してガチで貶めたり叩くような意図は決してないものの、考察としての批判的な内容(あとちょっとグチ)が含まれています!

 

 

 

 

 


1.最強モンスターのブルーアイズを使っても闇遊戯に勝てない、なぜなのか

 ブルーアイズ(白き龍)って古代エジプトでは『 ファラオの三幻神をも凌駕せん力 』とか言われていて、ブラック・マジシャン(マハード)なんか手も足も出ずに蹴散らされてるわけですよ。

 あれだけ宿命のライバル感出して引っ張っておいて、いっそバカバカしさすら感じるほどあっけない決着。闇のTRPG内での出来事であって本当の史実ではどうか分からない。でも原作本編で描かれた事実はそれだけ。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 しかし現代の海馬はというと、M&Wの世界で最強のモンスターカードとされるブルーアイズを3枚も使っているのに闇遊戯のブラック・マジシャン(を主力とする)デッキに勝てない。環境デッキ使ってるくせにファンデッキに勝てない(※例え話し)みたいな状態……。

 一見するとこれだけでもう、闇遊戯と海馬の実力の差はハッキリしているように見えるが、原作者としては海馬がいつも勝てない原因を『 カードと心をひとつにすれば 』とか『 友の力』とか『 憎しみという魔物 』のためということにしたい。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 つまり、海馬は己の力しか信じず最強に固執し、人と人との繋がりを軽視するので、憎しみに囚われてしまい、実力は拮抗しデッキパワーでは勝っているはずの闇遊戯に、友情や信頼や結束…つまり絆の力で負ける。その話しの構造こそが「決闘者の強さとは単なるカードパワーや非情さではない」という一つのテーマを象徴しているのだと。

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『オレの 最強を誇るデッキ…最強のしもべ…』

『だが… 負けた…』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 この話しの流れから、なぜ海馬とブルーアイズのや関係性などの絆のバックグラウンドを闇遊戯の記憶編で掘り下げる(その前振りのため、神を生贄にあえてブルーアイズを召喚するという特別な演出を与える)という話しになるのか? しかも闇遊戯とブラック・マジシャン……つまりファラオと神官マハードとの信頼関係は大して深く描かれず、駆け足の説明で済まされているという有り様です(アニメでは多少補足されたが)。

 ではアテムが神官セトとの決闘にあっさり負けたのは、現代へと繋がるアテムと神官マハード(ブラック・マジシャン)の信頼よりも神官セトとキサラ(ブルーアイズ・ホワイト・ドラゴン)の愛の方が強かったからで、現代の海馬が闇遊戯に勝てないのは信頼や愛など絆の強さが一つの原因というよりほぼ純粋に決闘の実力で負けている、ということでいいですか? 違いますよね。海馬が闇遊戯に勝てないのは、義父への憎しみに囚われるあまり勝つことそのものが目的になってしまい、ゲーム(決闘)をすることにおいて大切な愛情や人と人との繋がり(弟のモクバ以外)を蔑ろにするからでしたよね?

何がしたいのか分からないです。明らかに配分というか、バランスが狂っている。

 というか、とにかくキサラを描きたい、神官セトには泥を被せたくないという意気込みだけは伝わってきました。

 時系列で見れば、海馬は前世ではブルーアイズを、つまりカードを愛していたのでアテムに勝ったが、現代ではそれを失っているので負けた……ということで一応つじつまは合うものの、そこに力を入れてファラオの記憶編を描きたいならもう海⭐︎馬⭐︎王でよくね?という話し。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 キサラの死と愛が巡り巡って神官セトを助け、彼は改心してアテムに『友への詩』まで捧げて現代に石版を遺しました。しかし現代の海馬はというと『友など永遠に必要のないものだ』とか言っていて、闇遊戯から『貴様が負けたもの…それは己の中に巣食う憎しみという魔物だ』とか説教までされています。正直、こういう主人公の上から説教ムーブを気味が良いとは思わないが。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 しかしその一方で、キサラを殺され憎しみの闇に支配されていた(その心の隙をつかれ、父親であるアクナディンに精神を支配されてしまった)はずの神官セトは、アテムの信頼するしもべであるという設定のブラック・マジシャンをあっけなく蹴散らしています。神官セトは操られていてアテムの心は負けていないので決闘の勝敗は決まっていないとでも言うのでしょうか?

 前後の繋がりに一貫性が無さすぎて、ストーリー漫画としてのテーマが全て破綻しています。

 

 

2.原作者のイデオロギーと特定シチュエーションへのこだわりが奏でる不協和音

 

美しいが蛇足感のある「キサラとセト」

 キサラを絡めた三つ巴の構想を加えたことで本編のバランスが全体的に崩れてしまい、必要以上に話しが複雑化している感が否めません。

それだけならまだしも、過去に描いてきた海馬というキャラクターのコンセプトをまるごと無視してそのルーツを悲恋の前世ロマンスにすげ替えてしまったうえ、ただでさえ原作者の体調不良で巻きが入っているのにキサラと神官セトにページ数を割いてしまって他のキャラクターたちの描写がお留守。

 初期からの悪役である闇バクラのルーツは突貫工事のようなこじ付け設定でうやむやにされ盗賊王バクラはいきなり消滅。表人格の獏良了は闇人格と向き合う機会さえ与えられず放置。人数合わせで登場してきてあっけなく死ぬだけの神官団。主人公であるファラオとそのエースモンスターである神官マハードのエピソードですら駆け足の説明で済まされ というか適当に省かれ…… 闇遊戯の言う『カードとの絆』やそのルーツの話しまで描写が到達していません。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

↑ 作中、闇遊戯の主張する(決闘者と)カードとの絆 とやらが最も印象的かつ象徴的に描かれ続けているのは海馬とブルーアイズであると言っても過言ではない。

 キサラというキャラクターそれ単体は極めて美しく完成されているのですが、このマンガでいきなりそのエピソードをやることが原作者の趣味と一部ファンへのサービス以外に意味がなく、他の重要なキャラクターたちの描写を圧迫しているばかりかキャラクター本来の性質を半ば捻じ曲げています。マンガの話しとして致命的なほど一貫性と整合性を欠いてしまっているのです。

 

海馬がブルーアイズに固執する理由…?

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 海馬は幼少期に養父から受けた虐待が元で、自身の上に立とうとする者は全て叩きつぶさなければ気が済まず、そのために幻のレアカードでありM&Wの世界で最強のモンスターとされるブルーアイズに固執していました。 それはカード(のモンスター)への愛ゆえではなく、勝つという執念のため。

 だからこそ遊戯から盗んでまで双六の所持していたブルーアイズを手に入れようとしたし、海外の他の持ち主たちから3枚のブルーアイズを奪って手に入れたあとは最強カードを自分以外が持つ必要は無く同じカードはデッキに3枚までしか入れられないため……というより半ば、カードを譲らなかった双六への当て付けで、不要な双六のブルーアイズは破り捨てました。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 ただブルーアイズを(キサラを)独り占めしたいだけならカードを破る必要はなく、鑑賞用のコレクションにでも加えれば済む話し。双六のものだったから……いわばセトを裏切ったから破った……と深読み(後付け設定からのこじつけ)出来なくはないものの、他の3枚だって元々の持ち主から奪ったもので状況は同じです。このシーンが表現していたのは海馬の冷酷さ、カード(のモンスター)やゲームそのものへの愛情を持たずルール無用でひたすら勝利に執着する悪役としての、海馬のキャラクター性でした。

 彼は最強カードであるブルーアイズを手に入れるためなら犯罪すらもいとわない悪人であり、人間としては最悪ですが悪役としては筋の通ったキャラクターでした。その背景には養父からの虐待があり、そうした幼少期の過酷な体験があったからこそ、勝利(のために絶対必要な最強カード)に対する歪んだ執着を持っていたのです。だからこそ、自分にはもはや必要のない4枚目のブルーアイズを持ち主の目の前で破り捨てることもできる。というか、少なくとも途中まではそのように描かれていました。

 それを 実はあれらの卑劣な行為は、全てキサラ(ブルーアイズ)への愛ゆえだったんだよ!! なんて思い付きをいきなり語られても、 マンガのストーリーとして支離滅裂だし薄っぺらいです。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

↑ カードを破り捨てる海馬。闇遊戯にマインドクラッシュされる前と後とでキャラクター性が異なるとの見方もあるようだが、実際はほとんど変わらない。もともと海馬にとってカードの価値とはレアかレアでないか(強いか強くないか)であり、ずっと彼のアイデンティティは勝つことに対する異常なまでの執念だった。

 これが例えば、古代エジプト(前世の時代)で唯一の心のよりどころだったキサラを殺されたせいで神官セトは復讐に走り、憎悪と復讐心を忘れないために例の石板の詩を後世に遺したとかだったらまだ分かるんですよ。

 実は「友への詩」だったなどなんでもかんでも友情で片付けるひねった善人オチではなくもっとストレートに「遊戯と海馬の対立の運命を示唆する石板」であるとかだったなら、現代でもその因縁が続いているということで、神官セトの生まれ変わりである(?)海馬が強さ固執する理由としてキサラの存在が文脈的に自然です。海馬の非情な言動やサイコな性格の理由付けにもなる。(それでも若干唐突だが…。というかサイコな海馬のが個人的に好きです)

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 しかし実際に描かれたファラオの記憶編において、神官セトは少なくとも心のよりどころとして自分の父親を誇りに思うような真っ当な育ち方をしており、王宮では神官団の指導者とされるアクナディン(実は父親)に目をかけられ、神官シャダや神官マハードを始めとする同僚の神官たちに対しては異常に支配的に振る舞いやりたい放題。しまいには何の罪もない民衆の中から素養のある人間を探し出して魔物(カー)を抽出して軍備を増強しようとか言い始めます。

 ↓ ここまで徹底した冷酷ムーブを描いておきながら、本来なら海馬(義理の父親への憎悪と勝利への執着とかろうじて残った弟への愛情がアイデンティティとして描かれていた)を間接的に掘り下げるためのキャラであったはずの神官セトに、愛する女()を殺した憎き父親に対して『恩義を忘れえぬ』とか賢明なことを言わせてしまう。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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『魔物が憎しみによって力を得られるならば…権力によってその者に究極の苦痛を与えればよいだけのこと…』

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『わずかな民の犠牲など…王家の谷の石コロにすぎぬ…』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 作品としての一貫性の無さも問題ですが、他のキャラクター達を神官セトの悪人ミスリードのための踏み台ておいて、あとになって実はいい人だったように描かれ、いざキサラが殺されるとある意味悲壮な感じでファラオを裏切るという(実際に描かれた本編では順番が前後しているが、やむなく変更されたという本来の構想では自分の意思で明確に裏切っていた)……要するにキサラを描きたい、神官セトは悪い奴にしたくないという……この作者都合とでもいうような展開に説得力があるのか?

 ぶっちゃけ海馬がブルーアイズに固執する理由はこれまでのストーリーの流れからすれば「最強だから」で済む話しなので、義父との確執エピソード以外の深い掘り下げはさほど重要ではない。神官セトがファラオを裏切る動機なら玉座狙い、自分が王になり頂上に立つためでも十分です。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 しかも海馬はバトル・シティ編のラストで憎しみの象徴であるアルカトラズを海に沈めたことで、義父への憎悪に囚われた人生に決着をつけ、本来の人生の目的である『世界海馬ランド計画』のためアメリカへと旅立ちました。

 神官セトがキサラの光に救われることで間接的に海馬も救われるようなシナリオ構造にそもそもなっていないし、その必要もない。むしろキサラが神官セトを救ったことで因縁の石版が友情の石版になってしまい、現代においても海馬が憎しみを刻みつけられていることの象徴的な意味合いがほぼ消えてしまっています。なにかバトル・シティ編でチラ見せされたブルーアイズを擬人化したような女の子が出てきて悲恋の物語が始まり、前世の海馬はファラオ(闇遊戯)を敬愛していて被差別民の少女を庇護する優しい善い人でした、みたいなよく分からない話しにしか見えないのです。セルフ同人誌かな……?

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 キャラクターに深みを与えるという意味では「キサラ」自体は決して要らないエピソードということはないが、他を端折ってまで本編にねじ込むべきではなかったように思います。それこそ他をきちんと描いたうえで番外編としてやるか、原作者自身が同人誌を出した方がいい。(連載の都合はともかく、神官セトが裏切ったのには実はこういった背景が…という風に後から掘り下げることだってマンガの構成としては可能だったはず)

 

肌の色で弱者を差別する古代エジプト人?

さらに、おそらく原作者は民衆から迫害を受けるキサラの姿をマンガの中で描くことで、我々の現実の世界における人種差別の問題をも描こうとしていますが……

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『我々とは異なる白い肌ーー!!』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 自分たちを征服しようとする異民族だから憎むとかではなく、ほとんど観念的に、「肌の色が自分たちと違うから」という理由で他人を憎む・見下すという概念……これは近世に入ってから、主には「白色人種から有色人種への差別」として広まったものでは……?

 いや……もちろん現代社会への問題提起のための象徴的なシーンとして描かれてるのは分かるんですけど……いくら創作上の物語とはいえ「肌の色で人を憎む」という概念が存在したかもよく分からない古代エジプトの民衆を一方的に悪役にして、真っ白な肌と髪で消え入りそうな容姿のキサラが『我々とは異なる白い肌』とか言われながら石を投げられ、一見すると権威主義の冷血漢に見える神官セトが権威によって愚かな民衆を蹴散らし、か弱いキサラをかばう、それも『肌の色ごときで』とか言いながら。構図としてあまりにも美しく作者本位であると同時に、それは  “ 出来すぎ ”  じゃあないでしょうか。フィクションとしてさえ説得力のある描写とは思えませんでした。

 まさしく絵に描いた悲劇のヒロインとそれを救うツンデレ王子様といった具合の安っぽいムーブと場違いな社会派メッセージが途方もなく素人くさいですなんでもかんでも道徳のお説教を込めれば深イイ話しになるってものでもないし、そもそも海馬とブルーアイズの関係性ってそんなに重要なんでしょうか。

 というかもう、なんなんだこれは? まず人種差別のメタファーとかこれまでの遊戯王のテーマやストーリーに関係ないのに唐突すぎるし、作者の個人的な思い入れが特定キャラに偏りすぎだし、そういうのが描きたいならそれはそれで立派なアイデアだからそれ用の他の作品かせめて番外編で描くか、同人誌でも出してくれ!

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『肌の色ごときで弱者に石を投げつけるなら……本当の身分の差というものを貴様らの肉体に刻みつけてやろうか!!』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 王宮では仲間に対して思いやりもなく自分より力が弱い(と自分が思っている)人間を露骨に見下して横柄な態度をとるようなキャラクターに、正義の水戸黄門をやる資格はありません。

というか民衆の労働によって王族や神官たちの生活が支えられているのに、わずかとはいえその民の犠牲を石コロと思ってる奴に道徳を説かれたくないわ。

 もちろんどこの時代、どこの国にも差別はあるでしょう。一説によると古代エジプト人は自分たちの赤銅色の肌を出すことを誇っていたそうなので、もしかするとそうでない肌色の人々を災いや揉め事の元とみなして差別していたのかも分からない。しかし少なくとも、古代エジプトに関して特別な知識のない、浅学なただの現代人のいち読者として、私は作中の描写に違和感を覚えました。

 そもそもわずかな民の犠牲など王家の谷の石コロにすぎないという神官セトの倫理観じたい、現代の人権思想からすればそれこそ人権を軽視した非人道的な考えなので、その神官セトに現代の人権思想を持ち込んだ文脈で差別を非難させるのはあまりにナンセンス。(なにも深く考えず原作者のイデオロギーをキャラクターに代弁させるから、こういうチグハグなことが起こるんだよ…)

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『いいぞ! 海馬に似た人!!』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 しかも、肌や目の色を理由に弱者に石を投げるような浅ましい民衆として描かれた直後なので、一見すると神官セトの行為は現代人から見ても正当性があるように見え、悪人ミスリードからの流れでこのシーンを描くことで、権威主義の悪人である神官セトがむしろ正義を行っているかのような倒錯感とカタルシスを得る(スカッとする)ように描かれている。

 要するに神官セトは 「身分差には厳しいが、弱者には手を差し伸べ、いわれなき差別は許さない」 、冷淡に見えて根は善人であり自分なりの正義を貫いていると。その身分差はそもそも権力者が自分たちに都合良く民衆を支配するために定めているものだし、手を差し伸べるべき弱者とそうでない者の選別は権力者の側である神官セト個人の独断でしかないのに、その神官セトが差別反対ムーブを繰り広げ、まるでヒーロー扱い。

どこまで作者本位で自分勝手な理屈だ。

作者の望む展開を描くために、どれだけ無神経に他のものを踏み台として使ってんだ。

 キサラの容姿に恐怖や憎悪を抱く古代エジプト人のくだりは原作者の創作だと思いますが、災いに関わる信仰は古代エジプト人にとってはそれこそ自分たちの生き死にに関わる重大な関心事であって、現代人(原作者や読者)の価値観で安易に非難すべきではない。より正確に言うなら、古代エジプト人の無知や信心深さを   “ 差別批判 ”   のための単なる舞台装置のように使うなど、マンガの題材として借りているにすぎないくせに古代エジプトへのリスペクトが欠如しています。そういったことを、この原作者は考えた上で創作や表現をしているのでしょうか…?

 

神官セトって次期ファラオとして相応しいか?

 さらに悪いのが、先王アクナムカノンやアテムのことは一部  “ 権力批判のまと ”  にして描いておきながら、力や権威を振りかざす神官セトの傍若無人な振る舞いはキサラとのエピソードや『全てはファラオをお守りするため』等のもっともらしい台詞によって美化し、最終的にその神官セトがあとを託されファラオとなり栄光を掴むというダブルスタンダード

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『「正義」を旗印に権力をふりかざし脅威となる者を皆殺しにする… それは真の正義か…悪なのか…』

高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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『貴様の父親の罪を 死をもって償え…ファラオ…』

高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 「善ってなんだ? 悪ってなんだ? お前のやってることは正しいのか?」という一連の描写によって、原作者は、罰ゲームで悪人を裁いてきた闇遊戯(アテム)の勧善懲悪ダークヒーローとしての根幹を揺るがすようなテーマを描きました。これは多角的な視点からの描写に成功しているというより単にテーマが散らかっており、作者のその時の気分で描きたいと思ったことによりキャラクターの言動やコンセプトがコロコロ変わっています。要は自分のイデオロギーを表現するために自分のキャラクターを生贄に捧げたわけです。

 一方、神官セトは権力に取り憑かれた父親の凶行によりキサラを失うという形で報いは受けるものの、それすらキサラとの悲恋のような関係性を描くための装置であり、メタ視点からは報いでもなんでもありません。

 「美化」という表現が比喩にならないほど、神官セトの描かれ方は悪人風から善人風へと変わります。当初の構想ではキサラを殺害されたことでファラオを裏切り第三勢力になる予定だったとのことで、その動機の悲劇性から神官セトとブルーアイズを光の勢力(善寄りの勢力)と解釈する向きもあるようですが、神官セトの冷酷な行いに対して筋が通らないし意味が分かりません。善と悪に境界はない、神も邪神も同時に心に宿すことができる、それが人間なのだ。とか言いたいんだろうか……。

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『これは「人狩り」などではない 「魔物狩り」なのです…』

『時に我ら神官がファラオの影となり闇の権力で王宮を守ることも必要なのでは』

高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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『官位につき…まだ半人前だった私に規律・道徳…哲学を教えて下さったのはアクナディン…あなたではなかったか…』

高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 平然と仲間の精霊を生贄にして自分の精霊を強化し、『我ら神官がファラオの影となり闇の権力で王宮を守ることも必要』とか言いながら人狩りを強行し、囚人同士を殺し合わせる人体実験に加担していたキャラクターに『道徳』…? 身分の差は古代エジプトの『規律』だから『わずかな民の犠牲など王家の谷の石コロ』という考えも正当だと?

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高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社
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『町で捕らえた囚人共はその方法を探る実験材料にも使えましょう 必要とあらば いかなる責め苦を与えることも…』

高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 上の引用画像は、神官セトが町で実行してきた「人狩り(魔物狩り)」の成果をアクナディンに報告するワンシーンです。

 神に匹敵する精霊から最大限の力を引き出す(そして兵器にする)ために、必要とあらば町で捕らえた囚人にいかなる責め苦を与えることもいとわない……これは国を守るためだと言って盗掘村の住人(罪人あるいは罪人予備軍)を虐殺して生贄に捧げたクル・エルナ村の事件と、規模や程度の違いこそあれ根本的な発想はまったく同じです。神官セトのやった(加担した)ことは、全てはファラオをお守りするためとかいって美化されるようなことでは決してありません。

 先王アクナムカノン治世下での虐殺など為政者の負の側面を強調し、盗賊王バクラにその罪を糾弾させておいて、それと同質のことをなんのためらいも罪の意識もなく正義として行っていた神官セトが、先王の息子である現ファラオから跡を託され次代のファラオになる。この展開のどこに説得力があるのか、先王の(というかアクナディンの)罪と向き合えずに苦しんでいたアテムが神官セトのどこをみて自分の跡を託そうと考えたのか教えてほしい。アテムは父親と同様、神官セトが黙って行っていた人狩りや人体実験の真実を知らなかったのか…

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『王国の基盤を揺るがす元凶は 体制・権威に対する反逆者なのだ!』

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『いずれ神が天罰を下すぜ…白き龍の神がな…』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 シーンが前後しますが、上の引用画像は神官セトが実際に町で「人狩り(魔物狩り)」を行なっている最中のワンシーンです。

 体制・権威に対する反逆者(予備軍)を捕らえて反逆の芽を摘む……もう我々の現実の世界で かの国 とかが人民に対して行っている独裁政治とかと発想がまるっきり同じ。これもひょっとすると現実社会への問題提起てきな暗喩シーンなのかもしれませんが、この後に神官セトは神に天罰を下され横暴な権威主義の考え方を省みるどころか、神(白き龍の器の女性)とロマンスを繰り広げて加護を受け、ファラオのしもべであるマハードを蹴散らして白き龍の神によって(先王の息子であるファラオに)天罰を下す側になっており、『天をも震わす我が龍の力…貴様の魔術師ごとき聖なる力で跡かたもなく消し去ってやるわ!!』という台詞だけは謎にしっかりと回収。成り行きとはいえ自分がファラオの地位にまで上り詰めてしまいます。もう、作者本位のやりたい放題もたいがいにしろと……。

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『天をも震わす我が龍の力…貴様の魔術師ごとき聖なる力で跡かたもなく消し去ってやるわ!!』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 アクナディンの過去の悪行と、そのアクナディンの息子がセトであるという事実はなぜ誰にも突っ込まれず、親子愛の描写や神官セトが根は良い人であるというような描写の方に比重が置かれているのか、マンガの描写として非常に不可解です。アクナムカノン王とアテムがいわゆる  “ 権力批判 ”  のまとになっている描かれ方とは逆行しており、作品テーマが破綻しています。

 国を守るために99人の生贄が必要と分かった上で先王アクナムカノンが決断を下したならまだしも、『七つの秘宝』の存在を先王に吹き込んで焚きつけたのがアクナディンなら、その製法を故意に隠し、虐殺を主導したのもアクナディン。あげく自分が王になれなかったからといって息子を王にしようという邪念に囚われ、より大勢の被害者を出した。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

親の代の咎を最も責められるべきなのはアテムではなく、神官セトなのでは…??

 そのことでアテムのように苦悩するわけでもない(愛するキサラを殺害した張本人が父親であることと、それでも恩義を忘れえぬ相手であることの狭間で迷いはしたが…)。しかも、アクナディンの行った虐殺と同質のこと(人狩り=魔物狩り、つまり国や王を守るために人権を軽んじる行為)を自分も率先してやっていた。その最中にキサラと白き龍を発掘しそれを自分のものにしようとし、囚人たちの人権を踏みにじり、倫理や道徳の観点から思い直したというよりキサラに惚れたから気が変わった……キサラを殺害して精霊を抽出するという一点において迷いが生まれた……というだけ。

 神官セトは本来、海馬瀬人と同じく目的のためには手段を選ばない冷酷なキャラクターであり、最初はその様に描かれていました。それをロマンスありきでとつぜん善人のように扱い始めるくらいなら、冷酷なキャラクターは冷酷なままで、キサラを愛してしまったがゆえの苦悩とかを描かれた方が説得力があります。

 王国への忠誠心やアクナディンへの尊敬やキサラへの愛(ゆえに、闇に魂を売らなかったこと)と、上に立つ者としての資質や統治に対する考え方って、まったくの別問題ですよね……。(民をかえりみず少数の犠牲を切り捨て、軍備の増強を優先させる為政者を作品として肯定するなら話しは別だが)

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 おそらく古代エジプト第19王朝の「セティ1世」を意識しての描写だと思いますが、ファラオとなったセトがアテムの意思を継いで、べつに愛しているわけでも尊敬しているわけでもないような自分にとって死んでも何とも思わない石コロほどの他人の痛みや苦悩を想像できる人物になったのか、その部分の描写がまったく無いままシチュエーションだけにこだわっているので流れが非常に唐突です。

(ファラオとなったセトの後ろに神官アイシスの姿が見えますが、神官時代さんざん傲慢な振る舞いをして仲間の神官たちを見下した態度をとりゾークとの決戦では途中で姿を消していたセトがファラオとなって自身の上に立つことに彼女は納得したのか、はなはだ疑問です。アニメ版ではゾークとの決戦に最後まで参加していたが、そんな程度のフォローでどうにかなる問題ではないです。)

 一応、盗賊王バクラや大邪神ゾークとの決戦ではファラオや他の神官たちと連携しながら戦う様子が描かれていましたが、それも途中で投げ出してキサラを救出に向かってしまうし、単に最期の決闘でファラオのブラック・マジシャンを力で蹴散らした(その流れでキサラに諭され正気に返った)だけでは、神官セトが次期ファラオとしての器を備えた人物であることの証明にはなり得ません。

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 決闘で正式に勝ったらファラオの称号が得られる……遊戯王の世界の古代エジプトではそうなのかもしれない、あるいは単に神官セト個人の思想なのか。しかしそれは決闘での強さ=力の強さこそが正義であるという考えに他ならず、「友の力」「絆の力」こそが最も強く正しい力である…という本作のテーマともケンカしています。決闘の強さは精霊との絆の強さですか? ならファラオとブラック・マジシャン(マハード)との絆は、正気を失った状態の神官セトの白き龍に石板を壊されただけであっけなく蹴散らされる程度のもの、ということでいいですか?

 原作者のやりたかったことは分かるが最低限の筋は通さないと、作品としての説得力は落ちます。

 

 

3.作者の望む展開のために割を食ったキャラクターたち

 

消滅してしまった  “ バクラ ”  のシナリオ

 最終的には作者自身の体調不良によって本来のストーリーを大幅に変更・省略せざるを得ず、アニメオリジナル展開はキサラ関連やマナ(ブラック・マジシャン・ガールの代替)など一部のキャラクターにスポットを当て続けた結果、盗賊王バクラ、表人格の獏良了、神官マハードのようなどうしようもないメインキャラが生まれてしまった。こうした他のメインキャラたちが雑な扱いで済まされているせいで、本来なら良いアクセントになったはずのキサラ関連エピソードも蛇足に見えてしまう。

 おそらく原作者はアクセントどころかメインの柱の一つとしてキサラのエピソードを描きたくなってしまい、神官セトが悪者にならないようキサラを殺して白き龍 = ブルーアイズの魂を抽出する流れを作り出すために(あと親子の愛憎劇を展開するために)アクナディンというぽっと出のボスキャラを作った。そのアクナディンが盗賊王バクラの元々の役割を吸ったので、虐殺を生き残った復讐者である盗賊王バクラが大邪神ゾークと契約し死霊の軍勢を率いてファラオと激突する…という因果応報をテーマとしたシナリオが文字通り消滅してしまったのではないか……というような憶説すら浮かびます。

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『その時オレは…冥界の大邪神の闇の力を得ーークル・エルナの同胞の怨念と共に…世界を盗む!!』

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『「千年アイテム」とは時を超えて古の「心」を宿すことのできる墓標…』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

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『その闇に封印された邪悪なる力を手に入れるためだ…』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 本来のシンプルな設定は、千年リングに宿った盗賊の魂( 心 )が宿主を得て現代に蘇った存在 = 闇バクラです。そもそも千年アイテムを集め『闇の扉』を開いて邪悪なる力を手に入れること(つまり『冥界の扉』を開いて大邪神ゾークと契約すること)が闇バクラの目的だったはずなのに、その大邪神ゾークが闇バクラ自身だった(?)という話しになってしまいました。これはバクラではなくアクナディンが大邪神ゾークと契約するシナリオに変更されたからではないでしょうか?

 元々の『ゾーク』は作中に登場するTRPG『モンスター・ワールド』のキャラクターであり、古代エジプトとは関係ありません(元ネタは実在のアドベンチャーゲームであるZorkシリーズ)。ゾークは闇バクラが操る持ちキャラで、TRPGゲームマスター(支配者、神)である闇バクラの分身としての駒でした。それがファラオの記憶編に入っていざ蓋を開けてみると、闇バクラがゾークに操られる手下(駒)になっておりキャラクターの役割がまるで逆転してしまいます。

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『ゾーク・ネクロファデスはこの千年輪にも魂の一部を封印していた』

『そう…オレ様の正体もまた ゾーク・ネクロファデス…』

(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 闇バクラの本当の目的は自分自身(大邪神)の力を復活させることだったとか、彼もアテムと同じように最初は(一部)記憶喪失だったとか、闇バクラ自身が大邪神ゾークなのでモンスター・ワールドの自キャラにゾークと名付けた等々、解釈はいくらでも出来ますが、つじつまが合えばいいとかそういう問題ではありません。

 オリジナルの存在である盗賊王バクラが真に復讐すべき相手は、独断で虐殺を主導した黒幕であるアクナディンです。しかし盗賊王バクラはそのアクナディンに利用し返され、死後は千年アイテムを集めるための駒としてゾークに利用され……という話しになってしまいました。『世界を盗む』とタンカを切らせておいて、悪役としては最低の扱いです。こうした一連の設定変更は、原作者がキサラとセトとアクナディンのエピソードを描きたいから周辺キャラクターの役割を変えていったため副次的に生じたつじつま合わせであり、闇バクラや盗賊王バクラというキャラクターをより良く表現するための設定変更ですらないのです。

 

最後に・・・

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(©︎高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社

 城之内と闇遊戯が誓い合った決闘も作中で実現していないし、海馬は神官セトの生まれ変わりのように描かれているのに表遊戯とアテムは完全に別人扱いになってしまったのも作品の世界観として致命的な矛盾をはらんでいます。

 アテムと表遊戯のラスト決闘でも相変わらずルールは曖昧だし、これまでずっとエースを張っていたブラック・マジシャン師弟をサイレント・マジシャン1体にまとめて倒されてしまうという、 " 成長しレベルアップした表遊戯が闇遊戯を超える "  というシナリオありきのゲーム展開でした(原作の闇遊戯は意味不明なタイミングでマジシャンズクロスを発動しプレイングミスを犯している)。

 「遊戯 王」や死者蘇生のカードが示唆するメッセージなどの "ギミック" に頼って表遊戯を真の主人公に推すことでなんとかストーリーを着地させた……というような状態……。

 古代エジプトをテーマとした神秘的な世界観や魅力的なキャラクター、マンガの絵として他に類をみなかったほどにキャッチーなカードバトル、こんなにも粒はそろっているのに料理があまりにずさんで、それが非常に惜しい作品であります……。

 多くを求めることを許されるなら、「史実編」というような形で不憫なキャラクターたちが少しでも救済されることを願っています。

 

おわり